出席者
- 本位田真一(ほんいでん・しんいち)氏……国立情報学研究所 副所長、トップエスイー代表
- 河井理穂子氏……国立情報学研究所 特任講師、トップエスイー講師
多様化する受講者のニーズに応えるための「アドバンス」コース
河井:来年度からトップエスイーが新しくなり、従来の「トップエスイーコース」に加えて、新たに「アドバンス・トップエスイーコース」が新設されます。まずは、コース新設の意義について、お話しいただけますか。
本位田:トップエスイーは、スタートから10年以上になります。「トップレベルのソフトウェア技術者を育成する」ことを目的に、当初は受講生も10名ほどの限定で始めたのですが、おかげさまで企業からのニーズも増え、受講生の人数も増えてきました。現在展開中の第11期では、40名ほどの方に受講いただいています。
ただ、受講生の数が増えることで、カリキュラムに対するニーズにも幅が出てきました。多くの受講生のニーズを最大公約数的に満たす講義を行っても、受講者がそれで満足されるかどうかは疑問です。
より実践的な内容を求める受講者もいれば、基礎知識を改めて体系的に学びたいという人もいる。さらに、より先進的な技術に関する最新の状況を学びたいというニーズも生まれてきました。
トップエスイーのプログラムは1年の期間をかけて修了するもので、受講者のみなさんにとって、かなりタフな内容だと思っています。大変だからこそ、より多くの受講生に満足してもらえる内容にしたいという思いで「アドバンス・トップエスイー」コースを新設し、全2コースで展開することにしました。
河井:開講当初よりも、幅広い層の方がトップエスイーにチャレンジしてくれるようになったことで、カリキュラムに対するニーズの幅も広がってきたのですね。
本位田:「トップエスイー」という名称から、全国レベルでトップの人だけを教育するカリキュラムなのではないかという誤解もあるようなのですが、実際にはそうではありません。さまざまな職場やプロジェクトで、周囲のメンバーから技術的に強い信頼を持たれるような人、「これについてはあの人に聞けば大丈夫」と思ってもらえるような人材、すなわち「スーパーアーキテクト」を育てていくことを目指しています。
河井:ここで言う「スーパーアーキテクト」とは、具体的にどんなスキルを持った人ですか。
本位田:社会や業務の「新しい課題」に対して、その解決に役立つ「もの」や「システム」をどのように作っていけばいいかを導きだし、設計できる人だと言えるでしょう。
現状、一般的なシステム開発は、それぞれの要件に基づいて、既存のライブラリやアプリケーションを再利用したり、機能拡張したりしながら作り上げていくことが多いと思います。
しかし、近年IoT(Internet of Things)、CPS(Cyber-Physical System)、AIなどの新たな分野が注目を集める中で、これまでとは違う考え方、作り方で取り組まなければならないジャンルも増えています。こうした課題に取り組む際に、先頭に立ってプロジェクトや組織をひっぱっていける人が「スーパーアーキテクト」です。
実践的、体系的な知識を学べる「トップエスイー」と
先端領域を究める「アドバンス」
河井:「トップエスイー」の「トップ」は、エンジニアのレベルとしての「頂点」という意味だけでなく、「課題解決の先頭に立つ」という意味も含んでいるのですね。では、「トップエスイー」「アドバンス・トップエスイー」の各コースについて、それぞれにどのような受講者像をイメージしているのでしょうか。「アドバンス・トップエスイー」コースは、従来の「トップエスイー」コースよりも「難しい」という理解でいいのでしょうか。
本位田:そうではなく、むしろ受講者側がすでに持っている知識量や、関心を持っているテーマに合わせて、よりふさわしいコースを選んでもらえるようになったということです。
まず従来からあるトップエスイーコースについてですが、ソフトウェアの開発に関わる仕事に就いておられる方や、ソフトウェアを作る技術に関心を持たれている方が、最新の技術やツールの知見も含めて、改めて体系的に勉強したいという場合に向いています。
2017年度には約40科目の講義を用意しています。これだけのカリキュラムを用意している教育コースはほかにありません。ある程度業務で経験を積んだ上で、今後もソフトウェア技術者として長く現役でいたいと考えていらっしゃる方には、特にお勧めしたいと思います。
新設されたアドバンス・トップエスイーコースについては、近年注目を集めている新たな技術領域に関して、議論や研究を進めながら、その成果を現場での実践につなげていきたいと考えていらっしゃる方に受講していただきたいと考えています。
トップエスイーコースは現場経験がある30代のエンジニアを中心的な受講生としてイメージしていますが、アドバンス・トップエスイーコースについては、技術的にエッジな部分に明るい20代後半のエンジニアにも積極的に受講してもらえると思っています。
シリーズ | 科目 |
---|---|
形式仕様記述 | 形式仕様記述 (基礎・VDM編)、形式仕様記述 (Bメソッド編)、形式仕様記述 (実践編)、基礎理論、形式仕様記述 (Event-B編)(*)、プログラム解析(*)、定理証明と検証(*) |
モデル検査 | 設計モデル検証 (基礎)、モデル検査事例演習、設計モデル検証 (応用)(*)、性能モデル検証(*)、並行システムの検証と実装(*),実装モデル検証(*) |
アーキテクチャ | コンポーネントベース開発、ソフトウェアパターン、オブジェクト指向分析設計、モデル駆動開発(*)、ソフトウェア再利用演習(*)、アスペクト指向開発(*) |
要求工学 | 要求工学基礎、問題指向要求分析、要求工学先端 |
セキュリティ | セキュリティ概論、安全要求分析(*)、形式仕様記述(セキュリティ編)(*) |
ビッグデータ | ビッグデータIT基盤、機械学習概論、ビジネス・アナリティクス概論 |
テスティング | テスティング(基礎)、テスティング(応用) |
クラウド | クラウド入門、クラウド実践演習、分散処理アプリ演習、分散システム基礎とクラウドでの活用、クラウド基盤構築演習 |
プロジェクトマネジメント | アジャイル開発、ソフトウェア開発見積り手法、ソフトウェア設計法通論(*)、プロジェクト支援ツール(*)、ソフトウェア品質指向の戦略的PM手法通論(*)、リスクマネジメント(*) |
共通 | ソフトウェアの保護と著作権 |
河井:「議論や研究の成果を実践につなげる」とは、具体的にどういうことですか。
本位田:例えば、最近では自動車業界において「ビッグデータ」や「人工知能」を「自動運転」に生かしていこうという取り組みが盛んですよね。でも、作られた試験環境で正しく動いたプログラムが、実際の社会の中でうまく機能するかどうかというのは別の問題です。本番環境では、開発時には想定できなかったようなことが、多々起こります。しかし「自動運転」を実現するソフトウェアシステムは、想定外の事態が起きたときの挙動を含めて品質が保証されなければ、商品化することは難しいわけです。
こうした新たな領域に関する「ソフトウェア品質保証」の方法論については、まだまだ前例が少なく、標準化もされていません。そもそも、誰かが誰かに、その方法論を「教えられる」状況ではないのです。
アドバンス・トップエスイーコースでは、こうした先端の課題に対して、最新の事例や研究成果を足がかりにしながら、どこまでのことができるのかを、同じテーマに関心を持つ人と議論し、研究していく場を提供したいと考えています。
「アドバンス」では1年かけてじっくり追究
-「プロフェッショナルスタディ」「ゼミ」で取り組む
河井:アドバンス・トップエスイーコースには、「プロフェッショナルスタディ」と「最先端ソフトウェア工学ゼミ」の2つの軸がありますが、それぞれはどういう内容なのでしょうか。
本位田:「最先端ソフトウェア工学ゼミ」では、全受講生と複数の講師が、開発現場の問題解決に役立つ最先端のソフトウェア技術について、1年にわたり調査、試行、報告、議論を行い、最先端の知見を共有することを目指します。
「プロフェッショナルスタディ」は、さまざまなゼミや講義を通じて、最先端の技術分野に関して自分なりに発見した課題について、それに対する「解決策」や「評価・普及」の方法について、1年をかけて追求してもらうという内容になります。プロフェッショナルスタディについては、基本的に講師が1対1での指導を行います。
アドバンス・トップエスイーコースの受講者は、トップエスイーコース向けに設定されている講義を自由に受講できますが、最終的な「修了」の要件に講義の単位は含まれません。自分にとって必要だと感じる講義があれば、任意に選択して受講できるといった形ですね。
河井:ちなみに、従来のトップエスイーコースにも「ソフトウェア開発実践演習」があるのですが、アドバンス・トップエスイーコースの「プロフェッショナルスタディ」との違いはどこになるのでしょう。
本位田:トップエスイーコースのソフトウェア開発実践演習では、基本的に講師が用意したテーマに関して、受講者がそれぞれに深掘りするという形式をとります。一方、アドバンス・トップエスイーコースでは、受講者自身がテーマを見つけ出すところから行うところが最も大きな違いになります。
演習の期間もトップエスイーコースでは標準で「3か月」と短いものになっています。アドバンス・トップエスイーコースでは、1年をかけてじっくりと一つのテーマを追究できるので、単なる「問題提起」や「修了制作」だけでなく、できれば、それを自分の職場や業務の中でどのように活用していけるかといったところまで、実証を進めてほしいと考えています。
河井:先日、トップエスイーを修了された元受講生の方による座談会を行ったのですが、本来3か月の実践演習を、自ら志願して半年に延長し、それでももう少し時間をかけられればさらに良かったと感じたという方がいらっしゃいました。
本位田:3か月という期間は、非常に短いですね。特に自らテーマを設定しようとすると、それが決まるまでに1か月は掛かるでしょう。結果として、制作のために手を動かせる時間はさらに短くなってしまいます。また、こうした取り組みは1人でやってもいいのですが、同じ問題意識を持った複数のメンバーであたることで、成果にも、より広がりが出てくると思います。
河井:元受講生からは、他の受講生との交流がトップエスイーの魅力の一つだというお話も出ていました。グループ演習はもちろんですが、講義の間のちょっとした情報交換とか、ゼミの懇親会で仕事や職場の課題を話すことで、得られるものが多かったという感想が聞かれました。
本位田:ここで培った人脈が、受講後も続いていくというのはとても嬉しいですね。運営側でも、修了者を対象にした勉強会などを多く企画していきたいと考えています。修了後のイベントには、受講中には会う機会のなかった先輩、後輩も多く参加しています。それぞれに共通の悩みや課題にどう取り組んでいるかといった話が共有できる場は、非常に価値があるのではないでしょうか。
受講者からのフィードバックをもとに
「満足度」を高める改善を継続
河井:「修了後」の話題で言えば、受講生の中にはトップエスイーで学んだことを、直接、自分が勤めている企業や現場に適用するには、まだまだ課題があると考えていらっしゃる方もいました。そうした方は、引き続き自分でモチベーションを高めながら、そうした問題に取り組んでいらっしゃるようです。
本位田:トップエスイーを長年継続してきた中で、よく受けた質問の一つに「すべてのカリキュラムが、すぐに現場で役に立つ実践的なものか?」というのがあります。その答えは「必ずしもそうではない」です。
講義の中には、もちろん「現場ですぐに使える」ことを念頭に置いた実践的な講義も多くあります。しかし、そればかりではありません。より重要なのは、トップエスイーのカリキュラムを通じて、「自分で課題を発見し、新しい技術の意義や限界を理解した上で、課題解決のためにその技術を活用できる」人を育てていくということなのです。
というのも、ITシステム、特にソフトウェア技術は非常に流動的で、陳腐化も早い分野です。必要なのは、その流れを見きわめて、新しい技術や考え方が出てきたときに、それを先頭に立って評価し、自分の職場に持ち込める人材なのです。
河井:1年間の受講を通じて、そうしたマインドの重要性に気付いたという修了生の方もいらっしゃいました。ただ、そうしたマインドを持った人が「社内や部署内に一人だけ」だと、学んだことを生かそうにも、苦労が多いかもしれないですね。
本位田:そうしたマインドを持つエンジニアをどう生かしていくかは、修了生だけでなく組織の問題でもありますね。
トップエスイーに複数の受講生を出している企業の中には、同じ部署から複数名を出していらっしゃるようなところもあります。そうすることで、その部署のモチベーションを高め、その部署を通じて、社内に新たな取り組みを広げていくことを考えていらっしゃるようです。また、それとは逆に、複数の部署から1人ずつ受講させて、同時多発的な展開を意識していらっしゃるケースもあります。いずれにしても、コストをかけて育てた人材を通じて、どのように社内の雰囲気や仕組みを変えていくかという点については、企業側にも何らかのビジョンが必要でしょうね。ぜひ念頭に置いていただきたいと思います。
河井:受講生からは、トップエスイーの講師も、人事交流のような形で民間企業に出向して、現場の課題を直接感じてみると、より実践的な講義ができるのではないかという意見も出たのですが。
本位田:講師には、いわゆる生粋の「研究者」としてキャリアを積んできた人もいれば、産業界から来ていただいている方もいます。実際のところ、今は産業界からいらっしゃっている方のほうが多いのですよ。
トップエスイーの受講生は、教科書的な知識は求めておらず、知識の現場での活用方法について知りたいというニーズを持っている方が多いのです。それを最もうまく教えられるのは、企業において実業の経験がある方だと思っています。学術機関と企業による共同研究や共同開発といった取り組みがあることからも分かるように「実業」の経験は非常に重要です。その点でも、アカデミック分野での経験しかない講師には、そうした「実業」に関われる機会を多く作っていこうと思っています。
もちろん、「良い研究者」が「良い教育者」とは限らないケースもあります。トップエスイーでは、受講者へのアンケートから、満足度をもとにした講師の入れ替えも定期的に行っています。受講生によるフィードバックを受けて、コースの新設やカリキュラムの見直しも含めた「満足度を高める」ための改善を続けていきます。
「言われたとおりに作る」だけではなく
積極的に「提案できる」エンジニアに
河井:トップエスイーは、平成28年度の文部科学大臣賞を受賞しました。運営に関わっているメンバーは、大変誇りに思っているのですが、この件について、改めてコメントをいただければと思います。
本位田:トップエスイーがこうした賞を受賞できたことは、長年、IT分野での人材育成に取り組んできた成果が認められた結果として、率直にうれしく思っています。
もちろん、その過程には、講師のみなさん、受講生を出してくださった多くの企業の関係者のみなさん、何より、1年間のタフなカリキュラムをこなして、その後も各企業で成果を出している受講生のみなさん、さらにその家族のみなさんの努力とご理解を欠かすことができません。改めてお礼を申し上げるとともに、この受賞を励みに、今後もより一層頑張っていきたいと思います。
河井:トップエスイーは主に「アーキテクト」の育成を目指した活動を行っているわけですが、日本の産業界にはまだまだ「IT人材」が不足していると言われています。アーキテクトとは職能が若干異なる、システムエンジニア、プログラマーといった人材を充実させていくためにどうしたらいいのかについて、考えをお聞かせください。
本位田:IT人材の分布は、上流工程を手がける「アーキテクト」を頂点とするピラミッドのような構造になっています。本来であれば、そのピラミッドに位置するすべてのエンジニアのレベルを高め、布陣を充実させていく必要があると思うのですが、コストの問題もあってなかなか難しいというのが現実です。
ではどうすべきかと言えば、一番効率的なのは「トップ」に位置する人材を重点的に育てて、そのレベルを高めていくことです。トップに位置する人材の質が高まれば、それに合わせてそれ以外の人材も充実していきます。それによって、職場のカルチャーが変わり、仕事のプロセスが変わっていきます。イノベーションも生まれやすくなるでしょう。
アーキテクトをはじめとしたすべてのエンジニアの方には、「言われたとおりにものを作る」だけではなく、自らが課題を見つけ、新しい技術やアーキテクチャを顧客や会社に積極的に提案していく「開拓者マインド」を持っていただきたいと思っています。変化の激しいソフトウェアの世界では、そうでなくてはつまらないではないですか。今、ソフトウェアの世界は、あらゆる業種、業界、領域に広がっています。その中で、それぞれが自分なりの知見と自信を持って、未来に進んでいってほしいと願っています。
河井:ありがとうございました。
トップエスイー 2017年度 講座説明会
トップエスイーの2017年度向けの講座説明会が、2016年12月16日(金)に東京で開催される。講義や各種のプログラムを実施している担当者による説明を聞くことができると同時に、直接質問ができる機会でもある。トップエスイーの具体的な講義内容や、記事に出てきたアドバンス・トップエスイーコースの「プロフェッショナルスタディ」がどのようなものかを知りたい方には絶好の機会となるだろう。詳細は上記のトップエスイーのサイトに記載されている。