AI時代への不安と、エンジニアが成長する3つの要素
TOKIUMは、経理AIエージェントを提供する企業だ。経費精算や請求書処理などの経理業務を効率化するプロダクトを展開している。
「賢くなりすぎたAIに、自分たちエンジニアは淘汰されてしまうのではないか」。多くのエンジニアが抱くこの懸念から講演を始めたのは、TOKIUMに初めての新卒として2016年に入社し、エンジニアから人事DevHRを経て再びエンジニアへと戻った坂上晴信氏。
坂上氏はティム・オライリー氏の「淘汰されるのは、初級および中級レベルのプログラマーではなく、新しいプログラミングツールとパラダイムを受け入れず過去に固執する者」という言葉を引用し、「新しいパラダイムを受け入れられれば、生き残れそうです」と話した。しかし、これからを生きるエンジニアには「ビジネスに深く関与し、提供する影響力をより大きく拡大すること」が期待されている。
実際にTOKIUMでは、大きな変化が起きている。これまでコードを書かなかったプロダクトマネージャーが自らプロトタイプを作成し、顧客から直接フィードバックを回収する、というような行動が生まれている。そういった活動からプロダクトの改善速度が大きく向上している。
2025年卒のエンジニアの数人はすでにチームリーダーを務め、開発・プロジェクトマネジメント・顧客との商談を並行でこなしている。その新人の日報には「数字を突きつけられるとその厳しさを肌で感じられる。でもワクワクしている自分もいる」と書いており、新卒1年目で事業成果に意識が向いている姿が見られた。
「新しい形のエンジニアリングを受け入れ、技術以外の領域に越境することでビジネスを動かす」この姿こそ、これからのエンジニアのあるべき姿だ。
しかし坂上氏は「そんなに気軽には越境できないです。『越境できない自分は、淘汰される側なんじゃないか』という不安を感じている方も多いと思います」と語った。
坂上氏は講演の主旨について「越境に対する恐怖を和らげ、明日からのアクションにつながる時間を目指します」と説明。そして越境を成長につなげる3つの要素「ホームグラウンドを持つ」「郷に入っては郷に従う」「越境に意味を見出す」を提示し、自身の経験を通じて語った。
特定の技術を深掘る経験が、変化に強いエンジニアを作る
「ホームグラウンド」とは、「ここなら探究心を持ち続けられる」と自信を持てる領域であり、強い自己効力感をもたらすものである。坂上氏にとっては、Androidアプリ開発などで使われるプログラミング言語Kotlinのエンジニアコミュニティがそれにあたる。
国内トップカンファレンス「Kotlin Fest」に複数回登壇し、Kotlin本体へのContribute実績も得ている。しかし、当初から戦略があったわけではない。「Kotlinが好きになり、長く探究を続けた結果、ホームグラウンドになっていた」と振り返る。
Kotlinとの出会いは2016年2月、バージョン1.0が出る直前だった。「Javaと絶妙に文法が違って書きづらい」と最初は感じたが、数か月後には「もうJavaで書くのは嫌」となっていった。そしてサーバーサイド開発を調べていた時、Kotlin/JSを知った。そして、Web開発の知見からデモアプリを実装。半年の試行錯誤の末、Kotlin製のWebアプリが完成した。坂上氏は「人生で一番の高揚感を味わった瞬間です」と語った。
Kotlinのカンファレンスに登壇し、Android/Kotlinの界隈のスーパースターと肩を並べたことで「専門家たちに負けない強い探究心を持っているエンジニア」という自信がついた。探究心に自信が持てれば、目まぐるしく変化する技術トレンドにも「自分ならキャッチアップして使いこなせる」と信じられる。
ホームグラウンドを作るには、「内なる好奇心に素直に従い、楽しみながら技術を学ぶ・深掘る・活用すること」と坂上氏は語る。「これ面白いな」と思った後、一歩先のアクションを起こすことが探究のきっかけを生む。
「越境」して感じた個人技の限界と失敗から得た学び
「郷に入っては郷に従う」とは、越境先でそれまでの常識を捨てることを指す。坂上氏はそれを身をもって経験する。
Kotlinをホームグラウンドにした坂上氏は外部イベントに参加し、登壇を重ねた。活動領域が広がり、エンジニア採用を任されるようになった。
ある時、シニアエンジニアの採用目標数が大幅に引き上がった。社内には経験も知見もなく、CTOと開発部長が兼務で対応する状態。坂上氏はDevHRへの大きな越境を決意する。
「フルコミットでやれば楽勝だろう」と考えたが、現実は甘くなかった。採用業務を数々と抱え、業務過多に陥る。中途・業務委託合わせて15~20件の求人を一人で管理し、書類選考は全体の8割、カジュアル面談は5割、それに加えて日程調整や連絡業務の全てを担当した。
中途の応募数は増えず、改善の時間も捻出できない。「苦しく終わりの見えない真っ暗なトンネルをひたすら走り続ける感覚でした」。キャリアチェンジ後10か月足らずで上長にSOSを出し、中途採用業務は別の社員に委譲。組織開発・外注管理・採用広報へと役割をシフトした。
なぜ成果が残せなかったのか。坂上氏は2つの失敗を挙げた。
1つは、個人で動いたことだ。テックリード時代、困難な課題の多くを個人技で解決できていた。「過去の成功体験に囚われ、周囲を適切に巻き込めませんでした」。
もう1つは、定量指標による成果検証を怠ったこと。プログラミングの成否はコンパイルやテストで判断できるが、採用施策は指標自体の設定が難しい。この重要性を理解せず、「何となく正しいと思う施策」を続けていた。
越境先でそれまでの常識を捨てることができていなかったのだ。しかし、自らの「視野の狭さ」「視座の低さ」に気づいたことは収穫だった。坂上氏は「エンジニアに留まっていたら、もっと遅かったかもしれません」と話した。越境先の人たちに敬意を払い、越境先の流儀を素直に受け入れる姿勢が、素早い順応をもたらすことに気づいたのだ。
期待に応えられなかったが、事業・組織の成果へと意識が向くきっかけになった。
ビジネスへの越境を経て掴んだ、AI時代を戦うための新たな武器
未知の領域に飛び込んで成果を出すことは難易度が高い。しかし、「越境に意味を見出す」ことがやり切る力となる。DevHRとして成果が出なかった時期、坂上氏はエンジニアに戻ろうとは一切思わなかった。なぜなら、DevHRを続ける意味を見出せていたからだ。
自分に不足している「組織を作る・動かす経験」を得られる環境であり、困難な課題を任せてもらえるだけの信頼貯金が偶然あった。そして、エンジニアである前にビジネスパーソンとして、今やるべきことに向き合いたかったのだ。
中途採用の業務を委譲した後、採用広報も任される。経験はなかったが「強い認知を獲得するには大きなカンファレンスでの登壇が効く」と考えた。しかし、開発現場から離れている自分では、エンジニアに響く話をしづらい。そこで「価値ある話ができる社員を巻き込んで全力で支援する」というやり方を選んだ。個人技ではなく、周囲を巻き込んでいったのだ。
その結果、社員の登壇が増えた。2024年6月から2025年12月までに行われた20分以上の登壇は7件で、そのうち6件を坂上氏以外のメンバーが担当した。坂上氏は自ら登壇しない代わりに、良いネタを持っているのに一歩踏み出せない社員のために勉強会を一から企画した。他社の担当者を巻き込みながら、発信機会を創出していった。
さらに2025年5月、TOKIUMは「SaaS企業から経理AIエージェント企業への大転換」を発表した。「経理AIエージェントのカテゴリーで国内ナンバーワンの認知を取りにいく」という目標が生まれ、社内から外部への情報発信に対する強い機運が全社レベルで生じた。
「今やるべきは、社員の発信活動のサポートと発信活動の計測基盤の整備」。坂上氏は、テックブログ執筆・社員インタビュー・登壇などの発信アクションを記録するシートを作成。中途採用では怠った定量的な成果検証を、ここでは徹底した。その甲斐あって開発組織全体の発信数が年換算で約4倍に急増。自社採用サイト経由の応募数も増加し、発信活動が組織にリターンをもたらす可能性を定量的に提示できた。
越境によって挫折も経験したが、確かなリターンも得た。そして2025年12月、3年ぶりにエンジニアへ復帰。組織から「AIによる環境変化の中で、プロダクト開発の出力を更に高めたい」というオーダーが来た。
坂上氏は「3年のブランクとAIによる環境変化に、果たして順応できるのか」と不安を窺わせた。しかしエンジニアとしての探究心には自信がある。「人事からエンジニアにまた大きな越境していくわけですが、それをさらに大きな事業成果だとか、自分の成長につなげていきたい」と語った。

