IBMのクラウド戦略としては、プライベートクラウド環境であるIBM Research Compute Cloud(RC2)や、IBMのデータセンターのコンピュータリソースをオンデマンドで利用するIBM CoD(Computer on Demand)などが挙げられるが、Amazon EC2(Amazon Elastic Compute Cloud)といったオープン系のパブリッククラウドサービスでもDB2やWebSphere Application Server(以下、WAS)などを利用できるようになっているのをご存じだろうか。
IBMのような大企業が、オープン系のクラウドサービスの提携事業を展開しているのは、考えようによっては意外と思うかもしれない。IBMでは、オープン系のクラウドサービスに対してどのような戦略を持っているのだろうか。日本IBM ソフトウェア事業 コンサルティング・テクノロジー・エバンジェリスト テクノロジー・カウンシル議長 米持幸寿氏にAmazon EC2でのサービス事業の概要やその戦略について伺った。
Amazon EC2におけるIBMミドルウェアの利用
――Amazon EC2でIBMのソフトウェアやミドルウェアが利用できるようになっていますが、まず、このサービスの概要について教えてください。
米持氏:Amazon EC2(以下、EC2)は、そこに登録されたアプリケーションをCPUリソースを含めて時間単位で利用できるというサービスです。IBMでは、各種ソフトウェアやミドルウェアについて、EC2向けのライセンスを提供しています。現在EC2で利用できるミドルウェアは、DB2、Informix Dynamic Server、Lotus Web Content Management、WebSphere Application Server(WAS)、WebSphere Portal Serverなどとなっています。
これらの製品は、サーバーのためのハードウェアリソースや設定作業などなしにEC2上のサービスとして1時間単位で利用できます。料金は、ソフトウェアによってまちまちですが、1時間あたり数十セントから数ドルという設定になっています。また、一部の開発環境に必要なランタイムなどは無料で提供しているものもあります。
――料金体系ですが、エンタープライズ向けソフトウェアとしては安く見えるのですが、算定基準はどうなっているのですか。
米持氏:IBMでは、ソフトウェアのライセンスを販売する場合、PVU(Processor Value Unit)という指標を使います。例えば、2コアのXeon、Opteronプロセッサを基準にしたソフトウェアのパフォーマンスを数値化し、これをベースに販売価格、利用料金を決定します。1年のサポート付きでライセンスを販売する場合は、だいたい百数十万円という金額になりますが、EC2の料金では、このPVUをさらに時間単位に換算したものがベースとなっています。これは1時間あたり数十セント~数ドル程度です。
インスタンスの種類 | アメリカ | ヨーロッパ |
IBM DB2 Express Edition Standard Small (Default) | $0.38/時 | $0.39/時 |
IBM DB2 Express Edition High CPU Medium | $0.65/時 | $0.67/時 |
IBM DB2 Workgroup Edition Standard Large | $1.31/時 | $1.35/時 |
IBM DB2 Workgroup Edition Standard Extra Large | $2.50/時 | $2.58/時 |
IBM DB2 Workgroup Edition High CPU Extra Large | $3.30/時 | $3.38/時 |
IBM Mashup Center Standard Small (Default) | $1.98/時 | $1.99/時 |
IBM Mashup Center High CPU Medium | $3.79/時 | $3.81/時 |
確かに、百万円以上のソフトウェアが1時間100円前後で使えると思えば、安く感じますが、じつは、長期利用になると割高になります。コストの計算方法は複数あるので簡単な比較はできませんが、1年程度の利用ならば従来どおりのライセンス購入の方が安くなると思います。これは、レンタカーと同じと考えるとわかりやすいでしょう。普段は使わないけど、年に数回のドライブだけなら、車を所有するよりレンタカーの方が経済的です。普段は必要ないが、短期間だけ追加のCPUが欲しいとき、突発的なニーズに対応するためにハードウェアやソフトウェア一式を購入したくない、などの要求に対してEC2の料金体系やクラウドコンピューティングは有効といえるでしょう。
――例えば、EC2のサービスを利用したいが、すでに、例えばWASを購入していてライセンスを持っている場合はどうすればいいですか。
米持氏:このニーズにも対応しています。ソフトウェアを購入し、ライセンスの範囲内でサーバーを増強したいが、ハードウェアの購入は避けたいという場合、手持ちのライセンスを生かす形でEC2の利用契約を結ぶことができます。ユーザーごとの多様なニーズに柔軟に対応できるようになっています。
EC2では、ストレージも希望によって利用することができるのですが、これにも特徴のあるサービスが用意されています。ストレージには生のブロックデバイスとして、好きなフォーマットを行い利用できるEBS(Elastic Block Storage)と、ツリー構造のファイルシステムにSOAPでアクセスするS3(Amazon Simple Storage Service)というサービスがあるのですが、このうちS3のサービスでは、AMI(Amazon Machine Image)と呼ばれるアプリケーションの動作環境のイメージをファイルとしてS3のストレージに保存することができます。AMIは利用開始ともに生成され、終了した時点でそのイメージはすべて消去されてしまいますが、保存されたAMIは、次回の利用がさらに簡単になります。
Amazon EC2での利用シーン
――EC2でIBMのミドルウェアを利用しているユーザー層というのはどのあたりになるのでしょうか。
米持氏:日本での主なユーザー層は、ベンチャー系企業やSMBと呼ばれる中小規模の企業が多いようです。米国ではコーポレートカードが浸透しているからか、EC2のサービス自体が、クレジットカードによる決済にしか対応していません。このため、日本の企業では若干使い勝手が悪い面があるのかもしれません。
日本でどのような応用があるかといえば、まずエンジニアが開発中にテスト環境が欲しいとき、使えそうなマシンを探してきたり、面倒な購入手続きをとらずにテスト環境を構築するというものがあります。EC2ならミドルウェアまでのセットアップを含めて10分くらいで使えるようになる、しかも終わったらマシンを片づけたりせずに「捨てられる」というメリットもあります。新規のインストールや環境設定の時間が短縮できます。
また、企業の規模やセキュリティの関係でその拠点にマシンルームがないが、各種のソフトウェアサービスを利用したいといった目的でEC2を使う企業も存在します。
その他の用途としては、セミナーやイベントの受付サイト、レガシーデータのマイグレーション、季節性の高い処理への応用も進んでいます。大学の受験申込、イベントなどの受付サイトは、参加登録が集中しているときは、サーバーパワーも最大のものが要求されることがありますが、EC2によってCPUパワーをスポットで利用できます。レガシーデータの現状システムへの変換作業は、大量なデータ処理が発生し、それなりに負荷がかかる作業ですが、変換が終わってしまえばおそらくそのソフトウェアはほとんど使われなくなります。
これらの用途はEC2に限ったことではなく、クラウドサービスにおいて共通の特徴といえばそのとおりですが、IBMのエンタープライズソフトウェアがCPUパワーとともに時間単位で利用できることの意味はあると思います。少し前なら購入するか、ホスティングサービスという選択肢しかなかったわけですが、現在は、処理負荷や期間によって時間単位でのレンタルのような選択肢も増えたということです。
EC2のようなパブリッククラウドではありませんが、IBMのクラウドコンピューティングセンターでは、映画制作会社にオンデマンドでCPUリソースを提供するという事例があります。CGを使った映画制作の場合、従来なら、グラフィックワークステーションやスーパーコンピュータなどを自前で持っていましたが、現在では、依頼ごとの規模や期間に合わせたクラウド利用が増えていると聞きます。
サポートの状況
――EC2はアマゾンジャパンではなく、米国Amazonのサービスですが、IBMとしてEC2ユーザー向けのサポートなどはどうでしょうか。
米持氏:EC2のサイトはすべて英語なので、IBMの製品に関する使い方の資料は日本語で用意するように準備しております。日本語のマニュアル類は、developerWorksのページに随時追加されていく予定です。カスタマーサポートも対応はしておりますが、サービスが米国のものなので、米国Amazonのコールセンター経由となってしまいます。このあたりはEC2のプラットフォームを利用している限り、IBMだけの問題ではないので悩ましいですが、そもそもクラウドという考え方は、国や言語を意識しない利便性という側面もあるので、提供者、利用者双方のマッチングの問題ではないでしょうか。
――米国Amzonのサービスということはあまり障害にならない?
米持氏:現状では、ドキュメントやサポートは障害になっていないと思います。コアユーザーはベンチャー系企業だったり、ITエンジニアだったりとドキュメントやサポートに対する考え方が、一般の大企業などとは違うのかもしれません。また、日本にはSIerが多いので、これらの企業が、EC2の契約や運用を大企業や専門知識のない企業に代行してサービスを提供している事例もあります。これを発展させて、自社が請け負うシステム構築に、EC2のサービスを取り入れるSIerも存在します。
先ほど事例で紹介したイベント関係では、大規模なものの運営やシステム構築を請け負ったとき、ホスティングやシステム購入ではなく、EC2のオンデマンド運用でコストダウンを図るというソリューションです。
既存システムをコストダウンしたいという目的だけで、クラウドやSaaS導入を考えると、セキュリティやSLAの問題により思ったより削減効果がでなかったというようなこともあります。EC2でのサービスは、そのような包括的なクラウドソリューションとしてではなく、いままでシステム導入がしにくかった分野や規模のニーズに対してのソリューション提供、選択肢の拡大という視点で捉えています。IBMのような大企業でも、ベンチャーやSIerなどの「小さいチャレンジ」をちゃんとフォローできます、というのがパブリッククラウドでのビジネスではないかと思っています。
パブリッククラウドとプライベートクラウドのすみわけ
――IBMでのパブリッククラウドとプライベートクラウド事業における、戦略の違いなどはありますか。
米持氏:IBMのクラウド戦略は、大きく3つの階層を持っています。Lotus Liveに代表されるようなインターネット上にサービスを展開するパブリッククラウド、クラウド環境を構築するというプライベートクラウド、そして、これらを実際に構成するサーバー群などのクラウド部品の3つです。
パブリッククラウドでは、インターネット上のサービスを提供することが基本になりますが、シンクライアント環境を提供するデスクトップクラウドや、Rationalの開発環境を提供するDevelopersクラウド、サイトのポリシーテストをオンデマンドで行うPolicy Tester on Demandなどといったサービスがあります。担当する事業部もサーバー事業部とソフトウェア事業部が中心であり、ソフトウェアビジネスの新しいモデルを構築、拡大していく戦略を担っています。
プライベートクラウドは、企業などに専用のクラウド環境を提供、構築するということで、インフラ系の事業部が、ディザスタリカバリなどのためのストレージクラウドを提供したりしています。IBMでは、2000年ごろから、セキュリティ強化の目的もあって、マシンルームや部署ごとのサーバーなどを順次廃止していこうという動きがありました。5年ほど前からマシンルームを実際に減らし、以前なら社員(とくに研究所など)の机の上や下に散乱していたサーバーなどはほとんど姿を消しています。それでも業務に影響がないほど、IBMにはプライベートクラウド環境構築のノウハウの蓄積があるので、これを外に提供しようというのがプライベートクラウドビジネスの基本です。
手元にサーバーがないと、パフォーマンスなどが懸念されがちですが、実際は、ネットワーク環境の整備が進み、サーバー自体が高性能なため、むしろローカルの環境より速いくらいです。また、インストール・アンインストールやアップデートなど細かい運用業務から解放されるため、現場の評価も高いです。
最後のクラウド部品ですが、クラウドのハードウェアアプライアンスというようなイメージのラックやサーバーを想像していただければよいと思います。ブレードサーバーやミドルウェアが構築された「箱」です。
――パブリックとプライベートの棲み分けはビジネスの規模の違いと考えればよいですか。
米持氏:自社専用のクラウド環境を構築できるかどうかという意味では、そのとおりですが、IBMでは企業規模の大小というより、ニーズの大小という点を重視しています。大企業でも、オンデマンドでCPUやサービスを利用したいシチュエーションは存在するはずなので、パブリックだからベンチャーだけのサービスとは考えていません。
その背景には、企業のシステム構築のシナリオの変化の影響があると思っています。クラウドのような選択肢が広がることで、これまでプロジェクトごとにマシンやソフトウェアを用意していたという発想は減ってくるかもしれません。クラウド環境では、システム開発における7工程、要件定義・計画・外部設計・内部設計・開発・テスト・運用、といったフェーズを根本から見直す必要があります。
そういったシナリオの変化に対応するため、柔軟なクラウドサービスを目指しています。