育児との両立に葛藤。26年間のキャリアジャーニー
前田氏は、日本ヒューレット・パッカードで19年間エンジニアとして勤めたあと、現在はITコンサルティングファーム、ウルシステムズでディレクターとして活躍している。
IT業界に長く身を置いている前田氏は、尊敬する先輩や同僚に恵まれながらも「この人のようになりたい」と思うロールモデルはいなかったという。「ロールモデルは私自身」だと語る前田氏は、どのようにキャリアを重ねてきたのか。

大学で数学を専攻していた前田氏は、自然な流れでIT業界に就職。性別にかかわらず実力主義で評価される世界がよいと、外資系の企業を志望し、日本ヒューレット・パッカードに入社した。

「入社してからモチベーションはずっと右肩上がり。新人なので技術をどんどん吸収できて、何をするにも面白い時期だった」と前向きだった新人時代を振り返る。その甲斐あって若手有望株として期待された前田氏は、早いうちにプロジェクトリーダーを経験した。
そんな中、転機となったのは子どもの誕生と、それに伴う1年間の育児休暇の取得だった。
社内の女性社員が産休・育休を取得して復職する例はこれまでもあった。しかし、エンジニア職の育休取得と復帰は前田氏が初めてだった。
「エンジニアというポジションで復職したことがチャレンジだった」と前田氏。子どもの夜泣きで慢性的な睡眠不足のなか、周囲に迷惑をかけられないという思いで必要以上に頑張りすぎて過労になった。「今振り返っても過酷な日々だった」という。
30歳を過ぎると、育児にも仕事にも慣れてきた。しかし、今度はその「両立」に葛藤することになる。「仕事をもっとバリバリしたいけれど、子どもにも寄り添いたい」という答えの出ない悩みを抱えていた前田氏。一時は子どもが大病を患ったことで、さらに心労が重なり自分自身も体調を崩してしまった。
そこに加えて、プロジェクトマネージャーの打診があった。前田氏は、大変な状況にもかかわらずプロジェクトマネージャーを引き受けた。そして“チーム前田”は順調にプロジェクトを成功させていったという。
「チーム前田のプロジェクトはのきなみ成功し、案件を立て続けに受注。この時期は失注した案件が一つもないという無双状態が続いていました」
プライベートでは子どもがジャズダンスを習い、コンクールに出場するほど打ち込んでいたので、保護者がサポートする場面も多かった。「仕事ではチーム前田、プライベートでもチーム前田。チームとして切磋琢磨していた時期」だった。
この時期を経て「チームとして助け合い、価値を出すことがどういうことかわかった」と前田氏は振り返る。数々の困難を乗り越えて、40代に差し掛かるころにはエンジニアとしては「やりきった」と思えるほどに成熟していた。
これ以上伸びしろはないのでは、と感じていたタイミングで、ちょうど会社のビジネス戦略の転換があり、前田氏は転職することに。「お客様に誠実に、お客様のためになる仕事をしたい」という思いから、ITコンサルタントに転職。現在は、ディレクターとして上流の企画・構想のフェーズに携わっている。これは前田氏の「念願」の仕事だったという。
「ITコンサルタントは、お客様が行きたいところに向かって、時には背中を押し、時には引っ張って連れていく仕事。その中でも、お客様が行きたいところ、行くべきところを見つけるのが企画・構想と言われている上流フェーズです。何としてもここから支援に入りたいというのが私の思いでした」
この念願の仕事に向き合えているおかげで、現在の前田氏のモチベーションは新人時代同様に上がり続けている。
キャリアを前進させた、たった二つのポイント
26年間のキャリアの中でさまざまな岐路にぶつかった前田氏。どのような軸で判断を下してきたのだろうか。
これまで前田氏が大事にしてきたのは、「完璧を目指さず、小さくても一歩踏み出してみる」ことと、「面白そうと思えたらやってみる」こと。このたった二つだという。
キャリアの選択に迷ったときに、指針となるロールモデルがいなかった前田氏。「悩む時間がもったいないからやってみれば」というアドバイスをもらうこともあったが、その言葉だけでは動けなかった。そこに「面白そう」という気持ちがなかったからだ。
「私のキャリアにおいて『面白そう』という気持ちは、本当にシンプルで小さな気持ちです。ただ私にとっては、それが非常に大事なことでした。不安や心配事がなかったとしても、面白そうという気持ちがなかったら、前には進めなかったと思います」
ただし、「面白そう」という感覚は急には沸いてこない。不安や心配を一度飲み込んでから、「私だったら何が面白そうと感じるかな」と考えて進んできたという。
たとえば、一つ目のキャリアの転機だった「育児休暇取得後の復職」。このときは会社で「前例がない」ことも、前田氏が「面白い」と感じるポイントだった。たくさんの不安があったが、「第一号になる面白さがあるのではないか」という気持ちで開発現場に戻ったという。
また、仕事と育児の両立に葛藤しながらプロジェクトマネージャーのオファーを受けた際も、「自分のチームを作るってどんな感じだろう。見たことのない世界を見てみたい」という興味が前田氏を動かした。
しかし、この時の決断には「すごく時間がかかった」という。不安や心配が多かったので、最初の一歩として「信頼する方に右腕になってもらおう」と決めて動き出した。
その結果、よいチームを作ることができ、チームがもたらす相乗効果を知ることができた。「今もチーム力で仕事をすることをとても大事にしていて、この経験が原点になっています」と前田氏。
この「面白そう」を原動力に、前田氏は40歳での転職も果たした。ウルシステムズのDNAである顧客志向と、自身の考えが重なっていると言い、「お客様の課題解決のことだけ考えて仕事ができるなんて最高」と語る。
そして現在は、ディレクター(部長)の立場で活躍する前田氏。
「管理職になるというところに戸惑いを感じている方もいらっしゃるかもしれません。私もそうでした」と話し、管理職の「面白そう」なポイントを見つけるのに苦労した経験を共有した。

自分が部長としてマネジメント組織を持つにあたって、何が面白いポイントになるのか、長い間答えは見つからなかった。ディレクターという立場の面白さを想像できるようになったのは、前田氏が「企画・構想に携わって、お客様がどこに向かうべきかもう少し深く考えたい」という気持ちが芽生えてきてからだった。
ディレクター「だからこそ」やれることがあるかもしれない、という考えに至ったので、管理職に就任する決断ができたという。
その結果、自分で部の戦略を考え、組織を作るといった仕事を通して、やりたかったことが実現できているという。ディレクターというポジションだからこそ、前田氏自身の「面白そう」をかなえることができたのだ。
一人のロールモデルがいないから、未来を自由に想像できる
小さな「面白そう」をきっかけに、キャリアを前進させてきた前田氏。「キャリアの中でロールモデルということを持つことはなかった。おそらく今後もない」という。
「誰か一人をロールモデルにするのではなく、いろいろな方のいろいろなところを参考にして、仕事をしていく。これがかえって自分に自由をもたらしたんじゃないかなと思います。少し先の未来を想像する好奇心と、未来への情熱を持つことにつながりました」
ITコンサルタントになった前田氏は、エンジニア時代の技術を駆使する役割から、技術をビジネスや業務に生かす役割に変わった。「お客様が見たことがない未来を想像するのは、何にも変えがたい醍醐味」と語る。
自分にとって面白そうかどうかを考えてキャリアを選択することも、未来を想像することと似ている。2つのポイントを大事にしてきた結果、ITコンサルタントという職種にたどり着いた前田氏だが「必然だったのではないか」と振り返った。
前田氏は最後に、キャリアに悩む参加者に向けてメッセージを送った。
「キャリアは誰のものでもありません。皆さん自身のものです。迷った時に『面白そう』という気持ちを信じてみてほしいです。追いかける背中がなかったとしても、自分の気持ちを信じてみてほしい。その選択がきっと誰かの未来や希望になると思いますし、皆さんが“わたし色”で輝くことを心から願っています」