Pythonの20年前の姿「バージョン2.4」が今の基礎を作った
──寺田さんのこれまでのキャリアについて教えてください。
寺田学さん(以下、寺田):普段の仕事はCMSコミュニケーションズという会社で、Pythonを使ってWeb周辺の業務を全般的に扱っています。会社を興したのは、偶然にも20年前の2005年です。当時リリースされた「Plone」というPythonベースのCMSに出会い、その素晴らしさに魅せられて、これでやっていこうと思いました。

──寺田さんは多数のPythonコミュニティでも活動されていますよね。
寺田:まずは、PyCon JPの活動があります。PyCon JPは世界各地で行われているPyCon(Pythonカンファレンス)の日本版です。有志が集まってPyCon JPを2011年に立ち上げ、その後、2013年の法人化をしました。いまは、その法人である一般社団法人PyCon JP Associationの理事を務めています。
──PyCon JP以外の活動はいかがですか。
寺田:2024年には、「Python Asia Organization」というアジアのPython業界にフォーカスする団体を立ち上げました。その他、Pythonの試験を行う団体「Pythonエンジニア育成推進協会」で試験問題の担当として顧問理事をしたり、Pythonを管理する「Python Software Foundation」からフェローという称号をもらっています。先ほど話した「Plone」のグローバル法人から日本の「Plone Ambassador」に任命され、10年ほど活動しています。
コミュニティの話が仕事よりも長くなってしまいました(笑)
──さて、今年はCodeZineが20周年ということで、Pythonの20年間の歴史をひも解きたいと思います。先ほども話が出ましたが、20年前のPythonはどのような状況だったのでしょうか。
寺田:調べると、2005年3月に「Python 2.4.1」が登場しています。ただこの頃は、Pythonは日本でそんなに使われていなかったと記憶しています。当時を振り返ると、Perlを使ったWebサービスが主流で、世界的にもその流れは同じでした。
PythonもWeb系で育ってきた過去があるので、当時はWeb開発の用途で使う人が一般的だったのかなと思います。当時はZope/Ploneが突出して高機能だったため、私の用途ではWebが主でした。他にもRedHatやIBMのThinkPadに同梱されたりシステム管理用途に使われていました。
──Python2.4にはどのような機能があったのでしょうか。
寺田:私はPython 2.3から使い始めて、2.4になったとき、これはすごくいいなと思った記憶があります。中でも特筆すべきことは、Python 2.4から、日本語や中国語を扱うcodecsモジュールが正式に取り込まれたことでした。当時はiモードや携帯でWebサイトをブラウジングする時代で、そうするとWeb系ではShift-JISや日本語の文字コードがすごく重要でした。ただ、2.3の頃は標準ではなかったので、あえてインストールして使う必要があったんです。その必要性がなくなったという意味で、日本でPythonを使う人にとってはものすごく大きな進化でした。
当時のことを仲間と振り返ったときに思うのは、2.4である意味今のPythonの基本的な構造は出来上がっていた、ということです。2.4で出来上がったものが、最近リリースされた3.14にも継承されているように感じます。
──ありがとうございます。日本語対応以外ではいかがでしょうか。
寺田:Pythonには集合を扱うsetという標準の組み込み型があるのですが、これも2.4で初めて入りました。それからデコレーターが入ったのも2.4でしたし、ジェネレーター自体は前からありましたがジェネレーター式が入ったのはこのタイミングでした。やはり2.4で今の基礎を担うような部分がかなり整ったんじゃないかと感じています。
──ありがとうございます。次のパートでは、Python 2.4から現在のPython 3.14に至るまでの話を伺えればと思います。