量子コンピュータの基礎と国内での開発動向
初めに森氏は、量子コンピュータの基本概念について解説した。量子コンピュータは、従来の「古典コンピュータ」とは異なり、量子力学の原理を活用することで、データ処理能力を飛躍的に向上させる次世代技術だ。
古典コンピュータの「ビット」は0または1の単一状態しか取れないが、量子コンピュータは「量子ビット(キュービット)」と呼ばれるユニットを用い、0と1の両方の状態を同時に保持(重ね合わせ)できる。「この特性により、例えば3量子ビットであれば2の3乗=8通りの状態を同時に保持・計算でき、古典コンピュータに比べて格段に多くの組み合わせを一度に処理可能だ」と森氏は説明する。

量子ビットの重ね合わせには、「0」と「1」のそれぞれに複素数「α」と「β」という重みが付加される。これらの絶対値の2乗が確率として解釈され、測定操作によって確率に基づく結果(「0」か「1」)が得られるという仕組みである。このように、量子コンピュータは確率的な計算を行い、解を導き出す。
量子コンピュータの特徴のひとつが「量子もつれ」だ。これは2つの量子ビットが密接に関連付けられ、一方を観測すると瞬時にもう一方の状態も確定する現象を指す。森氏は、「このもつれ状態こそが、量子コンピュータの優位性を高める重要な機能だ」と強調する。

量子ビットの状態は、球面上の一点として表現される。森氏は、「古典コンピュータのビットがオセロの裏表のように0と1で表されるのに対し、量子ビットはオセロが球面に膨れ上がったイメージだ」と説明する。この「球面」には、量子状態「ψ(プサイ)」と呼ばれる複素数の重ね合わせが反映されており、これを計算の基盤として利用しているのが量子コンピュータの特徴だという。

量子状態は複素数を用いた配列(状態ベクトル)で表現可能だが、膨大なデータ量を要するという課題がある。「仮に量子ビット数が30になると約16GiBのメモリが必要となり[1]、40ビットで約16TiB、50ビットに達すると約16PiBものメモリを必要とし、現在のスーパーコンピュータでも対応が難しい規模に達する」と森氏は述べ、現行の技術課題についても触れた。
[1] 「GB」は10進数に基づき、1GB=10億バイトと定義されるのに対し、「GiB」は2進数に基づく単位で、1GiB=2^30(約10億7374万)バイトである。
量子コンピュータ上で動作する「量子プログラム」は、古典的なプログラムとは異なり、量子ビットの状態を活用して特定の結果を導き出すために動作する。そして、計算結果は「測定」によって確率的に得られるという。森氏は、「最適な解を得るためには、量子ビットの重ね合わせや量子もつれといった量子状態の確率分布を慎重に設計する必要があり、その役割を担うのが『量子アルゴリズム』だ。量子アルゴリズムは量子ビットの状態遷移を制御し、確率分布を最適化することで、目標とする解に収束しやすいプログラムを実現している」と解説する。量子コンピュータはこの仕組みによって、複雑な問題を効率的に解く能力を持っているということだ。
量子コンピュータの開発は年々進化しており、量子ビット数の増加が著しい。2014年にはGoogleが50量子ビットの実験機を発表し、その後も各社や研究機関が開発を進めている。昨年に理化学研究所(理研)と大阪大学が64量子ビットの量子コンピュータを公開したことも、その一例と言えるだろう。
現在主流となっている量子コンピュータは「ゲート型」と呼ばれる汎用的な方式で、「NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum)」と「FTQC(Fault-Tolerant Quantum Computing)」の2つに大別される。NISQは小・中規模でノイズ(エラー)を含んだ量子コンピュータで、FTQCはノイズ訂正機能を備えた誤り耐性量子コンピュータのことだ。
NISQがノイズの影響を受けやすく、実行できる計算規模や精度に限界があるのに対し、FTQCはノイズを除去した安定した量子計算を実現し、大規模かつ高精度な演算が可能になると期待されている。一方で、森氏は「FTQCを実現するには、多くの量子ビットや高度なエラー訂正技術が必要であり、実現には依然として多くの課題が残っている」とも指摘した。
量子コンピュータ開発の長期的なマイルストーンとしては、2050年までにエラー訂正機能を備えたFTQCの実現が目標とされている。この目標に向け、2030年頃にはエラー訂正のプロトタイプを開発し、その技術の実証を進める段階が計画されているという。

最近の動向としては、2024年8月にGoogleがエラー訂正を施した「論理量子ビット」の生成に成功したと発表した[2]。これはエラー訂正機能を持つ量子ビットを実際に作成したもので、まだ1量子ビットの試作段階ではあるが、FTQC実現への道が着実に前進している証といえる。森氏は、「こうした海外の急速な技術進展に対し、日本でも国産の量子コンピュータ開発を推進し、国際競争に遅れを取らないよう努力が求められている状況だ」と説明した。
[2] 参考論文:Google Quantum AI. arXiv:2408.13687v1 [quant-ph] "Quantum error correction below the surface code threshold"