ソフトウェアが生み出す自動車の「継続的な価値提供」
グローバルブランドスローガン「The Power of Dreams」からもわかるように、「夢」を大事にしているHonda。そんなHondaが今、夢として掲げているのが「人々に自由な移動の喜びを提供し続けていくこと」。自由な移動は、Hondaが目指す普遍的で本質的な価値。そしてその価値を生み出すのはソフトウェアであるという考えの基に生まれたのが「ソフトウェア・デファインド・ビークル(SDV)」であると、高橋豪氏は説明する。
高橋氏は2005年に関西の自動車部品メーカー(Tier1サプライヤ)に入社し、IVIのソフトウェア開発を担当。2024年にHondaに入社し、現在は、Honda Software Studio OsakaでIVIのソフトウェア開発を担当している。IVIとは「In-Vehicle Infotainment」の略称で、情報(インフォメーション)と娯楽(エンターテイメント)を組み合わせた造語であり、情報と娯楽を提供するシステムを指す。
現在、Hondaの次世代EV(Electric Vehicle)はSDVという考えかたを導入して、開発が進められている。 SDVがもたらすのは継続的なソフトウェアアップデートによる価値提供。これを目指す上で、現行世代におけるIVIソフトウェアの現在地はどのようになっているのか?「Android Automotive OS搭載車両をグローバルに順次、展開している段階にあります。さらに、ソフトウェアアップデートの配信も始まっています」と高橋氏は語る。例えば、駐車時の動画・ゲーム・ブラウザアプリの利用を可能にし、アシスタントからの提案表示、UXの向上なども行われている。「Hondaとして懸命に取り組んでいるものの、お客様は継続的な価値提供を本当に体感できているのか。もっとやれることがあるのではないか。そうした想いから、私たちが今取り組んでいるのが『協創』というアプローチです」(高橋氏)
アプリがクルマに搭載される時代!Hondaの新たな価値提供
ではHondaではどんな協創をしているのか。Hondaの協創の歴史について紹介したのは、高橋氏と同じくナビやコネクテッド機能の開発に携わる川口健志氏である。川口氏も2024年にHondaに中途入社。前職でも、IVIのソフトやカーナビ、音響設計などに携わっていたという。
「Hondaはこれまで多種多様な企業とコラボレーションしてきました」と川口氏は言う。その一例として最初に紹介されたのが、金融業界とタッグを組んで車載機器を決済端末にした事例。2017年1月には、米国最大のテクノロジー見本市「CES(Consumer Electronics Show)」で、In-Vehicle Payment(車載決済)のデモを実施したという。
またドワンゴとは、車速や走行距離などの情報に応じて、初音ミクがドライバーに語りかけるスマートフォンアプリ「osoba」を開発。最近の話題として紹介してくれたのが、伝説のポケモン「コライドン」を、Hondaの技術力でリアルなモビリティとして再現した事例。「これはビジネスではなく、夢を原動力に、人や社会に喜びを提供するという理念を体現した活動です」(川口氏)
IVI領域での企業コラボレーションは、2010年代前半から車載IVIのOSとしてAndroidの検討を開始したことから本格化した。2016年にはスマートフォンの機能を車で使うため、Apple CarPlayやAndroid Autoを搭載。2019年にはシリコンバレーのAIアシスタントベンチャーと協業して「Hondaパーソナルアシスタント」を商品化している。さらに2021年には、Amazonと協業し、Amazon Alexa Built-inを、直近ではGoogleとのコラボにより、Google Automotive Services(GAS)を搭載している。「このようにIVI領域でも最新技術を取り入れ、日々、進化させています」(川口氏)
今後、どのような企業コラボレーションが行われていくのか。「今は100年に一度の大変革期。技術動向、顧客ニーズがめまぐるしく変化しているので、先を読むことはできません」と川口氏。こういう時代に大事になってくるのは、スピーディーに市場に投入し、フィードバックをもらうこと。「これを実現するには、規模や業態にこだわることなく、自由な発想のスピード感あるコラボレーションが必要だとHondaは考えているのです」(川口氏)
その具体的な取り組み例の1つが「Honda Android Automotive OS Emulator」の公開である。これにより企業だけではなく、個人でも、誰もが車載環境上で動作するアプリを自由に開発、テストできるように整備したという。
もう一つの取り組みが、IVIにGoogle Playを搭載したこと。これによりHonda車のIVIは、Google Playを通じてサードパーティ製アプリケーションを車内に直接、導入できるようになる。つまり車両購入後もアプリの配信という形で新しい価値を提供し続けることができるわけだ。
「Hondaのプラットフォーム上で、ともにイノベーションを起こす仲間を広く募集する。そして新しいクルマの価値を一緒に作っていきたいというのがHondaの想いです」(川口氏)
出会いからテストまで、車載アプリのリアルな開発フローとは
実際、協創プロジェクトはどのような形で進んでいくのか。それを解説してくれたのが今井惇氏である。今井氏は高橋氏、川口氏と同じくインフォテイメントソフトウェアプラットフォーム開発課に所属しており、入社年も両者と同じく24年である。今井氏は21年に大学院を修了し、車載系ソフトウェア会社に新卒で就職。そこからもっと大きく自動車のソフトウェアの可能性を感じたいと思い、Hondaに入社したという。
「車載ソフトウェアは大きく制御ドメインとキャビンドメインに分けることができます」と今井氏は話す。制御ドメインとはいわゆるクルマの「走る」「曲がる」「止まる」に直接関わる部分だ。リアルタイム性や安全性の検証、制御工学やロボティクスなど、自動車開発に関する知見がソフトウェア開発においても求められる。例えばADAS(先進運転支援システム)のAdaptive Cruise Control(ACC)や自動パーキング機能などはその代表例だ。
対してキャビンドメインは「GUIもあり、アプリ開発者にそこまでディープな自動車開発についての知見は求められません。だからこそ今、エンジニアや様々な企業の方々に新しい価値を生み出す場として考えてみて欲しいのです」と今井氏は言う。
今井氏はその実例として、彼自身が携わり、リーディングした実際のコラボレーション事例を一部抽象化した形で紹介した。これからのクルマを通じたコラボレーションのあり方を、手触り感をもって、感じて欲しいという。まず、そのプロジェクトは以下の流れで進んだ。
- 出会い
- エミュレータの共有
- キックオフ
- デバッグやレビュー
- 実車テスト
- PoC(概念実証)の完了
このプロジェクトは、コラボレーションの相手となったスタートアップ企業ととあるイベントで出会ったところから始まった。その会社はクルマに関する新しいサービスを展示していた。「そのサービスのコンセプトに、モビリティの未来を感じました。その企業はAndroidベースのSDK(API)は既に完成している、車載アプリの形でももうすぐリリースできる、と言っていて、これはもう何とかプロジェクトを立ち上げて、実現しなくては、と思いました」と今井氏は話す。
プロジェクトを進める準備をしつつ、今井氏がまず行ったのは「Honda Android Automotive OS Emulator」の共有だと言う。「これはHondaとして一般公開済みだったので、そのWebページのリンクをただ送りました」
Honda Android Automotive OS Emulatorは、クルマが今何キロで走行しているのかという車両状態の制御も可能で、「世界中の誰にでも車載アプリの開発を始めてもらえます」と今井氏は語る。
Honda Android Automotive OS Emulator | Honda Global
Hondaがエミュレータを用意する背景にあるのが、IVIディスプレイの多様化。例えばHondaのアコードやシビックは横長型だが、VOLVO(ボルボ)やSUBARUは垂直型。ピラー・トゥ・ピラー(運転席のフロントガラスの柱から助手席の右端までを横断する大型ディスプレイ)などもある。そのため、アプリのUIも調整が必要になるが、アプリ開発のために実際のクルマを購入するのはハードルが高い。そうした背景から、Hondaはエミュレータを開発し、一般に公開している。
コラボレーションプロジェクトの話に戻ろう。エミュレータを共有し、Hondaと先方企業の準備が整ってきた段階で関係者を集めてキックオフを実施した。プロジェクトを進めていくため、あらためてそのサービスのコンセプトや本質的な価値を明確化。それに合わせて実際にアプリを使うユーザーがどんな道筋でその価値を体験するのか、を示すユーザージャーニーを設定し、アプリに必要な機能や画面遷移を整理する、といったプロセスも先方企業と一緒に進めていったという。「もちろん、アプリやサービスは先方企業に権利があるものですが、クルマを通じて新しい価値を世に出したいという気持ちは一緒。お互いに知恵やパッションをもって話し合いました」
デバッグやレビューのフェーズでは、先方が開発したアプリについて、Honda側でもインストールして動作を確認。設定したユーザージャーニーについて、まだ動いていない箇所を重点的に確認したという。「アプリケーションのソースコードは開示されていなくても、Hondaが開発しているIVIプラットフォーム側から、アプリが宣言しているパーミッションやコンフィグ等の妥当性はチェックすることができます。IVIプラットフォームとしての仕様や実装を確認し、レビュー形式で先方に情報共有していきながら、ユーザージャーニーを満たすように進めていきました」(今井氏)
アプリの動作が安定すると実車テストのフェーズに進む。エミュレータでシミュレーションできるとはいえ、大量のセンサーがついた実際のクルマでしかできないことがあるからだ。実車テストでは、今井氏は助手席に座り、ノートPCを開いてログなどを確認。「実車テストに携われるのは、クルマのソフトウェアエンジニアならではのものだと思います。私は個人的にとても好きです」と今井氏は笑顔を見せる。もちろん、実車テストにはアプリの開発企業もテスト場所に訪れ、動作確認を行ったという。
ユーザージャーニーが確認できると、PoCとしてのプロジェクトは完了となった。しかし延長戦として、このサービスは特にアメリカで重要になりそうだったため、Hondaのアメリカチームと連携し、現地でもプロジェクトを実施したという。日本で実車テストをする場合、研究所内など閉じられたエリアでしか実施できないが、アメリカだと公道で試すことができたため、グローバル企業で働く楽しさも感じられたと今井氏は語る。
「車載アプリはこれからどんどん裾野が広がり、人々のクルマでの移動体験を変えていくはず。興味のある人は是非一緒にクルマの新しい価値を生み出していきましょう」(今井氏)
自動車産業は日本の基幹産業である。この国が100年に一度の変革期を生き抜くためには、ソフトウェアの力が欠かせない。Hondaではソフトウェアの開発拠点を大阪や福岡、愛知(名古屋)などに新設し、全国のエンジニアに協力を呼びかけている。例えば今回登壇した高橋氏が所属するHonda Software Studio Osakaであれば、AD/ADAS、ビークルOS、スマートキャビン、SoC半導体、バッテリーなどの開発を行っている。最後に高橋氏は「Hondaの想いに共感できる方、関心を持った方はぜひ、Hondaと一緒に今日の続きをやりましょう」と語り、セッションを締めた。

