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「オープンソース開発はチャレンジ」~瀧田佐登子さんとよしだともこさんがOSC2008 Kansaiで対談

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7月18日と19日の2日間、京都コンピュータ学院でオープンソースカンファレンス2008関西(OSC2008Kansai)が開催され、関西圏を中心にのべ1000人のオープンソースユーザー・開発者が集まり、活発な議論と展示による交流を楽しんだ。18日にはオープンソース業界を違った形で10年間を過ごした2人の女性が10年ぶりに同じ京都のステージに登壇し、それぞれの思いを語った。

 登壇したのはMozilla Japan代表理事の瀧田佐登子さんと、京都ノートルダム女子大学准教授で『オープンソースの逆襲』などの著書で知られる吉田智子さん。「ルート訪問記あげいん ~オープンソースに魅せられた2人の対決?! 瀧田佐登子、よしだともこ、オープンソースを語る~」と題された対談企画で、吉田さんが1995年からUNIX USER誌に10年間連載した名物企画「ルート訪問記」の特別版として、瀧田さんから話を聞くという形で進められた。

「オープンソース開発はチャレンジできる場。トライしなければ何もはじまらない」と瀧田佐登子さん
「オープンソース開発はチャレンジできる場。トライしなければ何もはじまらない」と瀧田佐登子さん

 話の導入となったのは、10年前の1998年12月に京都国際会館で開催されたInternet Week 98内の併設イベント「Linux Conference '98」。このカンファレンスで、吉田さんは「Namazu開発物語」、瀧田さんは「Linuxアプリケーション開発の実際と展望」と題したパネルにそれぞれ登壇していた。瀧田さんは当時ネットスケープ・コミュニケーションズ社でウェブブラウザNetscapeの国際化に従事していたが、Netscape Linuxの開発を確約させられて慌ててステージを退いたところ、段差になっていて裏手に落ちてしまったというエピソードを披露した。客席からは「逃げ足が速い」と思われてしまったという。

 そもそも「オープンソース」という概念は、この年にネットスケープ社が開発中のNetscape Communicator次期バージョンのソースコードを公開したときに、そのバックボーンとして、それまでのフリーソフトウェアなどの考え方をもとに生まれたもの。ソースコード公開の発表は、社員にとっても突然の出来事で、ネットスケープ社内のカフェに社員が集められ、ソースコードのプリントアウトを撒き散らすというパフォーマンスとともに発表されたそうだ。

 もともと大学では化学を専攻していた瀧田さんは、情報サービス企業に就職してからプログラミングをはじめたという。1994年ごろ商用利用のはじまりかけていたインターネットの調査で米国に赴き、そこでネットスケープ(当時はモザイク)に出会い、衝撃を受けて、1996年にはネットスケープの日本法人に転職。そのときの心境は「チャレンジ」だという。「チャレンジがないと自分も成長しない」と語った。

 オープンソース開発の現場は、自分に実力があればそれを伸ばすことができる、認めてくれる、チャレンジできる場であるとともに、自分からトライしないと何もはじまらない。瀧田さんも、英語ができないにもかかわらず、クオリティが低く文字化けの多かった当時の日本語版を直したいんだという一念でで、アメリカ研修の際にそのまま居ついてしまった。

 当時のアメリカの開発者の一般的な考え方では、インターネットの共通言語は英語だから、ブラウザも英語版だけあれば良いというものだったが、瀧田さんはこれからはいろいろな国の人がインターネットを使いはじめるだろうから、そのときに母国語はとても重要だと考えていたという。英語圏の開発者に「文字化け」をどう説明したらいいかと考え、説明するのではなく逆に「MOJIBAKE」という言葉をそのまま覚えさせ、バグジラ(Mozillaのバグトラッキングシステム)で「MOJIBAKE」「MOJIBAKE」と書き込まれるようになってくるのを見て「シメシメ」と思ったという。

 その後、ネットスケープ・コミュニケーションズはAOLに買収され、2001年には日本法人を撤退したりもしたが、一方で2003年に設立されたMozilla Foundationが中心になって開発は続けられた。オープンソース開発は標準技術しか利用しないため、一企業が終わっても、スタンダードがある限りは長期利用が可能なためだという。たとえばTCP/IPそのものが世界初のオープンソースと言ってもいいという。

 そのTCP/IPを設計したヴィントン・サーフのように、オープンソース開発では情熱的なエヴァンジェリストがおり、歳を経てもなおプロジェクトを引っ張っているということが多い。企業とは違うので、好きじゃなければやっていけないからでもある。一方で、そういう人が書いたコードを一緒に触って開発したい、というモチベーションを感じてプロジェクトに参加するところが特徴でもあるという。

 日本の企業のものづくりは、自分たちの特許や資産に縛られて、オープンソースを上手く利用しようとしてこなかった。求める人材も、オープンソース(Linux)が使える(運用できる)人という考え方だった。しかし、マインドが変わってており、これからはオープンソースのコードが書けるひとが必要になってくる。開発者にとってオープンソースはグローバルエンジニアへの通過点であり、会場の若いプログラマーたちも、最初は不具合の報告などからでいいから、プロジェクトに参加していくとよいのではないかという提言で対談を締めくくった。

 【関連リンク】
オープンソースの逆襲
ヴィントン・サーフ - Wikipedia

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CodeZine編集部(コードジンヘンシュウブ)

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https://codezine.jp/article/detail/2845 2008/07/22 13:08

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