宮川達彦さん―― コードを書かないなんて犯罪だろ(常識的に考えて)
宮川達彦さんは、現在アメリカのシックスアパート本社でTypePadの開発に携わっているが、日本ではブログブームの草創期から名前の通った技術者である。
しかし、この日演台に立ったほかの3人には、川崎さんなら「モバゲータウン」、奥地さんは「GRUB2」、金子さんはもちろん「Winny」とそれぞれ“代表作”があるのに対して、宮川さんの代表作となると、実はこの原稿を書きながら少し悩んだところなのだ。
宮川さんが現職の前にCTOを務めていたときにライブドアが「liveddorブログ」がスタートしているが、その開発には1行も携わっていないという。それでは、宮川さんをこれほどまでに知らしめているものはなんだろう[*]、ということを考えながら講演に聞き入った。
[*]この日の講演では語られなかったマルチアグリゲーター「Plagger」という斬新なツールもあるが、それだけではあまりに通好みにおもえる。
宮川さんは、Moveble Typeが普及しはじめたばかりのころに「Bulkfeeds」というブログ検索サイトをいち早く立ち上げ、『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』にもRSSの価値を早くから理解していた数少ないひとりとして名前が挙げられている。
宮川さんの経歴を飾る言葉として「世界一のCPAN Author」がある。2000年11月に「日本人で3人目くらいのCPAN Author」となって以来、数多くのモジュールをCPANにコントリビュートし続け、ついにCPAN登録数が世界一になったというのである(現在は3位)。数だけではなく、シックスアパートに転職する際に履歴書の代わりに自分のCPANのURLを送ったところ、翌朝には「キミのコードは全部読んだ。ぜひ来てくれ」と採用されたという。
また、ライブドア時代の実績に、Perlのフレームワーク「Sledge」の設計と実装がある。Sledgeは2003年にオープンソース化されていて、ライブドア外の開発でも利用されている。フレームワークのはしりで、設計も古いところがあるが、根本の発想がCatalystにも似てて面白いという。
オープンソース化の背景には、当時の受託開発では[*]最新技術としてJava StrutsやPHPが延びていて、Perlは古いという印象があった。これを払拭することを狙ったのだが、意外な効能があった。開発チームにいるプログラマのモチベーションにつながったのだ。受託開発では、いくらコードを書いても納品すれば終わりになるが、OSSで書いて公開すれば自分の作品として残る。ソースコードが、人間の「自分を評価してもらいたい欲求」を満たすニッチな場所として機能する。
[*] 現在のウェブサービス事業者化したライブドアからは想像できないが、ブログブーム以前の「エッジ(オン・ザ・エッヂ)」時代は、ウェブサイトの受託開発が主な事業だった。