開発者の祭典「Developers Summit(デブサミ)」が来年で10周年を迎える。株式会社翔泳社では、10周年を迎えるための企画として日本各地での開催を行うこととなった。初となる地方凱旋の場として選ばれた場所は「仙台」。参加者は地元宮城に限らず、東北各地、また東京など、多方面から仙台へと集結した。
会場は東北電子専門学校の15階。教室がA・B・Cの各会場となっている。A・B会場が講演・LT(ライトニングトーク)、C会場ではTDD Boot Camp in Sendai(TDDBC)が並行して行われた。
Webアプリケーションエンジニアがみてきたこの10年
デブサミ東北は、グリー株式会社 伊藤直也氏による基調講演「Webアプリケーションエンジニアがみてきたこの10年」で幕を開けた。
90年代の話から、順々に伊藤氏自身と周辺(これはおそらくエンジニアの多くが見ていた歴史だろう)の話を進めていった。
1990年代
話の最初はWindows 95から。当時、「10年に一度の転換期」が到来していた。その後インターネットが日本でも流行しはじめ、HTMLをかけば稼げる状態だった。「Web アプリケーション」という言葉は存在していないが、「Webアプリケーション」といえばPerl・CGIで作られた「掲示板」だった。この頃Yahoo!などが生まれ、ポータルサイト合戦が行われる。
「Webアプリケーション」の言葉が生まれたのは1990年代末。この頃はJavaが流行し、Solaris・Oracle・Javaが「Webアプリケーション三種の神器」であった。この頃にGoogleが誕生している。
2000年代前半
2000年代前半は、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)でYahoo!が落ちる経験をし、Akamaiに表示を切り替えたそうだ。バナー広告を無くしてもWebサイトを見ることができるのが重要。これにより、インターネットが重要な位置づけにあることを知らされる。
この頃から、Googleの時代となる。Googleのサーバはベニア板の上に60台まとめておかれ、Linuxで構築されており、壊れる前提のサーバ構築をしていた。Googleの社内を見て伊藤氏は衝撃を受け、「エンジニアが主役になってもよい」と思ったそうだ。
言語はまだJ2EE全盛時代だったが、Java以外にPerl・PHP・Ruby・Pythonといったスクリプト言語も利用するところが出始める。そしてPerlコミュニティ、Shibuya.pmが誕生する。
一方で、ブログが流行。この時ニフティに居た伊藤氏は上司を話をする。これが後のココログとなる。Movable Typeは個人が作って流行した。このような状況が生まれた背景は「安値で高速な環境になり、個人でもサーバを有しWebアプリケーションを作れる環境が整うようになった」ことにある。
そして、GREEが誕生する。社長の田中氏が、SNSが流行しているのを見て、趣味で作りはじめていたそうだ。これが、Web 2.0の幕負けである。この頃に、Twitter・Facebook・mixiなども誕生している。一方、伊藤氏はエンジニアリングを通じてさまざまな人と出会う機会があり、「自分の技術で世の中を変えていこう」とはてなに転職。そして、はてなブックマークをリリースする。
2000年代中期
2000年代中期、「もっと手軽にWebを作れるようになるように」という動きがあり、その中でRuby on Railsが誕生する。またGoogleマップが登場し、Ajaxが流行しはじめる。この時期は「理想」より「実践」。完璧な品質ではなく、変化に対して柔軟に対応することが重要視された。言語もJavaからPHPやRubyになり、XMLから冗長部分を排除したJSONに変化していく。
2000年代後半
2000年代後半、Webはソーシャルの時代へと入っていく。Googleへの対抗策として、人と人の関係性、コミュニケーション、つまりソーシャルに変化していった。具体的にはTwitter・Facebookが流行することになる。ちなみにここではリリースされたばかりのGoogle+の話も出していた。
一方、日本のインターネットは3G回線が全国に敷き詰められていることから世界とは異なり、携帯サービスが急成長していたため、モバイル分野でのソーシャルはブルーオーシャンと言えた。Twitterのように自社でつくっていたWebサービスやSNSをプラットフォーム化する動きがでてくる。さらに、インフラもフラットフォーム化してくる。これが「クラウド」である。
2010年以降~Webのこれから
伊藤氏は2010年、グリーに入社。この頃にiPhone・Androidが誕生し、Web関連技術トレンドが変化しはじめる。Webのこれからのキーワードは「モバイル・シフト」。スマートフォンの出荷台数がパソコンよりも多くなり、日本の多くがスマートフォンを持っている時代がもうすぐ訪れる。日本のキャリアはスマートフォンを売ることで、パケット利用料での収益を上げることができる。Windows 95のような「10年に一度の変化がやって来た!」と、この講演を締めくくった。