サービス開始から10年。GitHubは多くのエンジニアたちに愛されてきた――公家尊裕氏
はじめに登壇したのは公家氏。彼はGitHubの歴史を振り返った。
「GitHubがサービスを開始したのは2008年です。皆さまに愛されてきたこのサービスは、今年でちょうど10年を迎えることができました。この場をお借りして改めてお礼いたします」
GitHub社は3年前の2015年に大きな決断をした。アメリカだけではなく、他国にもオフィスを構えることにしたのだ。その最初の地として選んだのが東京だった。東京オフィスに日本語が話せる社員を置き、日本のエンジニアから多くのフィードバックを得ることで、たくさんの学びを得てきたそうだ。
今後も日本法人のメンバーを増やし、さらにサービスレベルを上げてより多くの人に使ってもらうことで、ソフトウェア開発の未来に対して貢献をしたいと考えているという。
GitHubは10年間でどれほどの成長を遂げてきたのだろうか。
「2018年6月時点で、世界中で約2800万人の開発者の方々に利用していただいております。また、作成されているリポジトリの数は8500万以上です。大変ありがたいことです」
その成長ぶりは日本においても同様である。日本国内のGitHubユーザー数は3年前と比較して250%増。Pull Request数は550%増。オープンソースプロジェクトに参加するエンジニア数は77%増というから驚きだ。
また、昨年度はGitHub Constellationというイベントを、そして本年度はGitHub Satelliteを、いずれも東京で初開催した。GitHubという文化が、日本にも着実に根付いてきたのだ。
現代はエンジニアにとって夢のような時代――ジェイソン・ワーナー氏
次に登場したのはジェイソン氏。彼は「開発の現場でいま何が起こっているのか」について解説した。
「(登壇用スライドに映る、大量に積まれた本の前にいる女性を指さしながら)この方はマーガレット・ハミルトンさん。アポロ11号プロジェクトをリードしたMITの研究者です。この本の山は、アポロ11号の原動力となったソースコードです」
当時のソースコードは、パンチカードと呼ばれる厚手の紙に穴を開け、その位置により情報を記録するものだった。“開発”の持つ趣も、現代のそれとは全く異なる。
デバッグは頭の中で実施。ファイルを格納する棚を整理してバージョン管理。コンパイルは機械ではなく人間による作業。いまを生きるエンジニアが、彼女の時代のソフトウェア開発をイメージするのは難しいかもしれない。
それから今日に至るまで、数多くのことが進歩した。コンピューター・サイエンスはいまや大学で最も人気のある科目のひとつ。エンジニアは世界中で引っ張りだこのスペシャリスト職。ソースコードは地球上のあらゆるものの原動力となっている。
数え切れないほどの有益なツールが生まれ、現代はエンジニアにとって夢のような時代だ。だが同時に、システム開発の複雑さも増大しているとジェイソン氏は言う。
「2012年のWIRED誌の推測によると、自動車には平均で1億行以上のソースコードが使われていました。自動運転が始まるずっと前のことですから、いまはもっと増えているでしょう。
ツールも複雑になっています。アメリカの有名ベンチャーキャピタルである、クライナー・パーキンスが提出した2017年のレポートによると、平均的なエンジニアは毎日1000種類以上のクラウドサービスから自分たちが使うものを選択しなければならないそうです。
勉強すべきものの量も膨大になりました。ツールやフレームワーク、言語、手法。何もかもが進化し続けており、乗り遅れないようにするのは大変です」
複雑化の傾向は加速している。技術的な選択肢や習得すべき分野が多すぎて、エンジニアの生産性がかえって落ちるというパラドックスを抱えている状態だ。
GitHub社は設立当初から、こういった課題を解決することを目指してきた。Pull Requestをベースとしたワークフローの変革はそのひとつといえる。複雑な状態をより利用しやすい状態に変換するため、彼らはプラットフォームを構築し続けてきたのだ。
そして今後も、GitHub社はソフトウェア開発のライフサイクル全体を最適化することに尽力する、とジェイソン氏は語る。世界中のエンジニアが、本質的に解決すべき課題にフォーカスできるようになるために。