マネジメントで挫折、中川氏の見出した自分が輝く道とは?
努力を続けた結果、中川氏には2つの明確な成果(アウトカム)がもたらされた。
1つは、コミュニティの友人の紹介から、「事業会社で働きたい」という希望を叶えてリクルートへの転職を果たせたこと。もう1つは、Pythonのカンファレンス「PyCon JP」への登壇が実現したことである。
中川氏は、「これらはインプット活動とコミュニティ活動によるアウトカムであり、最初の成功体験として鮮明に記憶しています」と振り返る。
リクルートの後、いくつかのスタートアップやベンチャー企業に転職した中川氏は、エンジニアリングマネジャー(EM)やCTOとしてキャリアアップを果たす。しかし、ここで3つ目の変曲点である「マネジメントへの挑戦と挫折」を味わうことになった。
「EMとしてはピープルマネジメントにしくじり、CTOとしてはチーム外のステークホルダーとの折り合いに苦労した。しかも、それがプロジェクトの納期やデリバリーにも影響する、悪い方のインパクトを残してしまった」と中川氏は悔しそうに語る。結果として、EMもCTOも途中で降りる形になってしまった。
この苦い体験から、中川氏は「自分はプレイヤーのほうが輝ける」という考えに至り、スタッフエンジニアの道を模索し始めた。
転職先でのスタッフエンジニアとしての仕事は、大きく分けて2つあった。1つは、データサイエンスやAI、機械学習に加えてクラウドも使えるという強みを生かし、社内でデータの利活用を推進し、高度な課題を解決すること。もう1つが、チーム全体の教育や意識づけを変えていくDevRel活動、採用活動、そして学生インターン・アルバイト・新卒社員の採用時のメンタリングだ。つまり、若年層を育てながらチームを形成し、適切にエンジニアを供給することで組織にバリューを出す仕事である。
これらに取り組みの中で、中川氏の代表作も誕生する。それが、2021年2月にローンチされた「AIワクチン接種予測」だ。
同システムについて中川氏は、「日本の会社の中でどこよりも早く出すことができたため、社会的にもビジネス的にも非常にインパクトが大きかった。エンジニアの視点からは、AIや高負荷対策、サーバーレスなどの技術を活用して、高いアベイラビリティ(可用性)のあるプロダクトを作れたので良かったです。これまでに学んできたものを取り込むことで、結果を出せた」と胸を張る。
この成功体験から、中川氏はチームとして働くことの楽しさとやりがいを再確認したそうだ。かつてマネジメントで挫折を経験し、プレイヤーとしてのキャリアを描いてきた中川氏だったが、チームワークによって成果を出すためのマネジメントにも再び興味が湧いてきた。こうして再度転職を決意し、現職であるアクセンチュア株式会社へ入社した。中川氏のエンジニア人生は、果敢に挑戦を続け、失敗から学び続けた23年間と言えるだろう。