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クラウドネイティブ時代のデベロッパー生存戦略

Azureは今どんな状況? AWSとの違いは?――Azureを日本でいち早く触ったAzureコンサルタント 浅見城輝さんに聞く

クラウドネイティブ時代のデベロッパー生存戦略 第2回(前編)


超少数の職場で何でもやっていたことが、今の会社経営に生きている

吉羽 浅見さんは、キャリアが結構波乱万丈じゃないですか。僕は途中から知っているつもりだけど、改めて最初からお聞きしてもいいですか?

浅見 1997年に新卒で入社したのが、ネットワーク機器メーカーのアライドテレシスという会社でした。そこで情シスに配属されたんです。で、なぜその会社に入ったかというと、日本の会社だったからです。自分でソフトウェアを作りたいと思っていたので。ところが、残念ながらソフトウェア開発部には配属されませんでした。

 2年間在籍していた間、1年半は、子会社の販売管理システムの開発をやっていました。もともとあったものをゼロから作り直したようなものですが、全部一人で作りました。あとの半年は情シスとして、社内のヘルプデスクのような、雑多なことをやってました。だから、開発もしていたんですね。その販売管理システムの裏がOracle Databaseだったので、よく分からないながらも頑張りました。で、他の仕事してみたいなと思って辞めて、いわゆる普通のソフトハウスに転職しました。

吉羽 受託開発がしたかった、という意味?

浅見 そうそう。今はもうなくなってしまった、20人ぐらいの小さな会社に転職したのですが、入社3日後には辞めたいって言ってました。だから、転職失敗したなっていう感じですよ。

吉羽 どういう点で失敗と感じました?

浅見 会社のスキルが低かったんです。情シスのままではスキルが育たない、それが不満で転職したのに、ネットワークも知らないし、開発もできないような会社だったんですよ。大手SIerの完全に下請けで、つまらないものを作らされてるって感じですよね。変更依頼票というものが上流から来るんですが、それを無視して自分がいいと思うものを好き勝手に開発していたら、当たり前のことなんですがあとで怒られて、その変更依頼票を書かなくてはならないという。そういう書類のやりとりが負担かかりすぎでバカバカしいと思っていましたが、我慢して半年は働きました。

 その後、辞めようかなっていう時に、たまたまアライドテレシスの時の上司と飲んで、その時の状況を話したら「それなら戻ってくれば」って言うので、そのままフワッと戻っちゃったんですよ。で、戻った結果、前と同じ仕事をするんですが、給料は同期より多くなりました。それはちょっと自分の中で、納得できる部分というか。

吉羽 なるほど、スキルが評価されて、ってことですね。これって2000年ぐらいの時期ですよね。当時で出戻るって、結構画期的な感じじゃないですか?

浅見 アライドテレシスって、元からそういう文化があったんです。それで、同じ部署に、同じポジションで戻って、同じものを面倒見ていました。そこではVB(Visual Basic)とOracle Databaseを使っていました。VBのマニュアルは薄いのが2冊だけという時代で、楽にやってました。

 1年ほど経った時、新しいプロジェクトで、協力会社も一緒に大きな規模でやることになったんですね。協力会社の管理をしながら、ちょっとしたツール作りは自分たちでやって、そこでPHPとPostgreSQLを使うようになったんです。

吉羽 懐かしい。PostgreSQLの初期の感じ。石井(達夫)さんがシーラカンス本(『PC UNIXユーザのためのPostgreSQL完全攻略ガイド』)を書いた時代ですね。

浅見 そうそう。でもその新しいプロジェクトになって、また数ヶ月で、そこも辞めちゃったんですね。

吉羽 じゃあ出戻り期間も1年ちょっとで終わったと。

浅見 1年3ヶ月ぐらいで。だから、オープンソースとの出会いという意味では、Linuxは学生の頃からやっていたけど、オープンソースのコードを書くっていうのは、その頃PHPを書いていたのがスタートですね。オープンソースのDBとの出会いも含めて。その頃はコミュニティにはあまり行ってなかったですね。ただPHPの勉強会は宮原(徹)さんが結構やってて、それは行ってました。

吉羽 ちなみに辞めた理由は?

浅見 子会社出向って言われたことと、やっぱり外の世界に出たいというのがあって。他の言語やDBをちょっと触ったりはできましたけど、あまり成長している感じはありませんでした。で、販売管理システムじゃなく、ネットワークやらせてくれって社内で希望出したんですよ。でも上司から、「いや、君に期待していることはネットワークじゃなくて販売管理だ」って言われて、それならもういいかなっていうのもありましたね。

 そこで今度は、Oracle DBの専門の会社に移りました。Oracleをちゃんと理解してできるようになりたいという思いと、それを仕事にしたいっていう思いで。いろんな会社を受けて、外資系の会社も含めていくつか合格したのだけど、日本のすごく小さな、当時社長一人しかいない、OracleのコンサルとOracle関連パッケージツールを作っている会社に転職したんですよ。その会社を選んだ理由の一つは、社長一人だけしかいない会社だったこともありましたけどね。

吉羽 その社長一人だけというのはなぜ理由になるんでしょう?

浅見 自由がきくかなって。風通しがいいとか、意見が通りやすいというレベルじゃ嫌だったので。そこに6年ぐらい所属していました。

吉羽 それは長い。

浅見 Oracle DBコンサルタントっていう肩書きで動かせてもらっていたので、そこでOracleのスキルは抜群に上がったと思いますが、人数の少ない会社なので、私自身はOracleだけやってるわけではないんですね。最終的に辞める頃には25人ぐらいまで成長はしたんだけれども。結局はプロダクトも持ってるし、コンサルティングやチューニングのサービスもやってるという会社だったんですが、それを売る人が結局いないんですよね。

吉羽 ああ、営業がいないってこと。

浅見 うん。で、社長があまり営業するのが好きな人じゃなかったので、外に出て毎回違うお客さんに行く係は全部私がやってました。最初の頃は社長も一緒に行ってたんだけど、途中からもう行かなくなって。だから、お金の部分の決済権は無いまでも、契約するまでの自社や製品サービスの紹介の部分や、あとは契約後のコンサルや、チューニングなどの実作業などを全部自分がやってました。

吉羽 個人商店に近い?

浅見 そうかもしれません。ただ社員は増えていってて、増えた人は何してるかって言うと、そのほとんどはお客さん先でDBAとして常駐してるんですね。で、ごく時々、そのDBAの面倒を見にも回ってました。

 プロダクトのサポートも基本的に自分が全部受けて自分が答えてました。パッケージの開発だけは、社長ともう何人かで作っていて、自分はマニュアルを書き、仕様や重要なことを決めるミーティングには全部出てましたね。基本的に今の自分ってそれが礎なんですよ。

吉羽 その頃に全部やった経験が生きてるんですね。

浅見 今はAzureのコンサルをやってますが、当時はOracle DBのコンサルっていう体で動いてて、やり方とかもほぼ一緒。

吉羽 なるほど。で、そこに6年いた後はどうしたんですか?

浅見 フリーランスです。リーマン・ショックの2年ぐらい前くらいの話ですね。

吉羽 じゃあ2006、7年ごろですかね。フリーになった理由は何だったんですか?

浅見 そろそろOracleに飽きたな、というのと、開発の超キーマンが辞めたんですよ。で、ずっと昔から「この人辞めたら辞める」って言ってたんですね。で、うちのプロダクトがもうダメなんじゃないかと思っちゃったのもありますね。実際には偶然にもすぐに優秀な開発者が入ってきて大丈夫だったのですが。

吉羽 で、フリーになった後っていうのも、先ほどのOracle DBの会社みたいな枠組みで、DBのコンサルやったりWeb作ったり。似たようなことやってた?

浅見 うん、基本的にはそうですね。特に最初の頃は、DB関係の仕事を受けていました。前の会社の取引先の方がすごく可愛がってくれて、その人から結構仕事をもらってたり、紹介してもらってたり。まあ、前の会社からも仕事をもらってたってのもあって。フリー時代は長かったのですが、途中で1回勤めたんですよ。

吉羽 知ってる知ってる。3ヶ月ぐらいでしょ。あれはいつ頃でしたっけ。

浅見 1ヶ月ですね。Azureが出る前だから、2009年ですね。リーマン・ショックの影響を受けて、仕事が純粋に減ったんですよ。私はDBAのくせに常駐しなかったんですよね。しかも基本的にはOracleしかやらなかったし。だから使いづらいと思われたのかもしれません。常駐すれば全然食っていけたんでしょうけど。

吉羽 それで1ヶ月勤めてやっぱり合わないやと。

浅見 1ヶ月勤めて、もうスーパーブラック企業だった。そういうことに気付かず入ってしまい。自分は社長とやりあえるからまだマシだったんだけど、若い人たちにとっては、何が正しいか知らないし、社長は怖いからやらされちゃってたんですね。だから1ヶ月で、その時はサービスをリリースして辞めたんですよ。

吉羽 おお、一応ケツは拭いて。それでまたフリーに戻った。

浅見 フリーに戻りました。その会社にとっては、サービスをSIerに頼むよりも安く作れてラッキーだったなって感じですよ。私が辞めたちょうど1年後に、社員の9割くらいが突然辞めちゃったみたいだけど。

吉羽 でもそれってあれですよね、リーマン・ショックで仕事がなかったのにまたフリーになるって。

浅見 もうしょうがなかった。

吉羽 もう勤め人はやっぱ無理っていう感じになった?

浅見 それもあるし、その死ぬほど忙しい1ヶ月で、仕事を探すことは当然できなかったんで。で、辞めるわって言ったら、いろんな人が仕事をくれたんですよね。逆に「仕事あげなきゃこいつはフリーを辞めて仕事を頼めなくなっちゃう」っていうのがあったし、「可哀想だな」っていう思いもあったんでしょうね。本当にいろんな人に助けてもらってました。

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インストールマニアックスがきっかけでAzureにいち早く触れた

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CodeZine編集部(コードジンヘンシュウブ)

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吉羽 龍太郎(Ryuzee.com)(ヨシバ リュウタロウ)

 クラウドコンピューティング、DevOps、インフラ構築自動化、アジャイル開発、組織改革を中心にオンサイトでのコンサルティングとトレーニングを提供。 認定スクラムプロフェショナル(CSP) / 認定スクラムマスター(CSM) / 認定スクラムプロダクトオーナー(CSPO)。Developers Summit 2016ベストスピーカー(1位)。 著書に『Amazon Web Services企業導入ガイド』(マイナビ)、...

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