レガシーシステムとの格闘から生まれたアーキテクト志向
小田中育生(以下、小田中):米久保さんといえば、最近公開されたスライド「ユニットテスト基礎講座」が広く読まれていますね。そして『アーキテクトの教科書』の著者でもあります。自分も読ませてもらい、マネージャーの視点でも非常に学ぶことが多くありました。特に負荷テストの重要性など、エンジニアリングマネージャーとしておさえておきたいポイントへの理解が深まる部分を網羅的に学べる素晴らしい本だと感じました。そんな米久保さんとこうしてお話しできて、すごく嬉しいです。
まず、米久保さん自身のこれまでの経歴と、今どんな仕事をされているかをお聞かせください。
米久保剛(以下、米久保):2000年に新卒でIT業界に入り、情報システム子会社で3、4年勤めた後、技術コンサルタントを経て、2008年に電通総研に中途入社し、現職となりました。
電通総研では複数の大規模SI案件にアーキテクトとして参画した後、2017年頃から自社プロダクト開発に移り、現在はその開発をリードしています。最近ではアーキテクト以外にもいろんなことをやっていて、何の職種なのかよくわからない状態です。専門性は分化するけれども、また統合されていく、特にAI時代になって、その傾向が強まっていると感じます。

小田中:AI時代になって、エンジニアはコードを書くことからAIをマネジメントすることにシフトしています。何をAIに渡すかという点で、アーキテクチャの重要性が改めて浮き彫りになっていますね。
さて、2008年から現職ということですが、入社時からアーキテクトとして活躍していたのでしょうか?
米久保:現職では入社時からアーキテクトの仕事をしています。キャリアの源泉をたどると、最初の会社では既存システムの保守・運用を担当していました。大企業によくあるレガシーシステムで、どこに何があるかわからない複雑怪奇なシステムでした。ドキュメントも古くなっているし、バグも多くてオンコールで対応する日々。私だけでなく現場のみんなが疲弊していて、ユーザーもストレスを抱えていました。
こんな大変な環境が当たり前なんだろうか……と考えることもありましたが、しだいに「そんなはずはない」と思うようになりました。2000年代前半はITアーキテクトという言葉が流行りだした時期で、ITスキル標準(ITSS)の第1版が出たのが2002年頃。もしかしたら自分の進むべき道はこちらかもしれないと思ったのです。
ちょうどその頃、外部からアーキテクトの方を呼んで、その方と私と2人でチームを作って師事する形で経験を積ませてもらう中で、「これだな」と思いました。アーキテクトとして、技術力を使って現場をもっと楽にしたい、楽しくしたいという志向が当時からありました。
小田中:働き始めて1〜2年の段階でアーキテクトを志向し、実際にそのアーキテクトの方が現場を変えるのを目の当たりにして道が拓けたと……いいですね。
