最初からステップアップの先を見ていた
――本書『ゲームクリエイターの仕事 イマドキのゲーム制作現場を大解剖!』は蛭田さんお一人でプランナーからプログラマー、プロデューサーまで紹介・解説されていますが、ここまで広範囲にゲーム業界の仕事を把握できている方は稀有ではないかと思います。そこでぜひ、まずは蛭田さんの経歴について教えてください。
蛭田:私はもともとプログラマー出身ですが、最初からプログラマーを目指していたわけではありません。もちろんゲームは好きで、ゲーム業界に興味があったんですが、少し広い視野で「ゲームを作ってユーザーに楽しんでもらうこと」に強い関心があったんです。ですので職種にこだわりはなく、あえて言えばディレクターを志望していました。新人の頃からステップアップの先を見ていたんですね。
プランナーなども志望して就職活動をしていましたが、たまたま受かったのがプログラマーだったんです。昔からプログラミング自体は好きで、中学生の頃にBasicを覚えました。パソコンは買えなかったので、ノートにコードを書いて遊んでいましたね。それからもコンピューターの勉強は続けていくんですが、大学院ではゲーム理論や人工知能の研究をすることにしました。というのも、その大学院の研究室にコンピュータ将棋選手権を主催していたコンピュータ将棋協会の会長がいらっしゃって、その方が人工知能についての本を出されていたんです。それを読んでこんなに面白い分野があるのだと知り、研究室に入れていただきました。研究室では、最近話題のディープラーニングなどの機械学習についても学ぶことができました。
その後はセガに入社して、セガサターン晩年のタイトルである『サクラ大戦2』と、ドリームキャストのオンラインゲーム『あつまれ!ぐるぐる温泉』の制作に携わりました。人工知能の研究をしていたことがきっかけで、『サクラ大戦2』では敵を動かすアルゴリズムはすべて私が担当したんです。『あつまれ!ぐるぐる温泉』ではメンバーの入れ替わりなどもあり、2年目でしたが一時的にリードプログラマーを経験しました。
次に関わったのがドリームキャストのRPG『エターナルアルカディア』です。他社の大作RPGがセガ以外のプラットフォームで発売されることになり、セガとしてはなんとしてもRPGを作り出さなければなりませんでした。この企画自体は何年も前からありましたが、なかなか完成せず、私は制作最後の1年にプログラマーとして参加しました。ほとんどゼロの状態から一気に作り上げた怒涛の1年でしたね。
その後はセガから独立された方の会社でリードプログラマーを経験したあと、コーエーに入社しました。また一パートのプログラマーとして再出発になりましたが、『サクラ大戦2』の経験があったので、『真・三國無双3』で敵のAI、思考ルーチンを担当させてもらいました。前作までのシステムはあったんですが、大人数のキャラクターを動かす必要があったのでCPUの半分をAIで使っていたんですよ。そこを改善したいと思い、既存システムはすべて一新しました。その結果、CPUの1割から2割の使用に抑えることができました。
――それは大学院時代の研究がなければできなかったことなのでしょうか?
蛭田:技術や知識というより、その分野を知っているという信頼がアサインに繋がったのだと思います。作るものの中身は全然別ですし、ゲーム理論も使いませんから。私も実感としてよく分かりますが、プロデューサーやディレクターとしては、多少なりとも知見があるプログラマーを担当にしたいんですよ。
ただ、プログラマーとして信頼を獲得しつつも、どうしてもリードプログラマーをやりたいと思い続けていました。セガから独立会社に移ったのも、リードプログラマーをやりたかったからです。そして地道に信頼を得て、ついにリードプログラマーとして関わることになったのが『真・三國無双Online』なんです。
できるわけがないと言われても、やる
蛭田:『真・三國無双Online』は本当にたいへんな企画でした。実はこのタイトル、いまのゲーム業界の技術水準から見ても、かなり難しいことをやっているんです。というのも、オンラインゲームには遅延の問題があります。近距離で戦うゲームだと、遅延が画面上で見えやすくなるので違和感が生じてしまいますよね。その違和感を減らすのがとてつもなく難しいんです。
遠距離から銃で撃ちあうようなゲームであれば、銃を撃った瞬間に相手が倒れる必要がないので、撃ってから倒れるまでの間に遅延を吸収できるんです。ですが、目の前で戦うゲームだと、どこで遅延を吸収するかが大きな課題になります。サーバー側で処理するにしても、ボタンを押して、サーバーで処理をして、信号が戻ってきてやっと相手が倒れるというシステムでは、近接戦闘のアクションゲームとしては致命的に遅いんです。その遅延をどうすればいいのか、社内でもお手上げ状態でした。
当時のプログラマーは「そんなのできるわけない」という意見ばかりでした。ですが、私はリードプログラマーをやりたくて仕方なかったので、できる目処はなかったにもかかわらず、「やります!」と手を挙げました(笑)。その途端、周りのプログラマーから心配されたり呆れられたりしましたが、いずれにせよ口を揃えて「できない」と言われたんです。ただ、最終的にはいろいろな工夫をして、特許を取った技術で実現できました。
そのあとはカナダのスタジオに赴任しました。最終的には開発部門、グラフィックデザイン部門、人事・経理部門など全部門のマネージャーを兼任する形で、現地責任者として仕事をしました。さらに、インフラ担当者でもありました。そして、メンバーのためにお茶を買ってくるお茶係もやっていたことは言っておきたいですね(笑)。
――『真・三國無双Online』で蛭田さんにしかできない仕事をやってのけたことで、日本でプログラマーとして地歩を固められたと思いますが、なぜそのタイミングでカナダに行くことにしたのでしょうか。
蛭田:北米に挑戦したいという気持ちがありました。当時、コーエーの一番の課題が北米市場の開拓だったんです。強いタイトルである「三國志」などはアジア圏では受けますが、北米では文化的な背景を共有できません。つまり、コーエーにとって北米開拓は一番たいへんで、誰もやりたがらなかったんです。だからこそ、やりたいと思いました。
カナダでは取引も採用面接もすべて英語ですから、英語が話せるようになるという副産物もありました。実は、当時の私はプログラマーとしてのスキルにフォーカスしていたので、英語は一切勉強しないようにしていました。先のキャリアは見据えつつも、何でもかんでもやると収拾がつかないので、英語よりもC言語だと考えていたわけです。しかし、カナダで英語が話せないわけにはいきません。34歳から勉強を始めて、英語で契約交渉もできるほどにはなりましたね。技術者同士だと専門用語が同じなので、そこは助かりました(笑)。
ちなみに、カナダでもゲーム開発は行ないました。PSP版『無双OROCHI』の開発です。ここでも大きな課題はオンラインプレイでした。PS2版では、2人協力プレイは1つの画面(モニター)を分割しないとできなかったので、PSP版では2台で協力プレイをできるようにしたかったんですね。しかし、現地にそれを実現できるプログラマーはまだいませんでした。ただ、私は過去の経験があったため、自分でやることにしたんです。結果的には一人でアドホック協力プレイモードを実装しました。それをコードの解析から実装まで、3週間で成し遂げられたのはいまでも自慢に思っています。
新規事業を立ち上げ、ヒットタイトルを生み出す
――いまゲーム業界で先陣に立つ方々はプログラマー出身が多く、当時の逸話を読むと驚愕させられますが、蛭田さんも逸話をお持ちですね(笑)。コーエーでリードプログラマー、事業責任者を経験したあとはどんな道を進まれたのでしょうか。
蛭田:コーエーを退職したあとはクルーズに転職しました。クルーズでは経験を買っていただき、ネイティブアプリの事業立ち上げを任されたんです。経験者がいなかったので人を採用するところから始め、レースゲームの『ACR DRIFT』を10か月で制作しました。あのときもたいへんでしたね(笑)。ですが、経験者がまったくいない状態からの事業立ち上げの経験はとても有意義でした。
そのあとヤフーに転職し、ネイティブアプリの事業に携わることになりました。2015年にヤフーグループにスマートフォン向けゲーム事業を行なうGameBankが設立されたのですが、その立ち上げに参加しました。そこでおよそ1年間、CTOや人材開発室室長などを勤めました。そして2016年4月にヤフーに帰任していまに至ります。技術と事業の両方を担当しています。
振り返ってみると、技術、人材開発、事業立ち上げ、欧米ビジネスに携わってきたことになります。こうした経験ができたのはとても運が良かったと思いますし、厳しい環境に自分から飛び込んでいったことも大きかったのではないかと思います。
いまはお付き合いのある協力会社からアドバイスしてほしいという依頼をいただいていて、今後はコンサルティングのような業務も増えていくのかなと思っています。教育機関との繋がりもあり、作品の審査員など、私の経験を役立てていただける場所が増えているように感じます。
視野の広さがステップアップへの近道
――蛭田さんのキャリアはロールモデルとしてかなり面白いのではと感じます。誰もがそうなれるわけではないですが、ゲーム業界のプログラマーがベースとして考えるべきキャリアプランはどういうものでしょうか。
蛭田:プログラマーは現場のプログラマーから始まり、パートリーダーになり、リードプログラマーへとキャリアが続きます。そこから複数のプロジェクトを束ねるテクニカルディレクターとなり、社内の技術全体を束ねるのがCTOです。これをまずは念頭においていただければと思います。
私が仕事をしているときに必ず意識していたのは、視野を広く持つこと、自分が目指している次のステップを考えることです。プログラマーのときはパートリーダーの気持ちになって考える。パートリーダーのときはリードプログラマーの気持ちになって考える。私は新卒2年目のときに部課長マニュアルの本を読みまして、それがとても勉強になったんですね。
今回、本書で職種を網羅的に紹介したのは、それぞれの職種で目指すべきところを示したのはもちろんですが、ほかのパートの担当者が何を考え、何を目標に動いているのかを知ってもらいたいからなんです。自分のパートのことしか分からないと、ほかのパートと上手に仕事をすることが難しいですし、意見も噛み合わない場合が出てきます。ですが、ほかのパートの理解が進むと仕事もスムーズになります。上位職についても紹介しているので、プロデューサーやディレクターが考えていることを知り、そこから逆算で自分がやるべきことを見出すということも大切です。
プログラマーを指導する立場になって分かったのは、コーディングスキルだけではステップアップに限界が訪れるということです。例えばリードプログラマーはいろいろな部門とやり取りしますし、全体を設計する必要があります。部門の代表として他部門と意見交換や会議もしなければならないので、コード以外のことも幅広く知っているほうがいいんです。
また、若いうちから人脈作り、仲間作りを積極的にするとよいと思います。私の場合は、幸いなことに同期が300人ほどいまして、同期の繋がりが最初からあったんです。仲のいいプログラマーには困ったときに相談することができました。頼りきっていたわけではありませんが、いざというときに心強いですよね。
私の場合は特殊な例ですが、勉強会や懇親会などに参加することでも人脈を作ることができます。ただ、名刺交換だけではダメなんですね。人脈となるかどうかは、自分がどれだけ相手の役に立てるかにかかっています。ですから、情報発信することが重要です。そうすると、相手からも返してもらえます。
あと、簡単に「できない」とは言わないように心がけるとよいと思います。どんな難しい仕事でもとりあえず全力で考えてくれる人、とディレクターに思ってもらえれば、仕事を頼まれやすいですよね。周りができないと言うことほど、なんとか取り組んでみてください。
実用ソフトの開発者がゲーム業界に転職するなら?
――いままさにゲーム業界に転職しようかと考えている方もいると思うのですが、業務ソフトや実用ソフトを開発している方がゲーム業界に転職する際に意識すべきことはどんなことでしょうか。
蛭田:まず言えるのは、実用ソフトとは開発や技術進歩の速度感がまったく異なるということです。ゲーム業界は技術の進歩が早いんです。例えばセガサターンからドリームキャストへの移行など、プラットフォーム自体が性能も仕様も一度に切り替わりますし、合わせて使用する言語も変わっていきます。特定の言語・技術を極めても、数年後のパラダイムシフトで使えなくなる事態が当たり前に起きます。リファレンス並みの知識を持つことよりもむしろ、新しい技術でも調べてすぐに実装できること、要するにプログラマーとしての基礎の部分が重要だと思います。
進歩の早さは、巨額のお金が動くという背景があるからです。大ヒットすればとても大きな利益が生まれるんです。ですからその分、競争が激しい業界です。他社より半歩でも先に行きたいという思いから、VRやARなどどんどん新しいものに挑戦していきます。ユーザーも一つのタイトルを遊び続けるわけではなく、飽きたらどんどん次のタイトルに手を出していきます。人間は飽きる生き物ですから、メーカーは新しいものを生み出し続けないといけないんです。
ゲームは誰かの人生を変える
蛭田:これは逆説的ですが、ゲームは役に立たないがゆえに、最高の技術が必要です。
実用ソフトやアプリは例え使い勝手が悪かったとしても、ユーザーは用事をこなすためにそのソフトを使わなければなりません。
ゲームはユーザーに選んでもらい、遊んでもらうために「おもてなし」をする必要があります。グラフィックは美しく、UIは分かりやすく、エフェクトは気持ちよく、ローディングは早く、そして音楽は雰囲気を盛り上げなければなりません。それらすべての基本的な水準をクリアしたうえで、さらにゲームとして面白くなければ、ちょっと触っただけで二度と手にしてもらえません。
ゲーム開発は本当にたいへんですが、そこにかける労力に見合った価値があると思います。実用ソフトやアプリで人生が変わったという人は、あまりいませんよね。しかし、「このゲームで人生が変わった」という人はけっこういるんですよ。
昔、『あつまれ!ぐるぐる温泉』で出会って結婚した方々による座談会の企画があったんですが、私がこのゲームを作っていなかったら皆さん結婚していなかったかもしれない、と考えて、人に与える影響の大きさを再認識したのを覚えています。もう一つ、私がカナダで採用した新人が『エターナルアルカディア』を熱心にプレイしてくれていたんですよ。国境を超えて、世代も超えて話ができるくらい、ゲームは人の人生に影響を与えることができます。
――そのお話には心から共感します。僕は長らく『League of Legends』をプレイしているんですが、地元に帰ろうかと思っていたとき、このゲームがきっかけでeSports業界に入り、経験を積んで翔泳社に入社して、いまこうして蛭田さんにインタビューすることになりました。
蛭田:そうなんですか! やはり、自分の作品が誰かの人生に影響を与えるというのは、プログラマーにとってゲーム業界で仕事をするうえで大きな魅力だと思いますね。
キャリアプランを説明できるようになろう
蛭田:ゲームは当たり外れが大きいので、この業界に飛び込んで大丈夫なのかと心配される方も多いかもしれません。ただ、それは心配する必要がないと思います。プログラマーは特に、他業界に比べて扱う技術の範囲が広く、難しいことに取り組まなければならないので、ゲーム業界で培った技術は間違いなく他業界でも通用するでしょう。
これからゲーム業界を目指す方は、将来のキャリアプランを考えてみるとよいと思います。面接では最終的なゴール、途中のマイルストーンに向けて、いま何に取り組んでいるのか、これから何に取り組もうとしているのか説明できると、好印象です。
もちろん面接だけでなく、人生設計においてもそれは大切なことだと思います。人生の時間は限られていますから、行き当たりばったりではなく、何をして何をしないのかの取捨選択を判断し、どんな道を歩もうとしているのか、頭に入れて毎日過ごすとよいのではないでしょうか。
本書はまさに、10年前、20年前の私にそういったことを伝えたいと思いながら作ったんです。