日本におけるサイバーセキュリティとIT技術の課題
「インターネットは"けしからんもの"だ」と、登氏は笑いを交えつつ語り始めた。かつてはメールサーバーの立ち上げ、ドメインの取得、MXレコードの設定、SMTPサーバーの構築まで、誰でも試行錯誤しながら自力で行えたが、今やクラウド依存が進み、基礎を学ぶ場が失われつつある。自社のサブドメインを一つ申請するにも「何に使うのか」「事故が起きたらどうするのか」と上司から叱責されることもあり、勉強すら難しい状況に置かれることも珍しくない。
「コンピュータが社会でますます重要な位置を占めているのに、なぜ基礎技術に精通した人材の確保が、その重要度に比例して増えないのか。試行錯誤が許容されない現状こそが、その原因ではないか」と登氏は指摘する。組織内で技術者が自由に試行錯誤できる環境が整って初めて、人材育成が促進される。そしてそこから、誰もが驚くような素晴らしい(登氏いわく"けしからん")サービスが生まれるというのだ。
また登氏は、日本が直面する課題を二つの観点から分析する。第一に、ITが経済や社会の基盤として欠かせなくなっている一方で、基礎的な人材の育成が追いついていない現状。第二に、GoogleやAmazon、Microsoftのような世界的に影響力を持つプラットフォーマー企業が、日本にはほとんど存在しない理由だ。
日本では、これらの課題解決は、民間の商業活動のみでは実現しなかった。米国・中国などと同様に、コンピュータ技術の基盤作りの流れに、国も主体的に参加することも不可欠だ。登氏によれば、そのカギとなるのが「遊び心」だという。「こうしなければならない」「こうあるべきだ」といった堅苦しい計画に縛られず、技術者たちが好奇心のおもむくままに楽しみながら、自然発生的に技術を磨いていくことが重要なわけだ。
それはまさに、登氏自身が学生時代から実践してきたことに他ならない。かつての登氏は、本屋で『Windows API バイブル』や『Visual Basic Magazine』といった書籍に出会い、プログラミングを学び始めた。それには特定の目標があったわけではなく、「NINTENDO64のFPSゲームを真似してみたい」というシンプルな動機からだった。登氏に「遊び心」があったからこそ多くの技術が生まれた。のちに開発した「SoftEther VPN」も、こうした自然発生的な取り組みから形作られていったものだ。
さらに登氏は「このような試行錯誤の環境は、今の個人には整えにくいのではないか」とも指摘する。かつてはWindowsアプリの開発やWebサーバー構築を自宅で行うことも難しくなかったが、現在では技術的な要件が複雑化し、例えば分散ストレージやAI処理のために、広帯域のネットワーク、GPUや高い電力消費を伴う複数台のコンピュータが必要になり、一人で全部作るのも難しい。個人で押入れにサーバールームを作る時代は終わり、"けしからん遊び"を実現するには、企業や組織の既存の資源やスペースを活用し、組織的に利用できる試行錯誤環境を各組織の社員たちが主体となって構築する必要があるのだ。