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【デブサミ2020】セッションレポート (AD)

エンジニアのキャリアは無限の広がり! トッキー、ジニアス、漆原が語る、楽しいエンジニアライフ【デブサミ2020】

【13-A-8】俺たち一生楽しい厨二病~トッキー、ジニアス、漆原の赤裸々トーク~

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 Developers Summitでも重要なテーマの1つ「エンジニアの生き方」。パラレルキャリアやレアものハッカー、そして経営者など、様々なキャリアがあり、生き方がある。いわば、スキルがあれば自由で自分らしい生き方がかなう仕事ではないだろうか。そんなワクワクしたエンジニア人生を謳歌中の3人、トッキー(株式会社EBILABファウンダー 最高戦略責任者 最高技術責任者 エバンジェリスト 常盤木龍治氏)、ジニアス(日本マイクロソフト株式会社 マイクロソフトテクノロジーセンター テクニカルアーキテクト ジニアス平井氏)、漆原(株式会社ウルシステムズ 代表取締役社長 漆原茂氏)が、仕事や人生について語り合った。

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 「聞きに来てくれてありがとう!」と、エンジニアであり続けるために会社を興した「エンジニア経営者」の漆原氏。そこに、デモをしない登壇は今回初という「オタクエンジニア」のジニアス氏、プロダクトを作り続けていないと死んでしまう「パラレルキャリア軍師」のトッキー氏が加わり、「楽しいエンジニアの生き様」について語り合うパネルディスカッションがスタートした。

どこでどう生息しているの?

 個性豊かな3人のエンジニアは、日頃どのように仕事をしているのか。まずは「生態」の紹介から始まった。

 口火を切ったのは、日本マイクロソフトのマイクロソフトテクノロジーセンターでテクニカルアーキテクトの職に就くジニアス氏。「生息地は品川のオフィスで、企業の経営層やエグゼクティブ層に対してプレゼンテーションをするのが主な仕事。年間100~150社にアプローチする。技術的に難しい発表だと眠いし響かないので、様々なデモを仕込んで興味をひき、最終的に『マイクロソフトすごい』と思ってもらえることが目標」と語る。

日本マイクロソフト株式会社 マイクロソフトテクノロジーセンター テクニカルアーキテクト ジニアス平井氏
日本マイクロソフト株式会社 マイクロソフトテクノロジーセンター テクニカルアーキテクト ジニアス平井氏

 「マイクロソフト一筋26年間勤務。あと5年、定年まで多分やる」と微笑むジニアス氏に、「レアキャラ!」「外資系ではいない」とざわつく漆原氏とトッキー氏。実際マイクロソフトでは、技術や製品が続々と登場するため飽きないでいられたのだという。しかし「今も全部取り込むように努力はしているが、歳を取るとキャッチアップが大変になり、実は時々取りこぼしがある」と大企業ならではの悩みを見せた。

 続いてトッキー氏は、7年前に東京から沖縄に移住し、他に伊勢、九州、札幌、ブラジルなど世界中が出没地だという。AIのEBILAB、パーソルホールディングス、会計ソフトのPCA、沖縄にあるレキサスなど13枚の名刺を持ち、アウトプットのコミット制で仕事をしているという。「アウトプット品質が悪ければ即切られる」と笑うトッキー氏を、漆原氏は「ドMですね」とツッコむ。

株式会社EBILAB ファウンダー 最高戦略責任者 最高技術責任者 エバンジェリスト 常盤木龍治氏
株式会社EBILAB ファウンダー 最高戦略責任者 最高技術責任者 エバンジェリスト 常盤木龍治氏

 しかし、そんな漆原氏も変わり者としては負けてはいない。自称「すみっコぐらし」でこっそりと生息しつつ、稀に人前に経営者として登場するのは四半期の決算発表くらいだという。「JSONでデプロイ」などと、プログラム風に紹介されるという決算報告はエンジニアなら分かるとか、分からないとか……。

株式会社ウルシステムズ 代表取締役社長 漆原茂氏
株式会社ウルシステムズ 代表取締役社長 漆原茂氏

なぜ個性際立つキャラに化けた?

 それぞれキャラが立った3人だが、フレッシュな新人時代もあったはず。なぜ、個性際立つ現在のキャラに化けることとなったのか。

 ジニアス氏はマイクロソフトにサポートとして入社。当時、バグへの対処のために自ら情報収集し、方法を編み出しては「俺ってジーニアス」と一人悦に入っていたという。それをそのままパソコン通信のハンドル名に使っていたが、それを表立って名乗るようになったのは、イベントへの登壇がきっかけ。話すことに対して苦手意識を持っていたことから、「別人になればいいのでは」とアバター的に「ジニアス平井」を使ったところ、それが功を奏したのか、5年連続でトップスピーカーを獲得することになった。以降本名を名乗れず、「ジニアス平井」が定着してしまったという。

 一方、いまや「プロダクト軍師」と名高いトッキー氏のキャリアは「クソみたいな現場」から始まったと語る。「SESとしてクライアント側に派遣され、ヒエラルキーの一番下でプロジェクトトップの10分の1の手取りで働かざるを得なかった。業務といえばドキュメントやネットワーク構成図の作成。誰も見ないようなモノに対価が支払われ、セキュリティの厳しいデータセンターの中で、向かいの人とはIPメッセンジャーで対話し、午後5時になると全員がさっと立ち上がって帰っていくという職場だった」と振り返り、「『プロダクトで勝負しないとこの国は死ぬ!』と強く感じた」と語る。

 それがプロダクトにこだわり続ける原点となったというが、そこからどうやって軍師にまで上り詰めたのか。トッキー氏は「最初はドキュメントやマニュアルなどでシステムの外側でアベイラビリティを上げる部分、その後はERPで、卵の黄身のように真ん中で『ヒト・モノ・カネ』を司る部分。この2つを行ったり来たりしているうちに、全体の流れが見えてきた。ITでインターフェイスのプロトコルをわかっている人は少ないから、『このポジションを取りに行ったら日本だと楽勝だ!』と気づいた」と語る。そして「私が強いのではなく、強いポジションを取りに行っただけ」と振り返った。

 そして、漆原氏は起業の理由について「ずっとエンジニアであろうとしたら、社長になることが必要だった」と説明し、「経営としてはド素人だが、エンジニアがどうしたら幸せになれるか、お客様に価値を提供できるかを突き詰めて考えてきた。一方、『上場企業の社長の振る舞い』といわれるとシュンと5mmくらいに小さくなる(笑)。投資家向け説明会などはもう苦しくて、今も経営よりコードを書いている方が幸せ」と語った。

どうやって日々進化しているの?

 エンジニアのキャリアとして切っても切れないものが「技術」だ。現在も第一線でエンジニアとして活躍する3人は、日進月歩の技術とどのようにつきあっているのだろう。

 ジニアス氏は、AzureはもちろんJavaもPythonも、トレンドの技術は常にキャッチアップしているという。そのコツをジニアス氏は「バイキングみたいにちょっとずつ食べてみて、もっと食べたいものを深掘りする感じ」と語る。「基本的に情報収集はインターネットで行い、業務と関係なくても好きなものは追う。けれど、仕事に生かせるとさらに熱が増すので、できるだけつなげるようにしている」という。

 読書でというのは、トッキー氏。子どもの頃から本が好きで14歳から月に30~40冊は読んでおり、家庭の都合で高校は定時制、大学も中退という学歴ながら、いわばハイキャリアを保っていられるのは、ひとえに読書の賜物だという。

 そのストイックなインプットぶりは手持ちのiPhoneに1700本のアプリがインストールされていることからも伺える。「毎週80本はインストールして、50本をアンインストールしている。すべてのUI/UX、使われているコードなどをチェックするのは癖。新しい言語も必ず入れて試すようにしている」と語るトッキー氏だが、その忙しさは誰もが知るところ。「どうやって本を読む時間を捻出するのか」という問いに、「深夜3時まで読書をして寝て、6時半には起動する」と超人ぶりを明らかにした。

「楽しい!」を続けるには?

 どんな仕事でも、楽しい時期もあればつらい時期もつきもの。しかし、できるだけ楽しく仕事をしていたいと思うのが人の常と言えるだろう。

 ジニアス氏は「26年ずっと楽しかった」と言い切り、「エンジニアにつきものの『ハマる』『焦る』といった緊張感もすごく楽しい」と笑う。「ドM」と指摘しながらトッキー氏も同意し、「危機的状況に追い込まれるのがたまらない。プロジェクトが炎上しても、なんとか乗り越えて、顧客とカラオケに行ける関係になれると最高」と語った。さらに「ホワイトな職場で毎日定時に帰り、修羅場を超えたことがない人は、本当のエンジニア愛を感じないのではないか」とも言い放ち、ジニアス氏も「そういう時に意外とパワーが出る。締め切り1日前が一番力を発揮するかも」と神がかり的な瞬間があることを強調した。

 そんな時、「すぐに周りに投げかけて、仲間を巻き込むことが多い」というのは漆原氏。ピンチはいっぱいあるものの、「社内にもお客様にも仲間がいて、一緒に大変な思いをしながらゴールに向かうのは本当に楽しい。一人で辛い思いをしすぎない環境であることが、エンジニアが楽しく仕事をする秘訣ではないか」と語った。

 トッキー氏は「自分はどちらかというと、爆弾処理班で誰も頼れない状況に置かれることが多いので」といいつつも、「同僚ではなく『仲間』『同士』という言葉が自然に出てくる人は幸せ。自分も技術的には孤立無援の時があるが、待っていてくれる仲間がいるから楽しいのかも」と語った。そんな「新しい技術に悶えながらも楽しさを見出し、仲間とともに苦しみつつ高い目標に臨む」ことこそ、エンジニアの醍醐味という結論に会場からも同意が示された。

 さらに「楽しい! を続けるには?」の問いに対して「26年間ずっと楽しい」というジニアス氏から「目標は高く、腰は低く」というポリシーが紹介された。自分ができる能力より少し上をみながら、自分がまだ触れていない部分も意識すること。そして、レベルが上がると上から目線になりがちだが、過去の武勇伝より未来の話をするように意識する。そして、もう一つ「技術が分かったことで満足しないこと」。SNSでも本でも、デモでも小さくてもいいから「アウトプットを出すこと」が大事だという。トッキー氏も「どうしても過去の延長でものを考えがちだが、本来のエンジニアの仕事は『こうなっていてほしい』という未来の帰結から始まるべき。そのためにも寸暇を惜しんでアウトプットとして見せたい」と語った。

 楽しさの反対の、最も辛いこととしては「考えもしないうちから常に否定から入る人や雰囲気」だと3人は口をそろえる。トッキー氏は「チームづくりもプロダクトの一部だと考えるようにして、文化の醸成から取り組んでいる」と語り、「技術的なこだわりよりもプロダクトの価値を考える。そのためのチームづくりはある意味、原理主義かも」と笑った。ジニアス氏も「ギリギリまで努力しないといいアウトプットは出ない。というとブラックな印象はあるが、そこは好きでやっているし、やってほしい」と語り、漆原氏は「やはり仕事の楽しさは主体的、自発的であることが絶対」とまとめた。

エンジニアが多彩なキャリアを歩むには?

 かつてエンジニアのキャリアといえば、SEから始まり、プロジェクトリーダーやコンサルへと仕事の範囲が広がり、職能がマネジメントへとシフトする傾向にあった。しかし、3人のように、既に多彩なキャリアの可能性が広がりつつある。

 とはいえ、3人は年齢的にもキャリア開発というより、リタイアプランを考える世代。ジニアス氏は「どうやってきれいにやめるかが課題。できれば退職後もエンジニアとして、技術顧問みたいにずっと技術に関わりたい」と語った。

 一方、トッキー氏は「エンジニアは55歳くらいで辞めて、市長になりたい」とまさかの出馬宣言。権力や名誉力というより、「様々な問題を抱えている場所を整理して、問題解決して、つまりは理想的な『リトルビックプラネット』を作りたい」という願望があるという。「テクノロジーは人に寄り添うものなのに、まだ遠すぎる。エンジニアでない人がエンジニアリングできることが望ましいと思っている」と真意を説明し、「技術は世界を幸せに変えられるはずなのに、滞らせているのは人間側の怠慢なのではないか」と語った。

 今後については、ジニアス氏は「多様化が進む」と予測。「終身雇用制や副業禁止などがなくなり、様々な選択肢が増え、自由度が上がっていく」と語るが、トッキー氏は「それをラッキーと感じられるのは一部の実力者のみではないか」と懐疑的。漆原氏も「自由度が上がるとそれを不安に思う人も出てくるかも」と懸念を示した。なお、漆原氏の会社では、現役を続けられるよう定年の年齢を上げたという。その一方でトッキー氏は「人を雇用するリスクと生産性低下の観点から、適度に辞めてほしいと思っている会社も少なくない」とシビアな現実について語った。

 とはいえ、3人とも「年齢は意味がない」という共通実感がある。トッキー氏は「エンジニアリングの経験がない人が、エンジニアのマネジメントをすることで経験したつもりになっているキャリアが増えている」と懸念を示した。その解決策として、パラレルキャリアまでならずとも、週末副業で「自分が対価をもらっていることに顧客が不満を感じていない関係性を構築する経験をすること」をあげた。なお副業はあえてエンジニアではないキャリアでもいいという。

 漆原氏も「エンジニアと関係ないことがエンジニアの幅を広げることは多い」と同意し、「ITでなくても様々なコミュニティに出ていくと、仕事の話は向こうからくる。それも直接の関係性ができる」と語った。ただし、それは「何がどのくらいできるか」というアウトプットを見せられるからという指摘もあった。

「ともにつくる」を語れ

 最後にデブサミ2020のテーマである「ともにつくる」について、それぞれ次のようアドバイスが送られた。

 「いろんなところにぜひ首を突っ込んでいってほしい。ネットで見る情報より、リアルで会うことで相手のパッションに触れる。それでつながり、新たな気付きがあるなかで、ひらめきやアイディアとして自分の仕事に活かすことも多い」(ジニアス氏)

 「いまある能力は預かりものという前提で、言語もPCの仕組みも、現代社会のフレームワークもそう。それらを使用することは、すなわち『ともにつくる』を実践していること。今後も、皆さんの人生をハッピーにするために毎日生きていきたい」(トッキー氏)

 「エンジニアは未来をつくるからエンジニアなのでは。組織は大切ながら、個がともにつくり、輝く時代になっていることは間違いない。その意味で、ようやくエンジニアがエンジニアらしく活躍できる時代になったと思う」(漆原氏)

 「ようやく俺らのターンが来た、閉塞感を共に破っていこう!」という、ますます元気いっぱいの3人に、会場からは共感を示す大きな拍手が送られた。

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【AD】本記事の内容は記事掲載開始時点のものです 企画・制作 株式会社翔泳社

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