自意識をこじらせ、落ちるところまで落ちる
十松氏は東京工業大学大学院を修了しているが、これは「自意識の高さから来る学歴ロンダリングだった」と告白する。他大学に通っていた十松氏は、外部受験で東工大大学院を受験したわけだが、ただ「他人からすごいと思われたいの一心」しかなかったという。めでたく合格し進学したのはよかったが、そこがゴールになってしまい、大学院での研究には身が入らなかった。
「何かやりたいことを探さなければ」と考えた十松氏は、以前から興味を抱いていたこともあり、役者になるための勉強を始める。大学院修了後も定職には就かず、アルバイトをしながら役者としての活動を続けていた。住まいは千歳烏山にある家賃1万8000円のアパート。風呂もエアコンもない。それでも役者にこだわったのは「学歴を捨てて夢に挑戦する自分に酔いしれていた」からだ。
当然、そう簡単に成功するはずもなく、役者への道も諦めてしまう。貯金もなく、リボ払いは元本まで払えず、利息だけを払い続ける日々。本当にまずいと思った十松氏は、一発逆転を狙ってビットコインのFX取引に手を出す。レバレッジをかけて勝負に出ると、ビットコインは増えていった。しかし、大きなレバレッジをかけて勝負に出たところですべてを失う。そのときにぱっと空を眺めたところ「めちゃくちゃ真っ青な晴天だった」のだという。この晴天は、後々まで十松氏の記憶に残ることになる。
絵に描いたような転落ぶりだが「全部自分のせい。自己責任で誰のせいでもない。言い訳できない」と十松氏は語る。それでも気にかけてくれる周囲の人はいて、声をかけてくれた。そこで心境の変化が訪れる。
「今の自分は嫌いだけど、周りの人がこうしてくれている以上、自分のことを受け入れざるを得ない」
この境地に至って初めて自分に対する諦めが付き、こだわりが減り始めたという。少しずつだが「自分に向き過ぎていた強い矢印が、外を向き始めてきたような感覚があった」と十松氏は振り返る。地道にやっていくことを決めた十松氏は「働いて借金を返せるような状況にしよう」と動き出した。
再出発の地に選んだのは富山だった。十松氏の地元である岐阜県神岡町から近いところで、腰を据えて働こうと仕事を探し始めた。そこで富山に事業所を開設したばかりで、スタートアップメンバーを探していたクリエーションラインの求人を見つける。そして2019年4月、晴れて入社。未経験で飛び込んだITの世界、当然わからないことだらけだ。「C言語がどのようなものかもサッパリわからなかった」と十松氏は振り返る。
しかしここで再び十松氏の自意識が顔を出す。できるヤツだと思われたい気持ちが強く出てしまい、わからないことがあっても周囲の仲間には聞かず、自分のやり方で物事を進めてしまった。当然よい結果は出ず、時間ばかりが余計にかかり、自身もつらい気持ちを抱き始めていた。そんなあるとき、すべてを失った日の青い空を思い出した。
そこで十松氏は目を覚ます。できないことを受け入れて周りの人を頼った。自分がどう見られているかではなく、目の前の仕事を進めようと考えることができたのだ。そのとき周囲の仲間は「めちゃくちゃ親身に助けてくれた。それがとってもありがたいなと本当に思った」と話す。
その後は自分のやり方に固執せず、周囲の仲間の言葉を素直に受け入れて、目標達成を優先させることを覚えた。すると「仕事がうまく回ってきている感覚を得ることができた」という。理解できることも増えてきて、仕事の面白さも実感できるようになってきた。仕事がうまく回れば周囲の評価も高まり、それが新たなモチベーションになる。成長の好循環が始まったのだ。
十松氏はその際、自分の外に目を向けて、目標の達成を優先させることを心に刻んだ。そして、チームや富山事業所、会社といった他者を軸に、自分が今何をすべきなのかを基準とした。つまり「他者に軸を置いて行動」し始めたわけだ。
「他者を軸に置いて行動することに挑戦した結果、これまで以上に自分の成長を感じられた」
そして、十松氏がクリエーションラインに入社して2年が過ぎようとしていた。
若手を育成する立場に立って、自身もさらに成長する
入社3年目に入った十松氏に、会社から「開発者を養成するための教育制度を確立してほしい」といった話が舞い込んだ。これまでの人生経験から、人が成長していくことに興味があった十松氏は、その活動に取り組み始める。ただ、迷いがなかったわけではない。まだデベロッパーとして3年目の自分が講師として教える立場に立てるのか? 背中を押してくれたのはチームリーダーの「教える立場に立つことで、君自身も成長してほしいという目的もあるんだよ」との言葉だった。
デベロッパーが成長する上で、最も効果的な方法は何か? 十松氏は「実務の経験と学習の繰り返し」だと考えた。しかし、未経験者やデベロッパーとしての経験が浅い人がいきなり実務に入っても、何もできず終わるだけだ。そこで十松氏は、今回の教育プログラムではアプリケーションのコードを書く実践を体験できるようにしようと決める。
「自分で学び、失敗しながら、成長していくことが面白いという経験や、実際に作ったものをアウトプットして、触ってもらうところも体験できたらいいなと考えた」
そして十松氏は2年前の入社当初を思い出した。本当に助けを求めたときに手を差し伸べてくれる人が周りにいたから続けてこられたという記憶を。そして今回の教育プログラムが、社内でコミュニティのようなものになって長く続けばよいと考えた。
「現場に出ている卒業生がふっと帰って来て、気軽に悩みを相談できる場所になれば」
そのような思いを込めて、十松氏は教育プログラムを「アプリ荘」と命名した。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など、日本の漫画の歴史を作った巨匠たちが若手時代に暮らし、巣立っていった「トキワ荘」にあやかって付けた名前だ。「アプリケーション層」という用語にも重ねている。
アプリ荘は好評で、多くの若手が参加しているという。その中でも選抜した4名のチームでアプリを開発しているそうだ。十松氏が当初計画した、実際にアプリを書くという実践を、開発プロジェクトを通して体験することができているのである。
その4名は、普段はインフラ系の業務に携わっており、開発経験は少ない。業務の都合もあり、アプリ荘のために集まれるのは週2回。十分な時間が取れるとは決して言えないが、社内で使用するアプリを実際に開発している。4名は業務の合間を縫って、自身でも学習し、開発の作業も進めて、昨年内に社内デモを披露するところまで作り上げたそうだ。
デモの後、社内でテストユーザーを募ったところ、社内の有志が集まった。実際に使ってみて、多くのフィードバックをもらえたという。「自分たちが作ったものを実際に社内で使ってもらい、そのフィードバックを得る体験ができたのは、非常に大きいことだったと思っている」と十松氏はうれしそうに語る。
アプリ荘の開発メンバーはフィードバックを得て、やるべきことの優先順位を付けた上でアプリの改良を自発的に進めるようになった。まさに、十松氏が2年目までに経験した好循環が回り始めているのだ。アプリ荘の4人が開発したものをセッションの参加者に披露しながら、十松氏は手応えを感じたような表情を浮かべていた。
そしてアプリ荘での経験は、生徒だけでなく、講師役の十松氏にとっても大きな成長の機会になった。教えると言っても、すべてを理解しているわけではない。いろいろ調べたり、社内の経験豊富なデベロッパーの教えを受けたりして何とか講師役を務めたことがよい経験になっている。
十松氏は「ほかの人が自分のために行動してくれたことはとてもありがたいもの。この『ありがたい』の気持ちがモチベーションとなり、自発的な行動につながっていくのではないか」と考えている。「みんなで影響し合うことで、個々の成長につながる。結果、組織全体として豊かになっていくのではないか」と聴講者に問いかけるように語り、講演を締めくくった。