「人と違う自分を大切にしよう」のメッセージを胸に
IT業界における転職はさほど珍しいものではない。しかし、博士号を持ちアカデミックの世界から、民間・ビジネスの世界にキャリアチェンジする人はそう多くはないだろう。その意味で、国立情報学研究所で量子コンピュータの研究を14年間行ったキャリアを持ちながら、民間企業でのエンジニアへの転身を果たした宇都宮氏は稀有な存在と言える。
とはいえ、米国などではアカデミックとビジネスの世界を行き来してキャリアを構築することは一般的であり、特に新しい技術や研究がどんどん生かされるIT分野においては、企業も積極的に研究職を受け入れている。実際、日本でもそうしたキャリアパスを選ぶ人は近年徐々に増えており、まだ少数派とはいえ、宇都宮氏のような例は増えてくると思われる。
AWSに入社して7カ月、「エンジニアに転職してうまくいった話をしようと思ったものの……現時点で答えはまだない」と語る宇都宮氏。それでも登壇することを選んだのは、キャリアが多様化する中、その一例として何らかの参考になればと思ったからだという。
宇都宮氏は東京工業大学の情報系学科である電気電子工学科に入学し、興味を持った「量子コンピュータ」の研究を行うため、東京大学の大学院へと進み、専門を情報から物理に変更した経歴を持つ。「量子物理に軸足を移してから生活の中心が研究になり、凝縮系の量子シミュレーションで博士号を取得した。世界と競争するエキサイティングな研究に没頭しているうちに時間がたった感じ」と振り返る。
その後9年間、国立情報学研究所で助教・准教授として、「物理と情報をつなぐ」研究に軸足を移しつつ、産学連携で国家プロジェクトを進めていた。2017年からはトヨタ自動車に転じ、自動運転開発の経験を経て、現在はAWSにて機械学習ソリューションアーキテクトとしてお客さまの機械学習プロジェクト支援やソリューション開拓を行っている。
「量子コンピュータ」「自動運転」「機械学習」というと、一見関連性がわかりにくいが、宇都宮氏は「自分なりの一貫したテーマがあっての選択」と語る。その行動指針となっているのが、恩師である山本喜久先生の「人と違う自分を大切にしよう」という言葉だ。そもそも女子学生が少ない大学、学部学科、アカデミックからエンジニアへのキャリアチェンジなど、かなりのマイノリティであることは間違いない。
「日本では人と違うキャリアを選ぶことはなかなか難しいこと。時々、つらくなることも葛藤することもあるが、この言葉を思い出す」と語る。実際、「人と違うキャリアを選ぶ」ことによって人が体験できない喜びや楽しさも多く得てきたという。
興味関心の赴くまま、量子コンピュータの世界で経歴を積む
そんな宇都宮氏、子どもの頃は将来の夢を「コンピューターおばあちゃん」と答え、また中学時代からはPC-9801VXでRPGゲーム作りに没頭するなど、一風変わった子どもだった。高校でもなんとなく理系クラスに進み、「新しいものを作りたい」と東京工業大学に進学。女子率5%という未知の世界で戸惑い、人並みに悩み、紆余曲折がありつつも東大の大学院に入り、そこで量子情報に出会うことになる。
このときの選択が宇都宮氏にとって最初の「Bias for Action」になったという。このキーワードこそが、アマゾンが大事にしているカルチャーを表現した「リーダーシッププリンシプル」のひとつである。
悩んだらまず行動と、指導教官に「量子コンピュータを研究したい」と手紙を書いた結果、国立情報学研究所に招聘されたばかりの山本喜久先生を紹介され、そこで連携大学院生として研究することになる。
「当時、スタンフォード大学とのプロジェクトが走っており、世界の最先端が見えるかもしれない、またとないチャンスと思った。ここでもアマゾンのリーダーシッププリンシプルにもある『Think Big』として、自分ができる範囲を広げようと思ってこの道を選択した」と宇都宮氏は当時の心境を振り返る。
そして、量子コンピュータの勉強を始めるにあたって最初の教科書となった『Quantum Computation and Quantum Information』(マイケル・ニールセン、アイザック・チャン)を紹介。最初の壁として、量子誤り訂正符号に触れた際、物理を使って情報の技術を凌駕する難しさを実感する。
さらに宇都宮氏は、1998年から2019年までの量子コンピュータのタイムラインを示しながら、現在は超伝導量子ビットがスケーラビリティの点で優勢であること、2量子ビットの演算から数十の量子ビットで演算ができるようになるまでに20年ほどの歴史があることなど、量子コンピュータ実現の難しさについて語った。
そして、量子アルゴリズムの中で、現在も重要なもののひとつとされている「ショアの素因数分解アルゴリズム」を勉強する中で、新しい量子アルゴリズムを作る理論研究から、いかに現実的な近似を入れて実際の物理系を理論で説明するかという半導体の物性実験の道にシフトすることとなる。
当時、教授である山本氏は普段スタンフォード大学におり、研究室には自分だけという状態。メールやFAX、電話でやりとりしながら、NTT物性基礎科学研究所に実習生として通い、電子ビームによる半導体ファブリケーションを実施し、3カ月に1度スタンフォード大学へ出張実験のため向かうサイクルを繰り返した。まさに研究に没頭する「Dive Deep」(これもアマゾンのリーダーシッププリンシプルのひとつ)な日々。
そして光半導体の量子シミュレーションの実験に成功し、無事に博士号を取得。就職するか研究を続けるか迷っていたが、「半導体の冬の時代」で就職先がないことを危惧し、研究を続けることを決意した。
とはいえ、当時周りは就職における博士号についてはまだまだネガティブな印象があり、女性としてライフプランを考えたときに「手に職」とはいえないことを実感。そうしたことから、未来のキャリアプランに漠然とした不安を持っていた時期でもあったという。
2008年からは国立情報学研究所で助教となったものの、常に「このまま量子情報の研究を続けるべきか」「そもそもなんのために研究しているのか」と思い悩みながら自分の道を探っていった。
物理と情報を橋渡しして、世の中に役に立つものを作りたい
物理とは、自然界に見られる現象の普遍的なルールを発見し、自然界の現象を理解すること。そして情報とは、抽象的なことを表現するものであり、人と社会をつなぐもの。その二者がつながる「量子情報」では、例えば「光格子時計」のような10-18もの高精度な時計を実現することで、世の中の計測技術を置き換えうるものを生み出すことができる。「量子情報」は原子や光、半導体、イオンなどさまざまな異なる量子的な物理現象がひとつの基準で記述され、量子コンピュータだけでなく、量子計測、量子標準、量子通信など量子的な性質を使ったさまざまな分野の研究がある。さまざまな学問が融合していくところに分野としての面白さがあるという。
その面白さは当然のことだろう。1902年の「ゼーマン効果」の受賞以降、関連する研究がコンスタントにノーベル賞を受賞。それだけ世の中を変える可能性があるものが多いということだ。宇都宮氏はその中に身を置きつつ、「より実用に近い研究」を追い求めてきた。そして「レーザー発振の速さで計算を終える」という研究に、国立情報学研究所とNTT、スタンフォードの理論家、実験家を含む数十人の大勢のチームで挑み、2016年に実験を完成させることができた。
宇都宮氏は出口探索を行う中で、物理と情報の壁を感じながらも「量子コンピュータはまだ基礎研究段階で、いますぐに出口として何らかのシステムの形にするのは難しい。それなら、ある程度基礎研究として温め、作っていくことが大事」と感じ、双方の橋渡しになることを意識するようになった。
自分にしかできない研究を追求する、非常に充実した研究生活だった。そうした充実感を覚える一方で、アカデミックな世界では先が見えない不安を感じることも多かったという。アカデミックポストは非常に狭き門であり、自分の雇用もいつまで続くかわからない。さらにグループメンバーの雇用や運営資金の調達なども自らの責任のもと対応する必要があり、宇都宮氏は「スタートアップのような緊張感が常にあった」と表現する。
そうした研究者を取り巻く状況を見てみると、アカデミックから企業の研究者になる人が多数を占め、国の研究機関に就職する人はほんの一握り。そして、国の研究機関から民間企業に出ることに対しては、リスクと感じる人も多いのだという。その理由のひとつには、民間企業に出て論文を出すことが難しい職種に就くと、「研究者として表に出せる業績がストップしてしまう」ことがある。その結果、論文という研究業績が求められる国の研究機関へ戻ることが難しくなるリスクになってしまう。
国の研究機関から民間企業へのキャリアチェンジ
国の研究機関を出るかどうか何度も迷い、それでも、世の中に対して何かを問いかけていくことへの関心が高まる中、研究機関を出て、民間企業への就職を考え始めたのが2016年。転職エージェントを利用したところ、半導体冬の時代は過ぎ、博士号に対しても歓迎されるようになっていた。それでも先輩からは「自由度が低下すること」を覚悟するように言われ、自分のキャリアをつなげるためにも、どういうことを考えて転職を決意したか、本を書くことと世の中に発信することを勧められた。
その後2017年にトヨタ自動車、2018年にはAWSへ身を置くことになる。そこで共通して得られた視点として、宇都宮氏は「お客さまを起点に製品を作る重要性」を挙げる。
トヨタでは自動運転のプロジェクトに携わることとなったが、「命に関わる製品を出すことは想像以上に難しく、日本のモノづくりの進めかたとAIを取り入れるソフトウエア開発とでは、考え方やスピードが大きく異なることに戸惑いを感じた」と語る。一方で、お客さまのもとに確実に届く車という大きなシステムを、企画段階からしっかりと作り上げるプロセスをトヨタで学べたことは、非常に価値のある経験だったという。宇都宮氏がものづくりへのAI導入を考える上では、この経験が重要な軸となっている。世界のトップレベルの研究開発を、どうやってシームレスに製品開発につなげていくのか。その課題感を持ちながら、次の挑戦のステージとして選んだのがAWSだった。
AWSでの働き方において、何より心惹かれたのが「楽しそうに仕事をしていること」だったという。さらに在籍していた友人が「ソリューションアーキテクト」の仕事について「顧客のやりたいことをくみ取り、成功させるためのあらゆる技術的サポートをする」とブログに書いているのを読み、トヨタで実感した「お客さまを起点に製品を作る重要性」との共通性を見いだした。
「自分が研究してきた量子コンピュータの基礎技術を世の中につなげていくためには、世の中でどのような技術が求められているのかを知ることが不可欠。その上で基礎と実用技術をつなげられる人が必要と感じ、思い切ってエンジニアリングの世界に飛び出した」と宇都宮氏は入社の動機を語る。
Amazonでは「Working Backwards」といって、お客さまが軸となり、次の製品開発プランが決まる。フィードバックを日々取り入れながら製品のプランニングを柔軟に変えていくので、ものすごいスピードで業界の求める多くのサービスがリリースされていく。 「そんな製品開発のスピード感に日々圧倒されながら、お客さまとのコミュニケーションを大事に、仕事を進めている」と宇都宮氏は語る。
そして今、感じているのは「会社のカルチャーはとても大事」ということだ。これまでエンジニアリングとは異なるピュアなアカデミックにいたとはいえ、キャリアの節目節目で宇都宮氏がとってきた行動、大切にしてきた指針は、偶然にもアマゾンのリーダーシッププリンシプルと多くが一致する。その結果、「全く違う職種ながら楽しく仕事できている」と話す。
アカデミックな業界で得た知見と、堅実な製造業での経験の両方があったからこそ、AWSの機械学習ソリューションアーキテクトという新たなチャレンジでも、お客さまの課題を解決する即戦力として活躍できる。日本の強みである製造業へ、クラウドやAI技術の導入を加速することで、日本の力になりたい、と宇都宮氏は語る。
「何かを捨てなければ新しいものは入ってこない。長く積み上げてきたキャリアに疑問を感じたとき、新しいことを始めることは簡単ではないし、必ずしも成功につながるとは限らない。でも、そこに一貫した意思がある限り、キャリアは捨てても後からついてくる。『このままでいいのかな』と思ったときに、ぜひとも自分を信じて第一歩を踏み出してみてほしい」と会場に語りかけ、結びの言葉とした。
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