コードを書かないエンジニア「プロダクト・スペシャリスト」――激変する社会から見た役割や仕事の意義を問う
新卒入社から1年で富士通を退職し、顧客体験プラットフォーム「KARTE」を提供する株式会社プレイドのプロダクトスペシャリストとして活躍する池上純平氏。自身の転職やエンジニアのキャリアなどをテーマにしたPodcast「しがないラジオ」のパーソナリティや、『完全SIer脱出マニュアル』の著者としても知られる存在だ。
「自分で仕事環境を変えて楽しく働けるようになった結果、人生全体が楽しくなった」と語る池上氏は、個人ミッションとして「楽しく働く人を増やす」ことを掲げ、YouTubeやnoteマガジンなどを毎週更新するなど、活躍の場を広げている。
そんな池上氏は本セッションについて、「自身の仕事上の役割について、社会的にマクロな視点から意義を捉えて説明したい」と語る。池上氏はプロダクト・スペシャリストエンジニアとして、プロダクトとユーザーとの間をエンジニアの目線から埋める”テクニカルサポート的”な役割を担っているが、エンジニアながら開発をメインとしない業務ために、「どんな仕事?」と問われても説明できないでいた。しかし、その仕事がプロダクトに、そしてプロダクトを通じて社会に与えるベネフィットは大きい。
「DXやデジタル、SaaS、xOps、NoCodeなど、IT界隈を巡る世の中の変化がなぜ起きているのか。その上で、エンジニアが果たす役割を理解することで、エンジニアの新しいキャリアのヒントが得られるのではないか」と語り、「自分の仕事について言語化し説明することで、”同じ役割を担う仲間”を増やしていきたい」と意気込んだ。
DXをバズワードと見て距離を置くよりITでオンオフをつなげてディスラプトを生む側へ
エンジニアの新たな働き方・役割を考える上で、考慮すべき世界トレンドが「DX」だ。あらゆる人やモノが通信端末を介してインターネットに常時接続される「人類史上初の事態」が生じ、あらゆる業界でディスラプト(破壊)が起き始めている。
例えば、Amazonの登場によるリアル書店への打撃、Googleマップが地図業界を大きく塗り替えたのも、その一部。その状況に恐怖を覚える人も少なくないだろう。
池上氏は、DXの第一人者マイケル・ウェイドIMD教授の著書『対デジタル・ディスラプター戦略』から、デジタルの渦によってあらゆるものがデジタル化される「デジタル・ボルテックス(渦巻)」の概念を紹介し、その影響力の大きさを強調する。
しかし、日本でバズワード的に流行っている「DX」は、「不確実性の高い市場環境で、主に経済産業省が日本の従来型企業に“発破”をかけるために使ってきた言葉。一部のIT企業のマーケティング用語としてさまざまな文脈で濫用され、誤解を生む“いわくつきの言葉”になってしまった」と池上氏は嘆く。
特にDXの本質をわかりにくくしているのが、「デジタル」という意味の曖昧さだろう。前述の「対デジタル・ディスラプター戦略」では、「複数の技術革新がコネクティビティの向上という意味で統合されていくこと」と記されており、その例としてデータ解析やクラウドコンピューティング、SNS、IoT、機械学習、VRなどがあげられている。いわば、ITが個々の技術であるのに対し、デジタルとは技術で実現される世界観のことだ。
それでは、企業のDXとはどのようなものなのか。池上氏が「腹落ちした」という表現は、従来型企業が「デジタルネイティブな組織に変わること」だ。つまり、単にテクノロジーを導入するだけでなく、仕事の仕方をデジタル前提のものに変え、さまざまな業務の迅速性を高めること。さらにいえば、その結果としてディスラプトされる側からする側に転換することだ。
しかしながら、エンジニアの多くはDXを嫌う傾向にある。その理由について、池上氏は「DXとは、従来型の組織がデジタルネイティブに変わることで、多くのエンジニアには関係がないと考えている。開発の自動化やSlackの活用などが普通のエンジニアにとって、DX関連のノウハウは当たり前過ぎて学ぶことが少ない」と分析する。
そしてもう1つ、「DX」がバズるほど、さまざまな誤解が生まれ、余計な仕事が増える恐れがあるからだ。「AIやRPAを導入すればDX」というように、本質的でない仕事がエンジニアを苦しめているのは、それ以前のバズワードにも見られる事象だ。
そして池上氏は、よくある誤解として「従来型企業を無視して、スタートアップやIT企業が頑張ればいいのでは」という捉え方があることを指摘。「もはやネットのみで完結するビジネスは出尽くし、これからはリアルな世界とどうつなぐかが主眼になる。となると、従来型企業が積み上げてきた資産は無視できない」と語る。DXをバズワードとしてみなして距離を置くよりも、うまく活用した方がいいわけだ。
IaaSとDevOpsによってアジリティを高め、ディスラプターに対抗しうるDXを実現する
それでは、DXのために従来企業は何をするべきなのか。池上氏は「ITを活用して少しずつアジリティを上げること」を勧める。「破壊的なプロダクト」にはITのスケールが不可欠であり、不確実性の高い状況では、ITを活用して高速で仮説検証を回すほかない。
その際、意識すべきが「プランニングよりアジリティ」だ。特に従来型企業では長期的な計画のもと動くことが定石になっており、一見安心に見えてリスクを先送りにしているだけだという。それよりも「ディスラプター」のスピード感や柔軟性、有効性に対応できる能力こそ重要であり、そこにITを活用する必要がある。
そのアジリティを実現する上で重要なのが、IaaSとDevOpsだ。池上氏は「ソフトウェア産業がDevOpsと出会い、プロダクト開発のアジリティを高めた。当然、他の産業でもアジリティを高めるヒントになる」と語る。
DevOpsはガンガン開発したいDev(開発者)と安定的に運用したいOps(運用者)の対立を解消するべく生まれたものだ。そこにIaaS(クラウドインフラ)の登場で、「計算機資源そのものが仮想化され、計算機資源がプログラマブルになった」ことで、Ops業務がコンピュータ制御できるようになり、Devが取り扱えるようになった。
するとエンジニアの役割にも変化が起き、従来のOpsはDev目線で作り変えられ、SRE(Site Reliability Engineering)という新しい役割に変わっていった。そして、Devがインフラを直接扱えるようになり、ホップ数が減ることでアジリティを獲得したわけだ。
エンジニア不在の従来型企業でのアジリティ確保のカギは? 急増するSaaSを活用したxOpsの加速にあり
それでは、他の業務のアジリティはどうしたら向上するのだろうか。まず前提として、オペレーションの重要性が増していることがあげられる。特に、売った後も顧客との関係が続くようなビジネスモデルの優位性が増し、そうしたサブスクリプションの時代には、サービスの継続的な改善と同時に安定的な運用のバランスがこれまで以上に大事になっている。オペレーションの改善が顧客の信頼を高め、売上に直結するからだ。
DevOpsもその1つだが、CustomerOps、DesignOpsのように、さまざまな業務オペレーションの改善「xOps」が注目されており、さらにその主戦場はITにある。つまり、テクノロジーの活用度合いによって、各社のOpsに差が出るようになり、そのまま事業競争力にも差が生じている。
またSaaSの開発・利用が進み、それによってxOpsの加速も進んでいる。事実、企業では平均80個ものSaaSプロダクトが使われているともいわれており、実際、SaaSは業界別・職種別に分化し、”爆発”とも言えるほど急増している。
そうした状況下で、システムの調達としては、1.探して使い、2.足りない分やつなぎ込みの部分は内製というのが、潮流になりつつある。ただし、日本の従来型企業にはそれができるエンジニアがいないという現実がある。そこで池上氏が現実解としてあげるのが、非エンジニア主導でxOpsをやること。いきなり内製化ではなく、テクノロジー活用のノウハウを自分たちの中に積み重ねていく「手の内化」が必要である。
つまり、DevOpsが「エンジニア(Dev)が主導する開発業務のOps改善」だとすれば、xOpsは「非エンジニアが主導する、開発以外の業務のOps改善」ということになる。SaaSの登場によって、非エンジニアだけでシステム構築まで完結できるケースが増えている。そうなれば開発以外の業務でもアジリティが上がるのは必須と言えよう。
xOpsでもDevOpsと同様、各業務部門と情報システム部門の対立を解消するものだ。そこにはクラウドサービスであるSaaSの登場があり、非エンジニアでもシステム構築ができるようになったことが大きい。例えば、労務部門だけでSmartHR、CS部門だけでチャットボットを導入できるようになっている。
池上氏は「IaaSと同様、SaaSの登場によってエンジニアの役割にも変化が起き、個別にオンプレ業務システムをカスタマイズしていたSIerの仕事は減り、SaaSによるxOpsを支援する新しい役割へと変わるだろう」と予測し、その役割名を仮に「SaaS Ops」と名付けた。これもまた1つの「開発をメインとしないエンジニア」の形であることは間違いない。業務部門がSaaSを直接扱えるようになり、ホップ数が減ってアジリティを獲得していく。
池上氏は、「DXは従来型企業が『デジタルネイティブな組織』に変わることであり、そのためにはITを活用してアジリティを上げることが重要。SaaSの登場で非エンジニアだけでシステム構築ができるようになり、その結果、さまざまな業務のアジリティが上がる。つまり、DXの第一歩は、SaaSを活用してアジリティを上げることなのではないか」と強調した。
こうした予測を裏付ける資料として、池上氏は「企業向けソフトウェア市場のSaaS比率」の推移を提示。それによると、これまで主流だった業務パッケージソフトに対して年々SaaSの比率が増え、2020年度見込みで約半数を越え、さらに増加傾向にある。
池上氏は、「現場のメンバーが自らSaaSの導入や運用を経験することで、デジタルを前提とする仕事の仕方に慣れ、それが徐々に組織文化として根付いていく。そうしてようやくエンジニアの採用やシステムの内製ができるのではないか」と語った。
「利用者との間に立ってプロダクト価値を最大化する」エンジニアの新しいキャリアの形「プロダクト・スペシャリスト」とは?
そうしたSaaSを利用する企業が増える一方で、日本でもSaaSを作る企業が急増している。そして、「SIer的な世界のSEやPG」の仕事の一部がSaaS企業に吸収されると考えられる。当然ながら、そこに属するエンジニアも増え、それがエンジニアのキャリアの選択肢にもなりうる。
それではSaaS企業の中で、エンジニアにはどのような役割が求められるのか。池上氏は「SaaSプロダクトを開発するエンジニア」と「SaaSプロダクトを使う人を支援するエンジニア」の2つに大きく分かれていく。後者について、プレイドではプロダクト・スペシャリストと呼び、役割が似ている職種としてはCRE、テクニカルサポート、ソリューションアーキテクト、デベロッパーアドボケイトなどがある。
プロダクト・スペシャリストの仕事は、SaaSと利用者の中にある2つのギャップをすり合わせていくことだ。まず1つ目は、「エンジニアリングスキルのギャップ」で、汎用性の高いSaaSを業務に合わせるために必要なエンジニアリングスキルが、利用者のほとんどが非エンジニアであるために不足していることだ。2つ目は、SaaS側の問題として、業務が日々変化する中で「業務知識のギャップ」が生じてしまうことにある。
エンジニアリングスキルについては、いくつか勘違いや誤解を解消する必要がある。まず、SaaSでの「ノーコード」について、非エンジニアでもシステムやアプリケーションの構築ができるとされているが、「誰でも簡単に操作できる」ことと、それを使って「複雑な現実に対処する」こととの間には大きな開きがある。池上氏にとってノーコードとは「超高水準プログラミング言語」であり、エンジニアとしてのスキルが必要だ。
池上氏は、事例として自社SaaSの「KARTE」の管理画面を出し、Webサイトにコンテンツを挿入する際はやはりHTMLやCSSセレクタなどWebの知識、データ連携のためにはデータ管理のリテラシー、とそれぞれエンジニアとしての知識が必要になることを明かした。そのギャップを解消するために存在しているのが、プロダクト・スペシャリストという仕事だ。
非エンジニアのエンジニアリングスキルのギャップを埋めるために、テクニカルサポートや運用設計支援、ドキュメント執筆、テンプレートやツールの開発などの業務に当たる。また、逆に利用者目線でプロダクトに対してフィードバックを行い、「業務知識」のギャップを埋めることも重要な役割だ。
そうした活動によって、プロダクト・スペシャリストが目指す価値とは何か。それは、「利用者との間に立ってプロダクト価値を最大化する」ことだ。
「どんなに良いプロダクトを作っても、適切に使ってもらわなければ、価値は半減する。エンジニア目線で、プロダクトのより良い使い方を利用者に浸透させたり、逆に使いにくいところをブロダクトにフィードバックしたりすることが必要」と池上氏は強調した。
ちなみに、セッションのタイトルでは「開発しないエンジニア」と銘打っている通り、プレイドのプロダクトスペシャリストの多くはプロダクト本体のコードはあまり書かないという。ただし、SaaS上での実装や外部連携の検証、周辺ツールの開発など、手段としてコードを書くことは普通にあるとのこと。
池上氏は「目的に応じてジョブを使い分けるのが好きな人に向いている。スペシャリストとついているが、実際の中身はジェネラリストだと思う。インストラクターとして利用者に直接教えたり、ライターとしてドキュメントや教材を作り、その作業の一部を巻き取るSaaS Ops、PdMとしてプロダクト仕様を変えにいったり、開発部分も含まれる」と語る。
こうしたプロダクト・スペシャリストについて、SaaSが増え、人が必要になることは明白であるにも関わらず、人材不足の状況にある。池上氏は、「SaaSプロダクトを通じてより多くの人をエンパワーメントしよう。ぜひ、一緒にテクノロジーの民主化を進めよう」と呼びかけ、セッションのまとめとした。