莫大な金額を扱うシステムの重圧を越え、アジャイルを用いた理由
東証では、アジャイルに近い取り組みはあったものの、まだ本格的なアジャイル開発の経験はなかった。そのため「そもそも何をどう進めればいいのか」「品質管理はどうするのか」と数々の疑問が湧き上がり、また従来のシステム開発フローとも合致しないことも悩みだった。そこで、システム開発パートナーの富士通やVMwareと一緒に基本的なところから協議を始めた。
東証のIT開発部に所属する小林裕氏は「(時には億を超える)お金を扱う以上、間違ったらとんでもないことになります。謝罪ではすまされません」と言う。そう気軽にできるシステムではなく、上長からは「本当に(アジャイル開発で)大丈夫なのか」と厳しい目で見られた。当然ではある。社内における準備や折衝は模索を続け、数カ月を要した。
迷いながらもアジャイル開発を選んだ理由に小林氏は「やはり“分からない”のが大きかったです」と言う。つまり要件が明確に固められないのだ。前身となるシステムはないので白紙からのスタートとなる。関係者はそれぞれ違う意見を言う。どの意見を最も尊重すべきかも分からない。
顧客や関係者にヒアリングして仮説検証をしていくしかない。それも小さい価値を積み重ねたほうがリスクも少なく、確実だ。もし従来型のウォーターフォール的に進めるとなると、要件をしっかり固める必要がある。そして一度要件が固まってしまうと後から変更することは容易ではないため、必要そうなものはとりあえず要件に詰め込んでしまい、重厚長大なシステムになりがちだ。今回のシステム構築ではそのやり方は合わない。そうしてアジャイル開発をVMwareの協力を得て進めていくことにした。
開発開始当初3カ月は開発メンバーがVMwareの開発拠点「VMware Tanzu Labs」でアジャイル開発を学び始めた。コーチ役となるVMwareのメンバーと、学ぶ側の東証や富士通のメンバーがペアを組み、一緒に開発作業を進めていく。その後、拠点を富士通の「ONEbase by FUJITSU」に移し、東証と富士通のメンバーで1年弱かけて稼働まで漕ぎ着けた。現在も両社のメンバーで開発を続けている。
ONEbaseを初めて訪問した人はきっと驚くはずだ。軽食やドリンクがコンビニのように充実しており、デスクは昇降式、卓球台やバランスボールなども置いてある。岡崎氏は「こうしたものはアジャイル開発に必要かつ合理的であると分かってきました」と言う。就業時間中はずっとペアで過ごすので、気が張ってしまう。そこで誰でも楽しめるような卓球台や体を動かせるもの、昇降式デスクが役に立つ。
富士通の澤入瑛氏は東証のシステム開発に5年ほど携わっているが、アジャイル開発は初となる。「従来のウォーターフォールでシステム開発を受託する場合だと、何か問い合わせたいことがあれば質問票を作成したり、かしこまったメールを書いたりする必要がありましたが、チームで一緒に開発しているのですぐに聞けます」と話す。
アジャイル開発では小さな機能を積み重ねていく。これはスピードを速めることにもつながり、ローンチを急ぐ新規ビジネスにとっては大きなメリットになる。実際に、最初にできたシステムは本当に必要最小限の機能のみで、ユーザー登録やパスワード変更といった保守系の機能は実装されてなかった。
それでも最初はユーザー数が限られており、ユーザーのほとんどが機関投資家でETF業務のプロフェッショナルばかりなので支障はなかった。あらかじめ指定した値段で購入する指値という機能も最初は見送った。本当に必要な機能から徐々に作るので、途中で優先順位が高い機能に気づいたら柔軟に組み替えながら、システムを育てていく。
ただし本当に必要な機能やセキュリティはしっかりと作り込む。初期版は最小限とはいえ業務に必要な機能は確実に実装されていた。システムの幹だけはしっかりと作り、徐々に枝を加えていくようなイメージだ。