※本記事で紹介する役職名は、2026年2月20日に実施したイベント時点でのものです。
ドメイン知識を持つ職員自らが実務に即したアプリケーションを素早く試作・展開できる強力な土壌づくり
行政機関における生成AIの活用は、セキュリティ要件やネットワーク環境の制約から、汎用的なチャットツールの導入にとどまるケースが少なくない。しかし、厳密な法令解釈や複雑な住民対応が求められる行政の現場においては、単一のプロンプトで完結する汎用AIだけでは、どうしても直接的な効率化に結び付かない実情があった。
GovTech東京の橋本氏は、この課題に対して「もう少し業務にフィットしたAIアプリを作れると、利活用の機運が増すのではないか」と仮説を立てた。この仮説こそが、自治体職員自身が日々の業務要件に合わせたAIアプリを構築できる「生成AIプラットフォーム」の立ち上げへとつながっていく。
これまで行政におけるシステム導入は、現場が仕様書を作成し、外部ベンダーに開発を委託して納品物を購入する手法が主流であった。しかし、この手法では現場の細かなニーズの変化にアジャイルに対応することが難しい。
そこで橋本氏は、「既存のサービスを利用する部分と自分たちでインフラ部分を作るハイブリッド形式で進めました」と語るように、SaaSとして提供されるAI基盤を活用しつつ、行政特有のセキュアなインフラストラクチャを自前で統合する戦略を採った。これにより、現場のドメイン知識を持つ職員が自ら手を動かし、実務に即した課題解決型アプリケーションを素早く試作・展開できる強力な土壌が整備された。
現場のドメイン知識を持つ職員が自ら手を動かせるよう開発された「生成AIプラットフォーム」
このプラットフォームの価値を実証する先導的なプロジェクトとなるのが、生活保護業務のサポートを目的とした「生活保護法令検索AIアプリ」の開発である。
生活保護業務の現場では、職員が『生活保護手帳』と呼ばれる膨大かつ複雑な法令集を常に参照しながら、住民からの多様な問い合わせに正確に回答する必要がある。こうした認知負荷の高い業務プロセスを最適化するため、都内区市町村からの派遣生である池田氏が、現場ならではの視点を踏まえて、ノーコードツール「Dify」を用いた開発に参画した。
ドメインエキスパート×高度な技術的知見により、より良いアプリケーションを作りこむ
プロジェクトは、池田氏が対象ユーザーとシステムがカバーするスコープを明確に定義することから始まった。生活保護行政のドメインエキスパートとして参画した池田氏は、厚生労働省が公開している膨大な法令や通知などの公開データをAIのナレッジベースとして適切に構造化し、読み込ませるアプローチを採った。これは技術的にRAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)と呼ばれる、外部の専門的な知識データベースと大規模言語モデル(LLM)を連携させる手法である。
テスト版は現場の業務要件を的確に捉えていたものの、実運用に向けてはアーキテクチャの最適化が必要であった。そこで、東京都のICT職として技術的知見を持つ石毛氏が参画し、システムのリファクタリングが推進された。石毛氏がAPI連携の検証を行った結果、当初の構成では膨大な関連資料のテキストデータを一度にLLMへ読み込ませていたため、レスポンスに約1分もの時間を要し、APIの利用コストも想定を大きく上回るという課題が浮き彫りになった。
このパフォーマンスとコストの課題を解決するため、石毛氏はシステムの全処理フローを可視化し、ボトルネックの特定と解消に取り組んだ。 単に安価なLLMモデルに変更するだけでは、池田氏が求める厳密な回答品質を維持できない。そこで石毛氏が導入したのが、プロンプトチェーニングと呼ばれる処理の細分化手法だった。
池田氏が「学校のテストで、教科書全体から出題するのではなく、試験範囲を限定して指示するのと同じ」と解説したように、事前のフローでユーザーの質問に関連する情報を高精度に抽出し、その厳選された情報のみを最終的な回答生成用のLLMに渡すパイプラインを構築した。これにより、コストを劇的に抑制しつつ、実務に耐えうる高品質で安定したレスポンスを実現したのだ。
33の自治体、500名以上の現場職員によるテスト版の試用へ
ドメインエキスパートとテクノロジストの高度な協働によって完成したテスト版「生活保護法令検索AIアプリ」は、実際の行政現場で極めて高い評価を獲得した。そして、池田氏らは約2ヵ月間をかけて東京都内の33の自治体を訪問し、総勢500名以上の現役生活保護担当職員に開発したテスト版を体験してもらうという大規模な検証を実施した。その結果、5段階評価で平均4.2という高評価を記録し、膨大な法令検索にかかる時間の削減と、それに伴う住民への迅速な対応という明確な効果の兆しが確認された。
この高い成果を生み出した背景には、開発プロセスにおけるアジャイルなフィードバックループの存在がある。コスト最適化のチューニング過程において、回答精度が変動した際、業務要件を熟知する池田氏が「ここはもう少し正確な回答が欲しい」と的確な評価を行い、石毛氏がそれを受けてプロンプトや処理フローを即座に修正するというサイクルが高速で回された。互いの専門性を尊重しながら、膝を突き合わせて品質を高めていくこのプロセスこそが、現場の真のニーズを満たすプロダクトを創出する原動力となった。
さらに、システムの普及を後押しした最大の要因は、開発に込められた「現場への深い理解」である。デモンストレーションの際、池田氏自身が生活保護担当の経験を活かして開発を主導した事実が伝わると、現場の職員からは「やはり業務をわかっている人が開発に関わっていることは非常に信用できる」「すごく期待している」といった共感と期待の声が多数寄せられた。業務プロセスを熟知した職員が要件定義から深く関与することで、ユーザーの痛みに寄り添った、真に受け入れられるデジタルサービスが実現したのだ。
深いドメイン知識とテクノロジーのシームレスな融合によって生まれる「行政DX」を進めていく
本事例が示す最も重要な知見は、「深いドメイン知識とテクノロジーのシームレスな融合」がいかに強力な価値を組織にもたらすかという点である。真のデジタルトランスフォーメーションは、トップダウンで単に最新ツールを導入するだけでは成し得ない。課題の核心を最も深く理解している現場の担当者が、使いやすいプラットフォームという武器を得て、開発の中心的な役割を担うことの重要性がここで証明されている。
また、AIアプリケーション開発で直面しがちな「品質とコストのトレードオフ」に対して、アーキテクチャの工夫でブレイクスルーを果たした点も特筆すべき点だ。限られたリソースの中で最適なパフォーマンスを引き出すためには、開発を担う技術者と出力結果の妥当性を評価する業務のプロフェッショナルが、密接に連携する体制が不可欠である。技術と業務、それぞれの専門家が共通の言語を持ち、アジャイルにプロダクトを改善していく協働モデルは、あらゆるエンタープライズAI開発において目指すべき理想的なチームのあり方を示唆している。
GovTech東京が主導し、自治体職員との協働によって構築された生成AIプラットフォームの取り組みは、行政DXの新たなスタンダードを切り拓くものである。実際に、今回開発された生活保護法令検索AIは、都内多くの自治体にとって、職員の業務負荷を軽減し、住民サービスの質を向上させる強力な基盤になりうるものだ。
橋本氏がセッションの最後に「業務を熟知している人と近くでコラボレーションしながら仕事を進めることで、ユーザーに届きやすいものが作れる」と総括した通り、革新的なサービスは、現場の泥臭い知見と最新テクノロジーの幸福な出会いから生まれる。行政という確実性と公平性が重んじられる環境下において、公務員と技術専門職が一体となって推進したこの画期的な挑戦は、あらゆる業界でDXに取り組む組織に対して、現場の力を最大限に引き出すプラットフォームづくりと、部門を超えた共創の重要性を強く訴えかけている。
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