意外とアナログな機関投資家によるETF売買をシステム化したい
東京証券取引所(以下、東証)で扱う商品にETF(Exchange Traded Funds)がある。日経平均株価や東証株価指数などの指数に連動する運用成果を目指し、東証など証券取引所に上場されている投資信託の一種だ。
ETFは投資信託の一種なので、株式のように直接銘柄を選ぶことはなく、基本的には何らかの指標で選ぶため、株式ほどリスクは高くない。ただしETFが一般の投資信託と違うのは上場しているところにあり、株式と同様に証券取引所で取引する。そのため、その時の値動きに応じて売買できるのが特徴だ。ETFは個人投資家も売買できるが、今回の業務における顧客は主に機関投資家(国内の銀行や信用金庫などの地域金融機関、保険会社など)となる。
東証でETFのビジネス企画を担当する岡崎啓氏は、ETF売買で何が課題になるのかを顧客に徹底的にヒアリングした。全国津々浦々、150社ほど聞いてまわったそうだ。その結果分かったのは、機関投資家がETFを扱う現場はけっこうアナログだということだ。
ETFを売買しようとする機関投資家は電話で複数の証券会社などに現在の価格を聞く。電話なので、順番に聞いてまわる。すると、数社の価格を聞いた後に「では最初のところにしよう」と決めたとしても、その間に価格が変わってしまっていることもある。値動きは微々たる数字かもしれないが、機関投資家だと購買単位がとても大きいので値動きの差も大きい。
このETF売買業務のシステム化を考えた時、機関投資家が「この(ETFの銘柄)を買いたい」と問い合わせを一斉に発信すると、各社の価格一覧が返ってくるものをイメージした。機関投資家が逐一電話で問い合わせをしていた価格を、システムで一気に問い合わせるようなイメージだ。
岡崎氏が顧客に構想を話すと好意的な反応を得た。「ETFという商品がビジネスとして大きくなりそうだというのと、実際にお客さんが使いたいと言ってくれるので、サービスとして作りたいと思い、社内で検討を始めました」(岡崎氏)
元々の業務が電話による問い合わせなので、具体的にどのようなシステムにするかは全くの白紙だった。どのようなUIで、どのような操作で、どのようなシステム構成にするかなど。関係者と話を進めていくと「こういう機能があったほうがいい」という提案や、他社システムとの比較もあり、期待は高まっていく。「期待してくれるお客さんの顔が思い浮かぶので、いいサービスにしたい。同時に競争の世界ですので、出すのなら早く出したいという気持ちがありました」(岡崎氏)
まずは従来通りにシステム開発の見積もりをとってみると、それなりの金額や開発期間が提示された。ある程度は想像していたものの、予想以上で「困ったな」と頭を抱えていたところ、東証社内のシステム部門から「アジャイル開発でやってみるといいのでは」というアイデアが浮上した。
莫大な金額を扱うシステムの重圧を越え、アジャイルを用いた理由
東証では、アジャイルに近い取り組みはあったものの、まだ本格的なアジャイル開発の経験はなかった。そのため「そもそも何をどう進めればいいのか」「品質管理はどうするのか」と数々の疑問が湧き上がり、また従来のシステム開発フローとも合致しないことも悩みだった。そこで、システム開発パートナーの富士通やVMwareと一緒に基本的なところから協議を始めた。
東証のIT開発部に所属する小林裕氏は「(時には億を超える)お金を扱う以上、間違ったらとんでもないことになります。謝罪ではすまされません」と言う。そう気軽にできるシステムではなく、上長からは「本当に(アジャイル開発で)大丈夫なのか」と厳しい目で見られた。当然ではある。社内における準備や折衝は模索を続け、数カ月を要した。
迷いながらもアジャイル開発を選んだ理由に小林氏は「やはり“分からない”のが大きかったです」と言う。つまり要件が明確に固められないのだ。前身となるシステムはないので白紙からのスタートとなる。関係者はそれぞれ違う意見を言う。どの意見を最も尊重すべきかも分からない。
顧客や関係者にヒアリングして仮説検証をしていくしかない。それも小さい価値を積み重ねたほうがリスクも少なく、確実だ。もし従来型のウォーターフォール的に進めるとなると、要件をしっかり固める必要がある。そして一度要件が固まってしまうと後から変更することは容易ではないため、必要そうなものはとりあえず要件に詰め込んでしまい、重厚長大なシステムになりがちだ。今回のシステム構築ではそのやり方は合わない。そうしてアジャイル開発をVMwareの協力を得て進めていくことにした。
開発開始当初3カ月は開発メンバーがVMwareの開発拠点「VMware Tanzu Labs」でアジャイル開発を学び始めた。コーチ役となるVMwareのメンバーと、学ぶ側の東証や富士通のメンバーがペアを組み、一緒に開発作業を進めていく。その後、拠点を富士通の「ONEbase by FUJITSU」に移し、東証と富士通のメンバーで1年弱かけて稼働まで漕ぎ着けた。現在も両社のメンバーで開発を続けている。
ONEbaseを初めて訪問した人はきっと驚くはずだ。軽食やドリンクがコンビニのように充実しており、デスクは昇降式、卓球台やバランスボールなども置いてある。岡崎氏は「こうしたものはアジャイル開発に必要かつ合理的であると分かってきました」と言う。就業時間中はずっとペアで過ごすので、気が張ってしまう。そこで誰でも楽しめるような卓球台や体を動かせるもの、昇降式デスクが役に立つ。
富士通の澤入瑛氏は東証のシステム開発に5年ほど携わっているが、アジャイル開発は初となる。「従来のウォーターフォールでシステム開発を受託する場合だと、何か問い合わせたいことがあれば質問票を作成したり、かしこまったメールを書いたりする必要がありましたが、チームで一緒に開発しているのですぐに聞けます」と話す。
アジャイル開発では小さな機能を積み重ねていく。これはスピードを速めることにもつながり、ローンチを急ぐ新規ビジネスにとっては大きなメリットになる。実際に、最初にできたシステムは本当に必要最小限の機能のみで、ユーザー登録やパスワード変更といった保守系の機能は実装されてなかった。
それでも最初はユーザー数が限られており、ユーザーのほとんどが機関投資家でETF業務のプロフェッショナルばかりなので支障はなかった。あらかじめ指定した値段で購入する指値という機能も最初は見送った。本当に必要な機能から徐々に作るので、途中で優先順位が高い機能に気づいたら柔軟に組み替えながら、システムを育てていく。
ただし本当に必要な機能やセキュリティはしっかりと作り込む。初期版は最小限とはいえ業務に必要な機能は確実に実装されていた。システムの幹だけはしっかりと作り、徐々に枝を加えていくようなイメージだ。
アジャイルを実践したことで得られた学びとは
アジャイル開発は手段であり、目的ではない。欲しい機能を形にすることを優先する。例えビジネス側がユーザーへのリサーチを経て「こういう機能や業務を実現したい」と言えば、開発側が「それなら、こういうやり方がある」と提案し、一緒に開発していくという流れでペアワークを進めていく。
小林氏は「細かいテクニックやデザインの仕方、気分転換の方法など、当初のVMwareとの3カ月でかなり吸収できました。こういうのは本を読むだけではなかなか分かりません。社内メンバーにアジャイル手法を伝授するにも付け焼き刃の知識ではなく『ここはこういう理由で意味がある』と自信をもって説明できます」と話す。隣で岡崎氏は「あれが1カ月だったら無理でしたね」と苦笑いする。貴重な3カ月だったようだ。
アジャイル開発を経験したことで、岡崎氏と小林氏は口をそろえて「選択肢が増えた」と評価している。アジャイル開発を会得したからといって、これからすべての開発がアジャイルになるとは限らない。定型的な業務で今後もそう変わらないのであれば、従来通りの開発手法でもいいかもしれない。今回のように要件を明確に決めるのが難しく、模索が必要な新規開発であれば、アジャイル開発が向いているかもしれない。状況に応じて開発のスタイルを選択することが可能になったと岡崎氏は見ている。今後はガイドラインを整備していく予定だ。
現在、システムは130社ほどが利用している。ユーザーはブラウザでアクセスし、ETFの銘柄コードを入力して送信すると、各社からの提示価格が表示される。最も安いものだけが購入できるようになっており、不利な価格のものは購入できず、不必要な情報は表示しないなどの配慮もある。
また面白いのが金額を入力するところで「1億円」「1000万円」などのボタンが用意してあるところだ。3億円なら「1億円」ボタンを3回押せばいい。ユーザーはプロフェッショナルとはいえ、桁数が大きいため数字の直接入力よりはボタンのほうが楽で確実だ。このボタンはユーザーから好評だそうだ。
これまで電話で30〜40分かけて価格を比較してから購入していたところ、1度に価格が表示されるため数分でこの業務を終えることができるという(ただ操作するだけなら10秒程度だが、金額の大きさや確認事項もあるので実質的には数分程度かかる)。
これからアジャイル開発に挑戦しようとする人や企業に向けて、小林氏は「アジャイル開発に『興味はあるけど、うちはムリ』と思うなら、まずはやってみてください。きっと学びがあると思います。経験を積んだVMwareの先生がついて教えてくれますので、本格的なやり方が分かるようになります」とエールを送る。
続けて岡崎氏も「アイデアは既存業務のなかにたくさん眠っていると思います。今回みたいに『こういうサービスあったらいいのに』と思うケースはたくさんあり、選択肢がウォーターフォールだけでは対応できないこともあると思います。また開発を依頼するのではなく、主体的に開発に携わることで納得感あるプロダクトを作ることができます。これからの新しい手法や選択肢を増やすという意味で、アジャイル開発にチャレンジしてみるといいと思います」とアドバイスした。
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