エクセル方眼紙が生まれた背景
上原氏によれば、当時の某ソフトウェア工学の大先生が、簡単になったマクロ機能を評して、「定型業務のほとんどがノンプログラミングで可能になり、ソフトウェア工学がいらなくなるのでは」と言ったほど、インパクトのあるソフトウェアだったという。Excelへの追い風は他にもある。90年代はマイクロソフトによるOffice製品のバンドル商法が広がった時期であり、2000年代に入ると日本政府はe-Japan構想においてWord/Excelを標準文書ツールに指定した。
程なくIT講習がブームになり、上原氏はあるエピソードからエクセル方眼紙につながる問題の芽を発見する。知り会いがIT講習の講師を始めたと聞き、何を教えているか聞いたところ「Excelでカレンダーを作っている」と答えたという。これを聞いて上原氏は「Excelは表計算ソフトを表印刷ソフトにしてしまった」と嘆いた。
上原氏のエクセル方眼紙との闘いも、このあたりから始まった。ある組織から、謝金の支払い手続きの書類がエクセル方眼紙で送られてきた。それに必要事項を入力し、印刷したものに押印して郵送してくれと指示された。ただでさえ入力しにくいシートのうえ、印刷や郵送まで要求され、さすがにキレた上原氏は「あなたはこれに入力できるのか?」と返信したという。
しかし、ただ拒否するのは大人げないので、別のシートに入力項目だけの表を作り値を入力した。さらにエクセル方眼紙のシートの該当セルに、入力項目シートの値を参照で表示できるようにして送り返したという。このような入力項目表を使えば、データの再利用や別システムへの移行も簡単だ。帳票がどうしても必要なら、値を参照した方眼紙を印刷すればいい。
エクセル方眼紙は公務員が量産していた?
上原氏は、2011年、総務省に入省する。その際「起源はここか!」と思うほどエクセル方眼紙が氾濫する中央省庁の現実を目の当たりにしたという。しかもエクセル方眼紙は行政が進めるオープンデータにも影響を及ぼしている。近年、中央省庁は統計データなどを、PDFからデータ再利用を考えたExcelやWordファイルでの提供・公開を進めている。しかし、公開されるExcelデータを見るとエクセル方眼紙の予備軍が多数見つかる。位取りのカンマが手入力だったり、単位ごとセルに入力されていたりといった使われ方だ。「怖くてSUM関数が使えない(上原氏)」状態だという。
なぜ公務員はエクセル方眼紙(神エクセル)を量産してしまうのか。上原氏の分析はこうだ。
公務員の業務は、法律が省令・政令に落とし込まれた「通達」を元に部署の「内規」として決められる。担当者は内規をベースに業務フローを考えるのだが、このとき担当者間でやりとりされる情報を「様式」や「帳票」で設計している。本来であれば、情報の属性や構造をセットで考えなければならないのだが、帳票の項目として管理してしまう。紙の発想から抜け出せない原因はここにあると上原氏は考える。
いまは法律で電子証跡、電子署名の効力は認められており書類や印鑑と同等に扱うことができる。しかし、目に見えないものへの恐怖からか、紙と印鑑の呪縛から逃れられない。続けて上原氏は「学校での情報教育は2003年から導入されているにもかかわらず、いまだに紙を信仰しているのは情報教育の敗北なのではないか」とまで嘆いた。
エクセル方眼紙との闘いでできること
もちろん紙のよさや優位性がないわけでもない(長期保存など)。しかし紙信仰との闘いは長く続く文化との闘いであり、前例や連続性を重視する役所の抵抗は大きい。加えてワークフローの変更コストの忌諱。単純作業の達成感。電子証跡に対する誤認。さまざまな障害があり、エクセル方眼紙の撲滅は難しい。
大変ではあるが、もしエクセル方眼紙を受け取ったら、相手にまずデータと体裁の分離を説明し、できれば対策方法を例示(前述:入力項目のシートと帳票を分けてvlookupなど参照関係を付ける)すること。システム化を勧めること。必要なら簡単なマクロを書いてあげてもいい。そして、そもそもその仕事はなぜ必要なのか、本当に必要なのかを分析することが重要だと、上原氏はアドバイスする。作業の目的を精査すると、いらない作業や無駄が見えてくる。これは、上原氏が和歌山大学、京都大学で事務の合理化、情報化を進めていたとき、本当に必要な書類はそれほど多くなかったとの経験に基づいた知見だという。
