プログラミングの楽しさと可能性を感じてもらうために
――『ビスケットであそぼう 園児・小学生からはじめるプログラミング』は、原田さん初めてのビスケット入門書です。ビスケットを開発されてから10年以上が経ちますが、なぜこのタイミングだったのでしょうか。
原田:企画自体は以前からありました。が、ビスケットのバージョンを変えてからにしようと考えていたらいつの間にか時間が経っていたんです。私としてはもう少しビスケットの拡張をしたいと思っていましたが、キリがないのと本も出したいということで、ようやく刊行することができました。
本書は子ども向けです。けれど、保護者の方に読んでいただきたい部分もたくさんあります。プログラミング教育がブームになっていますが、今の大人はプログラミング教育を受けていないので、子どもたちに教える前に大人も学ぶ必要があると思っているからです。
子どもたちにはもちろんなんですが、大人にもプログラミングの楽しさや可能性を知ってもらいたいんですよ。ですから、子ども向けだと思って本書を手にした大人にも伝えたい、という狙いがあります。
これまでビスケットのワークショップをやってきて、子どもたちがいい反応をしてくれるのはわかっています。でも、大人がそのすごさを理解していないと、なかなか世の中は変わっていきません。学校でプログラミング教育が実施されるようですが、まだ反対意見は多いですよね。
特に、プログラミングを知っている大人からは、仕事で使うようなC言語やJavaの知識は必要ないという反対意見が多いみたいです。たしかにそうでしょう。職業教育としてのプログラミングは、もっと遅い年齢から学んでも充分です。
しかし、プログラミングを知っている方ならどなたも、初めて触れたときはプログラミングに無限の可能性が秘められていると感じたはずです。私が子どもに伝えたいのはその部分です。本書でも、そこを取り上げています。ビスケットなら、関数や数字など細かいことを抜きにしてプログラミングの楽しさを直感的に体験できるんです。
○○力がつくからプログラミングを教える、その考えが間違い
――プログラミングは論理的思考力を養えるから小さい頃から学ぶべきだという意見もありますが、それについてはどうお考えでしょうか。
原田:まず、やるからには100%の支持を得たいと考えています。子どもにはやらせるべきではないという反対意見をときどき見かけますが、それらに対して丁寧に答えて1人も反対が出ないようにしたいんです。
たしかに、プログラミングを教えると論理的思考力など何々力がつく、という意見があります。私もそういう能力がつくような気もしますし、反対する人の気持ちも分かります。ただ、それらはプログラミングでなくてもつけることができる能力です。プログラミング教育がブームになるずっと前からその能力を教育する専門家がいて、その人たちからすると俺たちのほうがもっとうまく教えられるよ、ってなりますからね。
では、全員合意できるラインはどこか。私たちコンピュータの専門家が責任をもって、プログラミングでしか教えられないことを言っていくしかない。それは「プログラミングはおもしろいし可能性がある」ということです。
それを子どもに伝えるのに何時間あればよいか。他の言語だと10時間くらい必要なところを、ビスケットでは1時間くらいで教えられます。そうすると、「こんなにおもしろくて可能性のあることを教えないなんてもったいない」になりますよね。ここに反対する人はそういないんじゃないでしょうか。
井上:私自身はプログラミングの経験がなかったので、最近のブームで「プログラミングが大事」と言われるのは、様々な人が知るきっかけの一つとしていいと思っています。ただ、何がよくて何が悪いのかわからない人が多いと思うので、誰かの「これがいい」という一言で一斉にそちらに行ってしまうのが怖いところです。
私の周りには子供がいる友人が多いんですが、プログラミングを知らない人がほとんどです。情報がないので、「こんなのあるよ」と言われると、それを選ぶことしかできないんです。でも、自分で実際に体験すれば判断材料が増えますよね。ブームをきっかけに、そういうことが浸透していけばいいなと考えています。
自分の感動したプログラミングをいろんな人に伝えたい
――プログラミングの経験がなかった井上さんは、なぜ今の活動をされるようになったのですか?
井上:私は美術をやっていて、元々手を動かして作るのが好きなんです。造形のワークショップも実施しています。ただ、プログラミングに対してはなんとなく拒否反応がありました。ですが、ビスケットに出会ったことでその気持ちが変わったんですよ。
絵もプログラミングも自分の思ったことを形にできるという点で似ていますが、卒業制作で大変な思いをしながら手描きのアニメーションを制作した身として、プログラミングなら絵を簡単に動かせることに感動しました。その感動、楽しさを子どもたちやいろんな人に伝えたいという気持ちが今の原動力です。
――渡辺さんはいかがですか?
渡辺:僕自身は、アートやコミュニケーションを素材にして人と人をつなぐ場作り、ワークショップの勉強をしていました。僕が好きなのはアートのワークショップです。アウトサイダーアートみたいな感じで、芸術家ではない、素人の作った作品をその場で見ることができるのが楽しいですね。
6年ほど前に手伝わないかとたまたま原田さんにお声がけいただいて、いざお手伝いをしてみたら、毎日のように子どもたちの作ったすごいものを見られることになりました。今でもそれがおもしろくてやっているんですよ。
だんだん関わる人が増えてきましたが、ビスケットはネット上であまり情報が整理されていないのが課題で、使い方がわからないという声もあります。本書で紹介しているような遊び方もなかなか広まっていかないので、早く伝えたいというのが本書に込めた想いです。
大人にも読んでもらいたいですが、やはりメインは子どもたちです。プログラミング教育本とはまったく違った内容ですので、どういう反応をしてくれるのか楽しみです。
井上:ビスケットは紙と鉛筆でできるものではないので、どうしても親が手伝ってあげる必要があります。その中で、本を読みながら親子で一緒にやってみる、ということは起こるだろうと想像しています。大人でも、私のようにきっと楽しめると思います。
本当にやりたいことはプログラミングではなく何を表現するか
――そもそもですが、ビスケットはどういう言語なのですか?
原田:今回本を書いていて、物事をどう説明するか、とても考えさせられました。特にプログラミング言語の進化についてはもっと世の中に伝えていかないといけないと思っています。
私はプログラミング言語の研究者なので、プログラミング言語を進化させることが仕事で、そもそも進化するものだと思っています。しかし、どうやら進化しないと捉えている方が意外と多いようなんです。
たとえば絵を「斜め上」に動かしたいとき、コンピュータには横に10px、上に13pxと動けと具体的に命じる必要があります。「大体」でいい人間にとってこの具体的な指定は面倒ですが、コンピュータは数値を細かく指定しない限り動きません。具体的な数字を入力することは面倒ですよね。
そこで多くの入門用の言語は、命令を簡単にするために、絵を真横か真上にだけ動かすような命令に限定しました。このような制限を加えるとプログラムは簡単で分かりやすくなりますが、動きの表現力は落ちてしまいます。
それに対して、ビスケットはメガネの中に二つの絵を置いて、それらの位置の差分から動く方向と速度を表現しています。これなら表現力を一切落とさずに、命令も簡単になります。ところが、コンピュータにとっては二つの絵の差分を計算して、具体的な数値に変換しなければならないので少し面倒な処理が入ります。でも、8bitのコンピュータの時代ならともかく、今のコンピュータにしてみれば何の造作もありません。
プログラミング言語にその手間を入れるだけで、コンピュータが人間の感覚に近づきます。それがプログラミング言語の進化です。ところが、なぜかプログラミング教育が8bitの時代のまま止まっていて、コンピュータの作法に人間が無理に合わせて、不便なコンピュータを操作できる能力を身につけさせるのが、プログラミング教育だという人たちがいるわけです。
でも、そうではないんです。本当にやりたいことは絵を斜め上に動かす方法を覚えることではなく、その結果として何を作るのか、何を表現するかということです。
そこが見えていないと、プログラミング教育もおかしくなってしまいます。プログラムをとりあえず動かしてみて、予想と違う動きをしたら修正すればいいんです。プログラムを実行する前にどう動くかを予測するパズルにどんな意味があるのでしょうか。
子どもたちにコンピュータを育てる当事者だと意識してもらう
――原田さんはビスケットを通して子どもたちにコンピュータのことを教えていますが、どういう将来像を持って活動されているのでしょうか。
原田:子どもも大人もコンピュータを味方にして世の中を見られるようになってほしいと思っています。たとえば、どうやってお米ができているか知らない子どもがいると、我々大人からしたら気味が悪いですよね。そういう子どもが増えてきたので、今では学校に田んぼを作って稲作体験をしています。
ところが、コンピュータだとそうはなりません。どうやって動いているのか知らない子どもがいても、眉をひそめる大人はいません。大多数の大人が知らないからです.それはコンピュータが味方になっている状態とは遠いでしょう。
どれくらい知るべきかといったら,お米で言えば,まずは水と太陽が大事で、雑草や害虫は取り除いて、といったレベルの理解で充分でしょう。コンピュータに関しても、社会全体でそれくらいに相当する知識を身につけるべきではないでしょうか。これからの時代、コンピュータが世の中の中心になりますからね。
私は今の子どもたちに関してはそんなに不安に思っていません。どちらかといえば大人のほうです。コンピュータから取り残されている人もいますので、まずはそういう人に知ってもらいたい。だから、本書は大人にも読んでもらいたいというわけです。
先ほども言いましたように、大人が子どもに「やらせなくてはいけない」という状況から「こんなに楽しいことをやらないなんてもったいない」と自然と思える世の中にしたいですね。
――子どもたちにはそういったことをどのようにお話しされるのですか?
原田:子どもたちにはこう言っています――「私が子どもの頃は身の回りにコンピュータがありませんでした。今はこんなに普及してすごいコンピュータであふれています。君たちが大人になる頃にはもっとすごいことになっているよね。アサガオなら、水をやっていれば勝手に複雑な形の葉をつけて育っていくけど、コンピュータは勝手には育ちません。どんなに細かいところでも全部人間が決めないと育ちません。じゃあ、いったい誰がそんなすごいコンピュータを育てるんだと思う? 君たちがコンピュータを育てるんだよ」と。
「え、自分が?」と思わせられたら成功です。ビスケットの活動を始めてから、子どもたちにそうした当事者意識を持ってもらいたいとはずっと思っていたのですが、それが「コンピュータを育てる」という具体的な言葉になったのは、今回、この本を書いたからですね。
コンピュータは苦手になりえないものだと思います。いつまでも待ってくれますから、時間さえかけると誰でもすごいものを作れます。もちろん職業にするなら速さが必要ですが、自由に時間をかけてもいいのなら、誰でもちゃんと味方にできるんです。
この本は授業やワークショップのヒントになるかもしれませんが、注意していただきたい点があります。ワークショップでは最初に絵を描いてもらうと、絵にこだわる時間が子どもによってマチマチなので、ゆっくり描きたい子をどうしても急かしてしまいます。この本は基本的には個人で時間制限のない環境での利用を前提としています。ゆっくり間違いながら理解を深めて、すごい作品に挑戦していただけたらと思います。
何を表現するかという「正解」は人間の側にしかありませんから、少しずつでもいいので、親子で一緒にビスケットをやってみてもらえると嬉しいですね。