AIがコードを書く時代、プログラミング学習の不変の価値
及川氏は続いて、生成AIについての自身の見解を展開した。開口一番、「生成AIの話をするのは怖い」と語った理由は、その進化スピードの異常な速さにある。今日語った内容が明日には古びてしまうほどの変化が、現場レベルで進行しているというのだ。技術者としての立場や発言がすぐに更新されてしまうリスクがある以上、発言には慎重さが求められる。
それでもなお、及川氏は「生成AIの進化は、ITの歴史においてはごく自然で、むしろ必然的なものだ」と指摘する。その根拠として挙げたのが、プログラミング言語の進化の歴史である。
かつてコンピュータに命令を出すにはマシン語を使う必要があったが、それはあまりにも非人間的で扱いが難しかった。そこでアセンブリ言語が登場し、さらにその上にC言語などの高級言語が生まれた。これらはすべて、「人間の言葉に近づける」という方向で発展してきた経緯がある。
「基本的にプログラミング言語は、人間にとって分かりやすい形で進化している。この流れを踏まえれば、『我々の話し言葉に近い自然言語で、コンピュータに指示を出せるようにしよう』となるのはごく自然な成り行きだ。生成AIがそれを実現したのは、技術的にも必然だった」(及川氏)
とはいえ、「技術の本質は変わらない」とも強調する。どれだけ自然言語によるインタフェースが発展したとしても、「人間がコンピュータに具体的な指示を出す」という構図そのものは変わらないからだ。生成AIによってコードの“見た目”が変化したとしても、根底には論理的な設計と制御の思想、すなわちプログラミング的思考が依然として求められる。「この構造的連続性こそが、技術の進化と本質を見極める上で重要な視点になる」というのが及川氏の見解だ。
そうした背景から、及川氏が特に重視するのが「基礎的なプログラミングスキル」の必要性である。自身が代表を務めるTably株式会社では、プロダクト開発支援や組織づくり、人材育成に関するアドバイザリーを提供しているが、それとは別に、中学生を中心とした初学者向けのプログラミング学習サービスも立ち上げているという。その理由は、「テキストベースでプログラムを書くスキルを持つ人材は、日本において今後ますます重要になる」という強い課題意識によるものだ。
ではなぜ、今もなおプログラミングを学ぶ意義があるのか。及川氏はこの問いに対し、「なぜ我々が算数や数学を学ぶのか」という問いと重ねながら、2つの観点から説明した。
1つ目は、「計算結果が正しいかどうかを見抜く力」の重要性だ。ExcelのようなツールやAIの出力が、常に正しいとは限らない。そこで必要になるのが、答えを自分の頭で検算できる力、あるいは「この答えは何かおかしい」と違和感を覚えられる“計算感覚”である。これがなければ、技術が提示する結果にただ従うだけの、判断力のないエンジニアになってしまう。
2つ目は、「即時的な概算能力」の重要性だ。及川氏はかつて、ソフトウェアを大量配布する必要に迫られた際に、安易にパートナー企業に配布を依頼しようとしたのだが、コスト試算をせずに議論を進めてしまい、社内で承認が得られなかったという苦い経験を明かした。ビジネスの現場では、瞬時に金額感やリスクを把握する力が求められる。そうした能力のベースにあるのもまた、数的な感覚である。
これらの能力は、生成AI時代のプログラミングにおいても極めて重要だという。現在の生成AIは、主に高級言語でコードを自動生成するが、その出力が必ずしも正しいとは限らない。バグを見抜き、修正を加え、動作保証をするには、最終的に人間の目と知識が必要になる。だからこそ、基礎的な技術力を持ったエンジニアの価値は、むしろ高まっているという見方もできるだろう。
さらに及川氏は、マシン語からアセンブリ、そして高級言語へと続くようなプログラミング言語の進化が、ソフトウェア開発のプロセスや手法そのものの進化とも密接に関わってきた点を指摘する。現在進行中の生成AIによる開発もまた、従来とは異なる開発スタイルを生み出しつつある。だからこそ、「プログラミングの基礎力を大切にしつつ、生成AI時代にふさわしい開発のあり方を模索し続ける必要がある」というわけだ。
