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翔泳社 新刊紹介(AD)

レガシーな現場にどうやってアジャイルを導入する?物語で描くウォーターフォールとの共存手法

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 CodeZineを運営する翔泳社では、10月14日(木)に『ここはウォーターフォール市、アジャイル町』(著:沢渡あまね、新井剛)を発売しました。本書で描かれるのは、情報システム部に異動した主人公・相良真希乃がアジャイルを導入して現場を改革しようと奮闘する物語。今回は本書から、真希乃が「とんでもない部署に来てしまった」ことを自覚するプロローグを紹介します。

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本記事は『ここはウォーターフォール市、アジャイル町 ストーリーで学ぶアジャイルな組織のつくり方』の「プロローグ 静寂に響くキータッチ音」を抜粋したものです。掲載にあたり一部を編集しています。
本書はストーリー編と解説編に分かれており、ストーリー編に登場したキーワードやポイントを解説編で詳細に説明しています。

「春は出会いと別れの季節」

……とはよく言ったものだ。

 しかし、春だからって何もわざわざ出会いと別れを演出しなくてもよいではないか。これまでと同じで何がいけないのか?

 3月の終わりの週の月曜日。相良真希乃(さがらまきの)は、たったいま受け取ったばかりの辞令書を見てため息をついた。

「相良真希乃 情報システム部 インフラグループ勤務を命ずる」

 自分の行きたい部署ならば受け入れられる。あるいは、まったくもって奇想天外な部署ならば、それはそれで好奇心がくすぐられる。なぜ、よりによって情報システム部(以下、情シス)なのだ。真希乃が最も行きたくない部署ではないか。まったく、会社組織とは本当に人間にとって理不尽である。真希乃は組織とわが身を呪った。

 ほどなくして真希乃の送別会が企画された。嬉しい半面、有無を言わさぬ「追い出すぞ圧力」に再びため息が出る。

 ハマナ・プレシジョン株式会社は、都心から少し離れた郊外に本社を構える、大手精密機器メーカー。真希乃は本社の海外マーケティング部門に勤務している。いや、まもなく「勤務していた」に変わる。

 3年前に転職で入社して以来、主任(のちに課長代理)としてシステムチームのリーダーを拝命。海外のグループ会社や販売統括会社向けのWebサイトや情報共有基盤など、ITシステムの企画や導入の旗振りをしてきた。よって、真希乃はITについてまったくのシロウトではない。

 システム化の構想から始まり、要件定義、外部設計、内部設計……と進む一連の流れは理解しているつもりだし、真希乃自身も数々のプロジェクトで経験してきた。「外注さん」と呼ばれる、同じフロアに常駐している社外のWebプログラマーやデザイナーと一緒に仕事もしてきた。もちろん、情シスとのやり取りも日常茶飯事だ。

 その情シスの社内におけるプレゼンスは、お世辞にも高いとはいえない。控えめに言って、情シス=受身な人たちな印象。言われたことはやるが、言わなければ何もやってくれない。業務の課題を解決するような提案もしてくれない。人手が足りないのも、プロパ(生え抜き)社員が少ないのもわかる。それにしても、主体性や積極性を感じられない。

 そして、ふた言目には「費用対効果」。新たなマーケティングやブランディングの施策をITを使って試そうにも、「効果は?」「前例がない」でいちいち話の腰を折る。真希乃も上司も、情シスには事あるごとに腹を立てていた。真希乃と同時期に中途で入社した情シス配属の仲間も初めはモチベーションが高かったものの、いまではすっかり物言わぬおとなしい人に。いやはや組織文化とは恐ろしい。

 そんな印象もあってか、いよいよ情シスは真希乃にとって行きたくない部署の筆頭になっていったのである。

 着任初日。真希乃は新たな環境に移ったとき、最初の週だけは必ず早めに出社することにしている。この日も、目覚まし時計をいつもより40分早くかけ、30分早く家を出て、20分早く会社についた。いつもとは違う建屋の、違うフロアに出社する。部署が変わるだけで、道すがらのいつもの景色もがらりと変わる。それは真希乃の心のうちを映しているにすぎないのだけれど。

「お、おはようございます」

 こわばった挨拶の声の向こう側に、課長の掛塚忠司(かけつかただし)の姿があった。1時間以上前に出社しているのだろうか? 何食わぬ表情で黙々とノートパソコンの画面と向き合って指を動かしている。この世代のサラリーマンは朝が早い。

「あ、相良さんね。業務説明をするから落ち着いたら声をかけて」

 掛塚は真希乃と目も合わせず、ぶっきらぼうに言い放つ。真希乃はのっけからどうにもこうにも落ち着かないが、気を遣って時計の針が3分を刻みきったところで声をかけた。

 真希乃の所属は認証基盤運用チーム。プロパの若手社員が1名、外部の会社「カジマ・システムサービス(通称カジマ)」から常駐しているエンジニアが2名、さらにグループ会社である「ハマナ・アドバンスト・ソリューションズ(通称ハドソル)」の6名からなるヘルプデスクで構成される。加えて、運用統制チーム、ネットワークチーム、インフラ基盤チーム、監視チーム、開発チームなどいくつかのチームと連携しつつ業務を進める。

 認証基盤とは、社内システムおよびクラウドサービスなどのITシステムを社員や協力会社スタッフが適切に利用できるために、ユーザーIDの配布や認証および管理を統合的に行う仕組みである。平たく言えば、IDとパスワードを管理するシステムといったところか。ITに詳しくない人に説明するならば、「毎朝出社したときにログインするアレ」である。

 そのアレだが、ハマナ・プレシジョン本体では“HIM(=Hamana Identity Manager:通称「エイチアイエム」)”という名の自社開発のパッケージを使っている。パッケージといえど、カスタマイズの嵐でもはや原型をとどめていないけれども。これまで本体とグループ会社、さらには協力会社のスタッフ向けで異なる認証基盤システムを使っていた。

 しかし、ことグループ会社と協力会社スタッフについては、それまで使っていた認証基盤はキャパシティの面でもセキュリティの面でも脆弱性が問題視されており、統合管理が求められていた。そんな矢先、副社長がCISO(Chief Information Security Officer:最高情報セキュリティ責任者)を兼任することになった。これを機に、副社長のオーダーで認証基盤をHIMに統合することになった。その名も“X-HIM(クロスエイチアイエム)”。X-HIMのリリースに伴い、IDナンバーそのものはもちろん、本社やグループ会社社員や協力会社スタッフがIDを新規に登録したり変更したりするための手続きも大きく変わる。

 そのX-HIMはつい先日、3月20日にリリースされたばかりだ。

「それにしても、なぜこんな中途半端なタイミングに?」

 真希乃は素朴な疑問を掛塚にぶつける。3月末から4月頭といえば、年度の変わり目、組織の変わり目でどの部署も落ち着かない時期。そのタイミングになぜわざわざ新しいシステムをリリースするのだろうか?

「いや、もともとは1月にリリース予定だったんだけれどね。データ移行リハ(リハーサル)で不具合が見つかって仕切り直し。リスケ(リスケジュール)せざるを得なかったんだよ」

 予算消化と会計処理の兼ね合いもあって、どうしても前年度内にリリースしなければいけないオトナの事情もあったとのこと。目の前のノートパソコンの画面に目線をやったまま、掛塚は淡々と付け加える。キミもいままでシステム開発に関わっていたのだから、細かく説明しなくてもわかるだろうと言わんばかりの口ぶりだ。どうやら、掛塚の辞書には愛想というコトバはないようだ。

「なるほど。ウチの情シスらしいですね……」

 真希乃はそう言いかけて思いとどまった。情シスはもはや他部署ではなくて自部署なのだ。初日から不用意な自虐発言で周りをイラっとさせる道理はない。

「まあ、そんなことはどうでもいい。何か業務でわからないことがあれば、森岡くんに聞いて」

 面倒くさそうに言い放つ掛塚。

 森岡俊平(もりおかしゅんぺい)。真希乃の部下になるメンバーだ。5年目の男性社員で、ハマナ・プレシジョンには技術職として入社した。マイペースだが、仕事はそこそこできると聞いている。

「あ、おはようございあーす」

 噂(脳内)をすれば影。俊平がのそのそと出社してきた。あくびまじりでノートパソコンの蓋を荒々しく開く。

「おはよう、俊平くん。今日からよろしくね」
「あ、ああそうか? 今日からでしたね。相良代理、よろしくおねがいしあーす」

 寝ぼけ眼で返す俊平。まだまだ眠りが足りなそうだ。

 認証基盤運用チームの社員は、課長の掛塚(開発チームと兼務)を除けば、プロパの社員は真希乃と俊平の2人である。加えて、近くの協力会社席に外注のスタッフが2人。カジマの浅羽舞(あさばまい)と原野谷渉(はらのやわたる)だ。舞はいわゆる運用SEで、要件定義や設計およびテストの計画と実施を担当。渉はインフラエンジニアとして環境構築と維持を担当している。

 フロアの最も離れたところ、端の一角はヘルプデスクルームだ。そこにハドソルのヘルプデスクメンバーが常駐している。リーダーの笠井美香(かさいみか)は、まもなく10年になるベテランだ。入社以来、ぱっつんの髪型を変えることなく今日も仕事とお洒落にいそしんでいる。伊場(いば)さつきは3年目。元気がとりえで、美香の背中を見ながら育っている。他にハドソルの4名がここでヘルプデスク業務に従事している。

 ヘルプデスクルームはガラス張りの壁で覆われている。個人情報取り扱い区画であるがゆえだ。入退室には社員証とは別のIDカードが必要で、一般社員は出入りできない。認証基盤運用チームのメンバー(舞と渉を含む)は、そのIDカードを所有しており、必要に応じてヘルプデスクルームに出入りしている。

 まもなく舞が、そして渉が出社して席についた。挨拶もそこそこに、2人もパソコンを開いて黙々と作業を始める。

 リリースしたばかりの統合認証基盤、X-HIM。

 毎度のごとく、トラブルだらけ、クレームだらけでお世辞にも落ち着いている状況とは言いがたいようだ。メンバーの机の上の雑然さ(メモをしたふせんやペンが散乱している)がそれを如実に示している。それは、俊平、舞、渉の疲れた横顔からもうかがえる。ガラスの向こう、ヘルプデスクルームは電話が鳴り止まない。6名全員、頭をペコペコ下げながら受話器の向こうの相手のストレスを受け止めている様子が目に入る。

「ねえ、いまの状況を教えてもらえる?」

 ほんの隙を見て、真希乃は俊平に耳打ちした。

 俊平の説明はこうだ。

 例のごとく、現場をわかりもしない本社スタッフと開発メンバーが勢いだけで要件定義を進めてしまった。その要件も運用チームのメンバーには知らされぬまま、ものづくり開始。試験工程で発覚するバグ。「こんなものリリースできるわけがない」という運用およびヘルプデスクメンバーの声を無視して、開発は突き進んだ。そして無謀にもリリース。ほれ見たことか、ユーザークレーム、システムインシデントの嵐。その対応と原因分析および対策検討のための残業の日々が続く。それが、運用メンバーの疲れた顔色に表れている。

「なんでそんなものリリースさせちゃったの? あたしだったら全力で止めるけれど……」

 オトナの事情なんて知ったこっちゃない。真希乃は話を聞いているだけで募ったイライラを、目の前の俊平にストレートにぶつける。

「何を言ったってムダですよ。俺たち運用が何か言ったところで……」

 真顔で言い放つ俊平。「まったく、ユーザー(業務)部門出身の人はこれだから……」と言いたげな様子もうかがえる。 「で、開発メンバーはこの状況をどう見ているの?」

 真希乃はついつい詰問口調になる。

「うん、まあ……改修はしてくれているのですけれど、『基本、キミたちでナントカしてくれ』って……」 「ええ、それって『運用でカバーしろ』ってこと!? ふざけんじゃ……」

 静かなフロアに響く新参者の怒号。周りのチームの面々の視線が真希乃と俊平に集中する。

「しいっ、相良代理、声が大きいっす!」

 俊平はあわてて制する。

「運用でカバー」。このフレーズはメンバーをイラっとさせるらしい。向かいの舞の眉間がピキっとなったのを、真希乃は見逃さなかった。どうやらいままで見てきた世界とは、文化もメンバーのマインドもだいぶ異なるようだ。まさに運用軽視、現場を見ない「後手後手」のウォーターフォール型開発の地獄絵図そのもの。

「状況はわかったわ……」

 気分を取り直した真希乃。理解はしたが、納得はしていない。缶コーヒーをひと口すすり、続ける。

「それから、その相良代理って言い方やめてくれない? あたし、役職呼称ニガテなんだよね。なんだか昔のお役所や軍隊っぽくって……」

 真希乃でいいよ。俊平に念押しする。海外部門で「さん付け」「ファーストネーム」呼称に慣れきった真希乃にとって、どうにもこうにもこの文化は気持ちが悪い。いいんだ、当社はグローバルカンパニーを標榜しているのだから。昭和な日本文化は変えていかないと。そう自分に言い聞かせて、わが道を進むことにした。

 それにしても静かな職場だ。傍目にはリリース直後のドタバタが感じられない。なんていうか、皆が「おごそかにあたふたしている」感じがするのだ。まずもって会話がない。常に和気あいあいとしていた、海外マーケティング部門と同じ会社とは思えない。

 カタカタカタカタ……ターン!

 乾いたキータッチ音だけが、運用メンバーのいらだっている様子をフロアに自己主張する。

 配属初日にフロアを出る頃には、すでに22時を回っていた。他のメンバーも同じだ。

「今日はまだマシな方ですよ」

 帰り際、舞のひと言が追い討ちをかける。まったくとんでもない部署に来てしまった。

──このままで私、いいのかな……。

 体力もそうだが、自分のキャリアや将来にも疑問と不安を感じざるを得ない真希乃。いや、将来の話よりも、目先の残業だらけのリアルをまずはどうにかしたい。

──この状況、なんとか打破できないものか……?

 真希乃は切なげに、春宵のうっすらと霞がかった空を見つめた。

登場人物紹介1
登場人物紹介2
ここはウォーターフォール市、アジャイル町

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ここはウォーターフォール市、アジャイル町
ストーリーで学ぶアジャイルな組織のつくり方

著者:沢渡あまね、新井剛
発売日:2020年10月14日(水)
定価:2,280円+税

本書のポイント

・ストーリーでアジャイル開発の基本を学べる
・現場から目の前のことをどんどん解決していく方法が満載
・昔ながらの開発をしている会社でも、大企業でもできる
・開発に限らず、チームワークや部署間の連携にも効く

 

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【AD】本記事の内容は記事掲載開始時点のものです 企画・制作 株式会社翔泳社

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