2つの常識
まず常識をざっくり2つに分けてみることにします。
- 一つは、「世界中のどこでも変わらないこと」。例えば「1+1=2」のような常識。
- そしてもう1つは、ある組織内(個人)だけで通用している常識。
ここでは、前者を「絶対常識」、後者を「相対常識」と呼ぶことにします。これらはキッパリ2つに分けられるものではなく、連続的な傾向としての概念であることに注意してください。
この連載では両者の違いを意識しながら進めていきます。以降、相対常識と絶対常識がそれぞれに変貌していく現象にまで触れていけたらと思います。
絶対常識
まずは絶対常識について考えて見ましょう。
「1+1=2」
これは世界のどこへ行っても変わらない常識と言えるでしょう。即座に「2」という答えが出てきます。
「コンロの火に10秒手を突っ込むと火傷する」
これも変わらない常識と言っていいと思います。痛い思いをする前に手を引っ込めます。
このように絶対常識は比較的分かりやすい概念のように思われます。
分かりやすくて普遍的であるが故に、人から指摘された場合、恥ずかしさの感情が起きたとしても、すぐに学習しようとする傾向にあるようです。
頑固者は「痩せ我慢」という手法で抵抗することはあっても、繰り返すことは望まないでしょう。
相対常識
やっかいなのは相対常識です。
無意識下にブラックボックス化された常識は、マズローの欲求段階説で言うところの安全欲求にあたると言われています。生理的欲求の次に本能レベルに近いということです。
人それぞれが大切にしているものでもあります。ここを肯定されると人は安心し、常識はさらに強化されます。しかし否定されると即座に身を守る反応をします。軽度のものはコミュニケーションを生み、重度のものは軋轢を生みます。
「ラーメンは絶対こってり系だよね」「いや、絶対あっさり系だよ」
この程度の個人個人の相対常識のぶつかり合いであればコミュニケーションと呼べる範疇でしょう。
しかし、活造りのお頭がパクパクいってる様を他国の人が見たらどうでしょう。日本人なら新鮮でおいしそうと感じるでしょうが、他国の人にとっては「なんて残酷なことするのだ!」と感じるようです。 コミュニケーションの範疇を超えて軋轢を生んでしまいそうです。
エンジニアと営業、ハード屋とソフト屋、自分の部署と他の部署、日本人と外国人、男と女……。
このように、相対常識とは個人、個人の所属する組織、立場、環境などによって変わる、価値観のことと言っていいでしょう。
厄介なことは……
相対常識が、それを信じる人の中では絶対常識化しているということが往々にしてあることです。
つまり、価値観に過ぎないことが常識と信じられていることです。相対常識が違う人同士が主張を始めたとき、軋轢が発生します。
- Aさん「仕事中にガムとは何事だ!」
- Bさん「ガムを噛むことでストレス軽減と眠気防止と、何よりタバコが減るでしょ!」
- Aさん「ガムはお菓子だろ! ここは学校じゃないんだよ!」
- Bさん「学校でお菓子食べたら怒られるでしょ! ここは会社だよ!」
相対常識とは、かくも人の心をかき乱します。常識とは本来、人の心を安定させるための存在であるはずなのに皮肉なことです。
エンジニアの仕事はクライアントが抱える問題(多くが煩雑さや物量の多さ)を技術で軽減してあげることにより対価をいただく仕事です。求められるのは最大公約数的ソリューションであるため、絶対常識の要素を要求してきます。相対常識と絶対常識の対峙構造が常にあるということです。
「他のシステムではどう設計してるんだろう? そもそもあるべき設計はこれでいいのか?」
エンジニアの仕事って、なんて悩ましく、ややこしく、深い世界なんでしょう。
だからこそ、いいものを開発したときの達成感、世に出せたときの貢献感、このエンジニアに与えられた特権を最大限に味わいたいものです。
少々硬くなりましたね。次回は具体例をあげながら、もう少しやわらかくいきたいと思います。