思いがけないキャリアチェンジが、二刀流エンジニアとしての活躍へつながる
2つ目の転機は、米国のNECグループ会社であるNECTECH(NEC Technologies)で、PCIバスを初搭載するパソコンを初めて開発することになり、現地に行って開発を支援するというチャンスが訪れたこと。海外に半年も滞在することへの不安もあったが、「かっこいいし、楽しいことがあるかも」と前向きに思い、ノリで渡米したという。
その結果、「エンジョイした。すごく楽しかった」と山下氏は語る。それには米国で2年間の在職経験があり、英語が堪能な同期の上田氏との出会いが大きかったという。流暢な英語で話す上田氏に刺激され、そこから精力的に英語を勉強するようになり、帰国時にはTOEICの点数が大幅に上がった。
そして米国から戻り、「ハード開発も気づいたら10年目」に差し掛かったある日、3つ目の転機が訪れる。諸事情によりハード開発が縮小することになったため、LSIの開発者として留まるか、ソフト開発へ転向するかの二者択一を迫られた。経験のない領域への異動は不安もあったが、もともとの入社動機であり、楽しさが勝ってソフトウェアに転向することになる。
当初はルールの多さや新しい技術に四苦八苦するものの、毎日プログラミングができることに喜びを感じるようになり、開発したソフトがパッケージとして店頭に並ぶことも、モチベーションアップにつながった。
そして5年後、4つ目の転機では、Windows系の組込みシステム開発に取り組むことになり、いよいよ二刀流としての活躍が始まった。顧客や製品ごとに個別にカスタムを作る際に、ハードとソフトの両方を知っている必要があった。当時はハードの開発拠点が松山市、ソフト開発は神戸市にあったが、その間に立って橋渡し役になった。
一方でNEC以外の企業から受託していたこともあり、営業活動の一環として、社外講演や展示会など、人前に出ることが増えていった。「そうしたことが苦手なタイプで、緊張と不安の連続だった。若い人に任せればという声もあったが、プレゼンの上手い人を見ると楽しそうだと感じ、自分も頑張りたいと思った」と山下氏は語る。
また、ちょうどその頃はプロジェクトにインド人のメンバーが増えてきたタイミングで、スムーズなプロジェクト管理のために、山下氏はさらに英語力をつける必要があると実感。2年ほどかけて、英検準1級とTOEICで890点を取得した。その結果、優秀なインド人メンバーとのコミュニケーションが密になり、自信もついて、さらにコミュニティ活動も精力的に実施できるようになった。そして、ロボティクス領域などでの活動を認められ、IoT領域でMicrosoft MVP for IoTアワードを12年連続で受賞。2011年からは、大阪電気通信大学の客員准教授として組み込みソフトウェア開発の講義を担っている。