モデリングとLLM活用による「意味の構造」の形式知化
失われつつある文脈知識を取り戻すための具体策として、尾髙氏が提示したのが「モデリング」である。ここで言うモデリングとは、UMLや設計技法の適用そのものではない。ワークショップ形式で関係者が集まり、意見交換を介して事業や業務の意味を発見し、共創していく営み全体を指している。
モデリングの真髄は、業務フローやルールが「なぜこの形になっているのか」「どのような前提や制約のもとで成立しているのか」を可視化し、意味の構造として表出させる点にある。概念を図示し、概念同士を線で結び、位置関係を調整する。そうした作業を通じて、現象の背後にある意図を考察し、洞察し、推論する。試行錯誤を重ねる中で、参加者の間に共通の文脈知識が立ち上がっていくのだ。
特筆すべきは、この文脈獲得の場に生成AIを“参加者”として加えるという提案である。モデリングの場には業務エキスパートやジュニアエンジニアが同席するが、そこに生成AIも加わる。資料、動画、音声、文字起こし、ホワイトボードの写真など、あらゆるアウトプットを可能な限りデジタル化し、一か所に集約する。そのうえで、NotebookLMやGeminiのGemといったツールに投入し、「とにかく溜める」ことが第一歩になると尾髙氏は述べた。
なぜ、従来のドキュメンテーションだけでは不十分なのか。理由の一つは「人は入れ替わるが生成AIは残る」という点にある。業務エキスパートであっても人間である以上、記憶は揺らぐ。新人であればなおさらだ。一方、生成AIは同じ質問を何万回投げかけられても疲れることなく応答を返す。知識の参照点として、これ以上に粘り強い存在はない。文脈知識を支えるインフラになり得るという評価は、ここに根拠がある。
もう一つの価値は、生成AIが「壁打ち相手」になれる点にある。疑問を投げかければ、納得するまで議論に付き合う。形式知として理解しているつもりの事柄も、複数の事実を並べて問い直すことで、その背後にある暗黙知や前提が浮かび上がることがある。尾髙氏自身も、こうした深い洞察に至る可能性を見込み、生成AIを積極的に活用していると述べる。
このように構築された環境は、単なる資料置き場にとどまらない。組織に散在するビジネス知識を一か所に集約し、整合性を保ちながら運用する基盤へと発展する。ビジネスアナリシスの文脈で言う「ビジネス知識マネジメント」に近い役割を担える、という見立てだ。さらに文脈知識が形式知化されれば、AIエージェントの拡張にもつながる。業務マニュアルに記載のないユースケースであっても、上位概念に照らして判断する、自律的な振る舞いが期待できるからである。
モデリングの進め方として、尾髙氏はボトムアップ型のアプローチを推奨する。従来のDDDにおける戦略的設計は、価値創出プロセスを特定し構造化するトップダウンの色合いが強い。これに対し、今回のアプローチは、現場に持ち込まれるビジネス要望を起点とする。個別の要望が上位の戦略とどのようにつながるのか、他の施策とどう関係するのか、そもそもなぜその要望が生まれたのか。そうした問いを重ね、戦略マップを用いて文脈として残していく。
もちろん、戦略的設計が不要になるわけではない。事業が続かなければ開発も存在しない以上、トップダウンの視点は不可欠である。ただし、限られた経営層だけが戦略を語る構図に閉じるべきではない。現場の開発チームが要望を実現するその瞬間に、「それは戦略とどうつながるのか」「今やるべきなのか」「どこまで作るのか」を問いを持つことだ。「意味の構造を表出させ、その判断を形式知として残すことにこそ価値がある」というのが尾髙氏の主張だ。
プロセスは段階的に進む。まずは戦略マップで要望の意味を特定し、現状(AS-IS)から理想(TO-BE)への変化を描き出す。ここで尾髙氏は、あえて“ぼくが考えたさいきょうの設計”(個人的な理想形)を一度描くことを勧める。オーバーエンジニアリングも厭わず、要望をすべて盛り込んだ理想像を先に示すというのだ。言うまでもなく現実的には、リリーススピードやコストとのトレードオフが生じ、「落としどころ」を見極める必要がある。そこで、理想と現実のギャップを直視し、何を負債として引き受けるのか、その理由をADR(Architecture Decision Records)として記録する。ここにこそ、真のコンテキストが宿るというわけだ。
この意思決定の記録は、開発チームの歩みを示すナラティブとなる。生成AIが実装を肩代わりし、人間が「ボタン押し係」へと近づきかねない時代、モデルとナラティブを残すことは、ビジネスを人の手にとどめ続けるための前提条件だ。
