不確定な現実世界ではまだまだ人間のほうが上
三宅:本書ではアルファ碁を構成する様々な技術が解説されていますが、これらは囲碁AIを離れても活用できるんでしょうか。昔はコンピューターの性能も低かったので、まずは将棋や囲碁といった箱庭でAIを成長させようという考えがあったと思います。しかし今、箱庭の中でAIは圧倒的に人間より強く、特にアルファ碁は現実に飛び出す直前のように感じます。
つまり、これから世の中に展開されるべき技術が詰まっているわけです。大槻さんはアルファ碁によって社会がどう変わっていくと考えていますか?
大槻:たとえば、先ほども挙げた自動運転はアルファ碁と似たような技術が使われることになると思います。最初に周りの状況をセンシングして、そのデータをディープラーニングなどで認識します。次に、人をひきそうになったり中央分離帯にぶつかりそうになったりしたら、それらを避けるように経路を探索するといった具合です。
また、これまでAIが経験したことのないような現実の道を走らなければならないので、強化学習も重要な要素となると思います。逆に言えば、アルファ碁は重要なエッセンスが詰まったAIだとも言えますね。
三宅:アルファ碁は未来を示唆する記念すべきAIの終端であり、出発点であるということですね。囲碁と現実の大きな違いは、ターン制かリアルタイムかということです。これを踏まえ、アルファ碁の技術を現実に応用する際のポイントはどこにあるんでしょうか。
大槻:囲碁はルールがかっちり決まっていて、AIにとって扱いやすいんです。ですが、現実での自動運転を考えてみると、画像認識しようにもその画像はノイズだらけで、見たこともない場面ばかりのはずです。それをリアルタイムで処理するのは、囲碁とはまったく異なる問題です。
三宅:アルファ碁はいわばエレガントな実験室の存在ということですか。しかし、ようやく現実の端っこに手をかけられるようになったと。アルファ碁を踏み台にしてこれからのAIが展開されていくんですね。
現代社会を生きている人、とりわけ研究者以外の一般の方にとって、アルファ碁が生まれたことはどういう意味を持つんでしょうか。AIがこれほど取り沙汰されることはありませんし、社会的な影響がありましたよね。
大槻:囲碁は選ばれし人々の世界で、そこに君臨する最強の人間に勝ったわけですから、AIの一つの到達点として大きな意味を持っていると思います。ただ、囲碁という限られた環境であったということは押さえておくべきでしょう。
不確定な世界の意思決定ではまだまだ人間のほうが上です。
三宅:囲碁で人間を越えたからといって、現実でも人間を越えているわけではないと。
大槻:そうです。人間社会には明確な目標を定義しにくい事柄もたくさんありますし、今のAIに、たとえば会社の社長の代わりを任せるのはとうてい無理です。
人間から能力を引き出すAIを作るのはまだ難しい
三宅:AIは60年ほどの歴史がありますが、アルファ碁はAI史の中でどう位置づければいいんでしょうか。
大槻:私はゲームの世界にいたので、チェス、将棋、囲碁と舞台が変わるごとにAIが発展してきたのを知っています。そして囲碁で勝てば、ボードゲームはコンプリートだと思います。
三宅:つまり、AIをボードゲームで育てるというのはこれで終わりということですね。とすると、これまではボードゲームという問題を設定ができたわけですが、今後はどうしていけばいいんですか?
大槻:一つは、どうやって弱いAIを作るかですね。
三宅:弱いAIは難しい?
大槻:接待麻雀ではないですが、明らかに弱いのではダメなんです。ちょっとうまい感じで対戦できるんだけれど、最後は勝たせてくれる。相手を勝たせて喜ばせるような、あるいは弱い人を育てるAIは難しいんですよ。
三宅:人を強くするにはAIに何ができればいいんですか?
大槻:そこをうまく定義できないのが難しい理由なんです(笑)。
三宅:囲碁でも指導碁がありますよね。真剣勝負ではなく、強い人が弱い人を育てるものです。これは何をやっていることになるんでしょうか。
大槻:強い人は指導碁で本気で勝ちに行くのではなく、「この手をとがめる良い手を見つけてくれよ」と相手の良いところを引き出すような打ち方をしているはずです。
三宅:これからは人間から能力を引き出すような囲碁AIが研究されていくと。いや、おもしろいですね。そういう発想はあまりありませんでした。これまでは人間がAIに能力を与えてきたわけですが、今後はAIのおかげでプロになれたという棋士や、AIに教えられて運転やスポーツがうまくなったという人が出てくるようになりますね。
大槻:AIと人間の共存と言えます。
三宅:人間の能力を引き出すAIは囲碁を越えて研究されるべきテーマですよね。
大槻:そうなんですが、今のところはまだ全然できていません。単純に強くするというのはわかりやすいので取り組みやすく、どんどん発展してきたんだと思います。ですが、そうではない方向性では、今のところ優れた成果は少ないのではないでしょうか。おそらく、「弱いAIができました」といっても注目されづらいというのもあると思います。
三宅:アクションゲームだと絶対にAIが強く、そもそも手加減するところから始まるんです。エンターテインメントのAIなので時代劇のやられ役を作るようなものです。ユーザーにばれないようにするのも重要で、「あと一撃喰らったら危なかった、でも勝った」ということを演出します。
大槻:そうした知見はおおいに役立つと思いますね。
三宅:ゲームAIではユーザーの心理を考慮するんです。緊張度曲線を取って、緊張していると敵を少なくして、リラックスしていると敵をたくさん出す。緊張と緩和をアップダウンさせるのがエンターテインメントのおもしろさです。ずっと緊張でも、ずっと緩和でもおもしろくないですから。
将棋や囲碁も相手が緊張しているときは易しい手を、リラックスしているときは厳しい手を打ってあげる、ということができるかもしれません。難しそうですか?
大槻:そこが上下すると相手にとって気持ち悪いんですよ。一連の流れが重要で、その流れを感じられないと相手は非常に不愉快に感じてしまいます。
三宅:ということは、囲碁AIは我々が言う流れを感じているんですか?
大槻:一手一手考え直すので、流れを意識していません。
三宅:それでも人間より強いですよね。要するに、本来は強さに手の流れなんて関係ないということですか。
大槻:囲碁の神様から見ると関係ないのかもしれません。でも、人間は、考えるときにある程度流れがないと考えられないんです。
三宅:みずから問題を狭めているんですね。しかし、どうして囲碁AIは流れがわからないんですか?
大槻:わかる必要がないのかなと(笑)。最近のアルファ碁は何をやっているのかわからないと言われますから。
三宅:アルファ碁の自己対戦が公開されていますが、あれはどうですか?
大槻:あっちに打ったりこっちに打ったりで、もう全然意味がわからないと言われているみたいでね。
三宅:人類は囲碁を長い時間をかけて探求してきました。アルファ碁の登場で、その深みはもうわかったということでしょうか。
大槻:アルファ碁の向こうに何があるのかは誰にもわかりません。ただ人類に囲碁は難しすぎるということはわかったのかもしれません。
三宅:なるほど(笑)。これからは人間とAIがペアを組んで物事に取り組むことが増えていくと思いますが、たとえば人間とアルファ碁のペアとアルファ碁単体の対局だとどちらが強いんですか?
大槻:アルファ碁がはるかに強すぎて人間がパートナーになりえない可能性が高そうです。ペアが拮抗しているとよさを引き出し合えると思いますが。
一足飛びにAIで何でもかんでもやることはできない
三宅:大槻さんは今AI研究のかなり高みにいらっしゃいますが、そこから見える未来はどういうイメージですか?
大槻:予測はなかなか難しいです。ですが、ディープラーニングや強化学習がどこまで社会に入り込んでいくのかは興味を持っています。
三宅:大槻さんからすれば自明ではないんですか?
大槻:囲碁の世界と現実世界のギャップはやはり相当大きいんですよ。産業界の人とアカデミックの人では受け止め方が異なり、現場の人ほどAIに抵抗感があるように感じます。
現状とそこのギャップが埋まってくるのかは楽しみです。研究者でも、立場が違えば皆さん真逆のことを言いますし。
三宅:そこは意外ですね。むしろ一般の人はAIのニュースを毎日見聞きしているでしょうから、すぐに応用されていくと思わざるをえない状況にあると思います。ですが、大槻さんからすればそう簡単ではないと。
先ほど、本書は高校生でも読めると言いましたが、おそらく中学生でも読んでいいと思います。というのは、全部は読みきれなくても、AIの全体像を掴むうえでは役立つからです。全体像がわかれば、日頃のニュースを判断することもできるようになりますよね。
あと、本書はビジネスマンにもおすすめです。どの企業でもAIに注目していて、でもどうしたらいいのかと困っているはずですから。AIとどう向き合うべきかは、直近の課題ではないでしょうか。特に、AIやディープラーニングを応用しなければいけないと考えている企業も多いかもしれません。方法と目的がちぐはぐになっているのは危ないですね。
大槻:私もそう思います。まずは自社の現状を分析して、前提と目的をはっきりさせることです。一足飛びにAIで何でもかんでもやってみることはできませんから。
まずは現状のデータをしっかり集めること。囲碁もプロの棋譜3000万局面分があったからこそアルファ碁ができました。次に、そのデータで何をしたいかを明確にします。そこまで決めて初めて、どうやって実現するか、つまりAIの出番になります。問題によって、ディープラーニングがうまくいく場合もあれば、強化学習がうまくいく場合もあります。その時点なら、コンサルティングを入れるのもありだと思います。
三宅:コンサルタントに相談するときも前提知識があるだけで違いますよね。
では最後に、本書について一言いただけますか?
大槻:アルファ碁の技術を解説したとはいえ、個々のディープラーニングや強化学習をすべて理解しきるのは本書だけではできません。ですので、せめて考え方やイメージが伝わって、今の業務に何らかの形で役立つことがあれば嬉しいです。
三宅:ありがとうございます。僕も監修者として、非常におもしろく本書を読みました。ぜひ多くの方に本書を楽しんでいただければと思います。