音大からの「逆張り」キャリアと、コミュニティという原点
小田中育生(以下、小田中):新多さんとはPodcastやコミュニティのイベントでよくご一緒していますが、こうして改めてキャリアの根幹についてお話を伺うのは新鮮ですね。まずは、エンジニアとしてのスタート地点について教えてください。音大のご出身というユニークな経歴をお持ちですが、そこからどうエンジニアの世界へ入られたのでしょうか。
新多真琴(以下、新多):もともとは国立音楽大学でコンピュータ音楽を専攻していました。そこでプログラミングに触れる機会があり、「これは面白いかも」と直感したのが始まりです。そこから独学で掘り進め、インターンを経てDeNAに新卒入社しました。これまでに5社ほど経験し、前職のCake.jpでは執行役員CTO、そして現在はLayerXでエンジニアリングマネージャー(EM)を務めています。
小田中:新多さんの場合、学生時代からかなり本格的に技術にのめり込んでいた印象があります。
新多:実は当時、少し天邪鬼な選び方をしまして(笑)。学生時代はiOSアプリなどフロントエンドに近い部分を触っていたのですが、自分でサービスを一気通貫で作るにはサーバサイドを知らなければならないと思い立ちました。当時はちょうどRuby on Rails 3が出た頃で、世の中はRubyブーム。「みんながやっているなら、私は一番ニッチなところを攻めよう」と、あえてPerlを選んだんです。
偶然インターン先の面白法人カヤックがPerlを使っていたこともあり、社員の方に頼み込んで教えてもらいました。その流れで、YAPC::Asia Tokyo 2011という大規模なPerlのカンファレンスに参加しました。そこで、DeNAのマネージャーの方のセッションを聞いて「よく分からないけど面白そう!」と衝撃を受けたことが、DeNAへの入社を決める決定打になりました。
小田中:「逆張り」の精神で選んだ技術が、結果としてコミュニティとの出会いを生み、キャリアを決定づけたわけですね。もしYAPCに行っていなかったら、今の新多さんはなかったかもしれない。
新多:間違いなくそうですね。YAPCのようなコミュニティは単なる勉強の場ではなく、OSS文化へのリスペクトや、技術者が知見を還流させる「エコシステム」そのものです。その原体験があるからこそ、今の自分の活動があると思っています。
「目標達成したのに評価されない」──マネジメントへの目覚め
小田中:そこからエンジニアとしてキャリアを積み、前職ではCTOとして初めて本格的なマネジメント職に就かれました。一般的には現場でのリーダー経験やEMを経てからCTOになるケースが多いですが、新多さんの場合、その動機はどこにあったのでしょうか?
新多:きっかけは、メンバー時代に感じた「評価への強烈な違和感」でした。期初に立てた個人目標を超えて達成したのに、思っていたほどには昇給しないし評価もされない。「なぜだろう?」と不満を抱いていました。
当時の私は「自分の目標は達成しました。以上」というスタンスでしたが、上司からすれば、さらに上の階層へ私を推薦するための「材料」が足りなかった。つまり、上司をマネジメントする(マネージング・アップ)視点が欠けていたことに気づいたんです。
小田中:なるほど。「勝てば官軍」ではないですが、個人の目標達成と組織の評価の間にあるギャップに、システムとしての欠陥を見出したわけですね。そこで「評価されない!」と腐るのではなく、構造を理解しようとしたのが面白いです。
新多:当時のVPoEに不満をぶつけたら、「言うて新多さん、マネジメントのことよく知らなくない?」と痛いところを突かれまして(笑)。それもそうだと一念発起し、マネジメント関連の書籍を読み漁りました。その時に出会った『セキュアベース・リーダーシップ』という本が転機になりました。
その本を読んで、「マネージャーという役職についていなくても、メンバーの立場からチームに貢献できることはある」と気づいたんです。そこから、会議のファシリテーションを勝手に買って出たり、ポストモーテム(振り返り)のやり方を変えてみたりと、チームへの働きかけを実験的に始めました。そうやって試行錯誤する中で、「自分自身がマネージャーとしてチームに携わってみたい」という欲求が芽生え、CTO候補としてのオファーに飛び込むことになりました。
