Fabで何ができるか、何を作るか
2012年にFabCafe Tokyoがオープンしてすぐに、アメリカで誕生したメイカームーブメントが日本にも上陸し、3Dプリンターがもてはやされた時期があった。だが、そのブームはすぐに去った。人々は3Dプリンターが魔法でないことを悟り、また、多くの人は何を作ればいいかわからなかった。
ところで、レーザーカッターや3Dプリンターは、突然現れた最先端技術ではない。たとえばレーザーカッターは、1969年にはすでにそのコンセプトが出現し、1979年には実用化している。3Dプリンターも同様で、急速に広まったのはその製造特許が切れ、サードパーティが生産に参入できたことが大きい。
出典:Sculpteoブログ「The History of Laser Cutting: From MASERs to CO2 Laser Cutting」
つまりは、ツールとしての「FAB」それ自体はもてはやすものではなく、その技術が企業や研究施設といった閉ざされた空間から、誰もが使えるようになった環境そのものが社会に影響を及ぼした。
「3Dプリンターで何か作ろう」はしばしばうまくいかない。旧来の加工法とデジタル・ファブリケーションを俯瞰してみて(この二項対立的な書きかたがすでに間違っているが)、必要に応じて選択すべきツールなのだ。考えるべきはその技術そのものではなく、それをどう使い、どのように社会にインパクトを起こし、既存の社会システムに変化をもたらし得るか、ということだ。
FabCafeが主催するグローバルアワードに、「YouFab Global Creative Awards」(以下、YouFab)がある。YouFabは、2012年にレーザーカッターで作る作品コンペとして始まり、テクノロジーを組み合わせた作品を募集するアワードとして成長。このアワードは、多くのひとが直面した「ほぼなんでも作れるとき、何を作ればいいだろう」という問いを世界中のアーティストに投げかけ、作品として翻訳してもらう試みとしてスタートした。
私が印象に残っているのは、YouFab2018でGrand Prizeを獲得したAmy Karle氏の「Regenerative Reliquary(再生可能な聖遺物)」。
これは、3Dプリンターとヒトの幹細胞で作られた人間の手の骨を再現しており、ヒドロゲル素材の一種PEGDAを3Dプリントして手の骨格を作り、そこに成人ドナーから採取したヒトの間葉幹細胞を植えつけている。手の骨格はバイオリアクターに入れられ、間葉幹細胞は徐々に組織へと成長。最終的には、石灰化して骨になるというものだ。かつて存在した生命の記念として亡骸をまつるのではなく、それとは逆、つまり、無生物から生命の可能性を生み出すことを表している。
この作品の価値は、その技術も去ることながら、その行為によって生命の捉えかたに新たな切り口を見出そうとしているところである。各々がバックグラウンドや人生のストーリーをもとに作ることによって、既存のシステムに新たな見方を与える行為も、「FAB」と言えるのかもしれない。
今年のYouFabのサイトにそれを示唆するような言葉があるので、YouFab2020のサイトより抜粋したい。
今回のYouFabでは、コンタクトレスがデフォルトとなった世界において、どうやってその環境のなかに、人間性、身体性、あるいは「リアルな体験」を設計・デザインしうるのか、というところに焦点をあててみることにしたい。
それは新しいテクノロジーやシステムの提案であっても良いだろうし、新しい行動様式の提案であってもよい。対象となるものも、家だろうが、学校だろうが、オフィスだろうが、商業施設だろうが、服だろうが、乗り物だろうが、食べ物や食卓だろうが、イベントやフェスやデートや葬式だろうが、なんでも構わない。
FABのアワードであるYouFabでさえ、すでにフィジカルな作品だけを審査対象としていない。技術やテクノロジーとしてのFABはあたりまえとなり、FABとあえて切り出して語ることも数周した感のある今、これからのFABとは何なのであろうか。
次回は、FabCafeにおいて、FABがどのようにクリエイターの環境を変化させ、コミュニティを形成し、プロジェクト化していったのか、に触れていきたいと思う。