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クラウドネイティブ時代のデベロッパー生存戦略

メルカリは日米英で異なるインフラを採用――メルカリのインフラの変遷を ソウゾウ 鶴岡達也さんに聞く

クラウドネイティブ時代のデベロッパー生存戦略 第4回(前編)


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ウノウ、起業を経てメルカリにジョイン。鶴岡さんのキャリア

吉羽 鶴岡さんはメルカリに入社するまではどのようなキャリアだったんでしょうか?

鶴岡 キャリアのスタートは2005年に入社したウノウです。現在のメルカリの代表である山田が、ウノウの代表だったころに書いていたブログを読んだのがきっかけです。当時はWeb 2.0が騒がれ始めてた時代で、「フォト蔵」という画像共有サービスを作っていました。

 その後、起業することになりました。知り合いに誘われたのが理由ですが、他にも、当時のウノウに影響を受けたところもあります。当時はまだ10人もいないような小さな規模で、渋谷の道玄坂にある狭いオフィスで働いていたんですね。そういうのを見ていたら自分でもやりたくなって、会社を作ることにしました。ポール・グレアムが書いた『ハッカーと画家』を学生時代に読んで、憧れていたんです。なので、そんなに迷うことなく1社目を作りました。最初、エンジニアは僕1人しかいなかったので、サーバサイドからフロントエンド、インフラまで、技術に関する所は全部見ていました。

吉羽 当時はどういうサービスを提供していましたか?

鶴岡 アルバイトのシフトを管理する、BtoBtoCのサービスです。管理側はパソコンから、アルバイトの人は、当時スマートフォンがなかったので、ガラケーからシフトを申請したり確認したりできるサービスです。

 当時はパケット定額じゃない人もたくさんいたので、いかに転送量を少なくするかといった工夫をしていました。PCサイトのインターフェースもFlash Liteで書いてましたね。

 その会社を3年半くらいやり、ある程度形になってきたので2社目を作りました。2社目を作ったタイミングでは、OpenSocialというSNS上のアプリケーションのためのAPI仕様にmixiが対応し始めたころで、SNSをプラットフォームとしていろんな会社がゲームを出せるようになったんです。そこで、ソーシャルゲームの会社を作りました。

 まだスマホが普及していなくて、ガラケー向けのアプリを作っていました。なので、使う技術はそれまでと一緒で、サーバサイドをPHPで作って、フロントエンドはガラケー向けのHTMLとCSSで。あとはゲームの企画もしていました。

 当時のソーシャルゲーム業界は、出せばすぐ売上が立つというゴールドラッシュのような時代だったんですね。ウノウも「まちつく!」というゲームを出してすごくヒットしていましたが、僕らも出せばすぐに大勢のユーザーが来て遊んでもらえていました。ただ、だんだん後から競合がやってきて、クオリティも徐々に上がってくるので、当時1000万かからないくらいで1本作れたのが……。

吉羽 3か月ぐらいで一気に作るんですよね。

鶴岡 そうです。そんな牧歌的な時代がありましたが、だんだん掛け金が上がってきて難しくなってきます。

吉羽 今、スマホゲームは億単位ですもんね。

鶴岡 そうなんです。しかもコケたりしますからね。ゲームがどんどん高度化してコンシューマーゲームに近づいている状況で、ゲームを作って勝負していくのが難しいと思い、ゲーム以外のウリを作りたいと思っていました。そこで一つ思いついたのは、ソーシャルゲームを作る時にサーバサイドには共通するコードがたくさんあると思ったので、ライブラリ集のようなものを作っておこうと思ったんですね。そこを丁寧に揃えて。他にも、当時のPHPのフレームワークは重いものが多かったのですが、ソーシャルゲームに特化した、高速なフレームワークを作っていました。

 そうしているときに、いろんな会社から「手伝ってほしい」と言われたんです。ヒットゲームを作ったところはとにかくエンジニアが足りない状態になっていたんですね。

 その時に大手ネット企業の案件を手伝うことになったんです。自分の会社で作っていたフレームワークやライブラリを使うとすぐ作れるよと紹介して、普及させていきました。

 そんな感じで働いていたとき、ウノウをZyngaに売却した、代表の山田がZyngaを辞めて世界一周して戻ってくるんです。戻ってきた時に新しい会社(メルカリ)を始めるということで、メンバーを集めるためにいろんな人に声を掛けたんですね。それこそTwitterやFacebookで募集したりしてて。

 山田からFacebookでメッセージが来たので、すぐに会ってランチをして、新しい事業の構想を聞き、面白そうだったので開発を手伝うことにしました。

 そうやって10人弱ぐらいのエンジニアが渋谷に集められて、もう1人の共同創業者である富島(寛)と山田とでフリマアプリを作るという説明を受けました。その中からさらに絞って最初のメンバーを結成していった感じですね。僕は最初、土日だけ手伝うという形で関わっていきました。

吉羽 最初は社員ではなくて業務委託としてだったんですね。

鶴岡 そうなんです。でも1、2か月して、こんなすごいメンバーと一緒にできるのが面白いなと思って、抱えていた案件をリリースした後に正式にメルカリの社員になったんです。

――中編につづく:中編では、メルカリの新アプリ「メルカリ アッテ」にGoogle Cloud Platformが採用した理由について伺いました。

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CodeZine編集部(コードジンヘンシュウブ)

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吉羽 龍太郎(Ryuzee.com)(ヨシバ リュウタロウ)

 クラウドコンピューティング、DevOps、インフラ構築自動化、アジャイル開発、組織改革を中心にオンサイトでのコンサルティングとトレーニングを提供。 認定スクラムプロフェショナル(CSP) / 認定スクラムマスター(CSM) / 認定スクラムプロダクトオーナー(CSPO)。Developers Summit 2016ベストスピーカー(1位)。 著書に『Amazon Web Services企業導入ガイド』(マイナビ)、...

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