はじめに
「Bjarne Stroustrup氏との対話」連載を担当することになりました、豊田孝と申します。よろしくお願いいたします。
対話の相手であるBjarne Stroustrup氏は、プログラミング言語「C++」を設計し、最初に実装した人です。それだけでなく、同氏はC++を国際標準プログラミング言語の地位に付かせました。大変なエネルギーの持ち主です。
筆者はこの数年、「同氏の生き方から何かを学べるのではないか」と考えてきました。その考えは日毎に熱を帯び、「学べるはずだ!」、そしてついには、「わが国の開発者に、同氏の考え方と生き方ぜひお伝えしたい!」へと変化し今回の連載を始めるに至りました。
本稿でのStroustrup氏との対話はメール交換を通して行われます。基本的には、筆者が質問文を用意し、Stroustrup氏がその質問に対して高所からコメントを寄せることになります。C++言語の構文規則やプログラミング技術ではなく、どちらかと言えば、ソフトウェア全般に関する同氏の考えを聞き、プログラミング言語設計者の生の声を読者の方々に直接お伝えしたいと思います。忙しい仕事の合間や週末などに、気軽に読んでいただけると幸いです。
今回の質問意図
Stroustrup氏は、いろいろなメディアからのインタービュー依頼に積極的に応じています(参照ページ:Inform IT)。筆者はほぼすべてのインタービュー記事に目を通していますが、常々、1つ気になっていることがありました。それは、同氏の紹介のされ方です。
あるメディアは、Stroustrup氏をC++の発明者(inventor)や創造者(creator)として紹介します。別のメディアは、設計者(designer)や実装者(implementer)として紹介します。同氏は以前、「自分はSimulaから多くのアイデアを拝借している」と述べていました(参照ページ:C++設計者の人柄)。筆者は同氏の愚直なまでの謙虚な生き方に接し、深く感動したのを今でも鮮明に記憶しています。C++の発明者。C++の創造者。本人はこのような紹介のされ方をどのように感じているのでしょうか? お聞きしました。