アジャイル開発に「もっとよい世界があるかもしれない」と気づかされた
及部氏が楽天に新卒で入社したのは、2009年。エンジニアとして初めて書いたコードや最初のプロジェクト、初リリースで感動し、やりがいを感じたことを今でも鮮明に覚えていると振り返る。そして2010年に参加した大規模プロジェクトで、それまで経験してきたソフトウェア開発とは違う「チームで会話をしながら仕事をする」体験をしたという。
「ひたすら話しながら開発してました。誰かの机に集まって全員で語り合ったり、シーンとしてるフロアで、いきなり朝会を始めたり、自発的にプロジェクトに必要な技術を学ぶ勉強会をやったり。それでも仕事はガンガン進むし、チームで働いてる感じがしたし、自分自身も成長している実感がありましたね」
それがアジャイル開発という手法であることは、後から知ったという及部氏。自分の中の当たり前が崩れ落ち、「もっとよい世界があるかもしれない」ことに気づいた原体験だったと語る。
アジャイル開発との出会いをきっかけに、チームや組織に範囲を広げながら活動し、さまざまなプロジェクトに関わり続ける及部氏。2019年にチームFA宣言をし、デンソーにチーム移籍した。現在は、SILVER BULLLET CLUBチームで活動する傍ら、個人でもAGILE-MONSTER.COMという屋号で、アジャイルコーチとして活動している。
自身のモチベーションの源泉として「もっとよい世界があるかもしれない」という好奇心「あたりまえや体制への反骨心」「すべてをエンターテインメントに変えるプロレス魂」を挙げ、「今後も最高のチームで最高のプロダクトを作り、よいチームを増やしていきたい」と、決意新たに語った。
「ぼくたちは熱狂していた」「燃え尽きかけたこともあった」アジャイル開発20年を経て、今思うこと
平鍋氏が自身の人生を変えた出来事だった語るのは、2000年にケント・ベック氏の著書『エクストリーム・プログラミング(以下、XP)』と出会ったこと。そこに書かれていた新たな開発手法に衝撃を受けた平鍋氏は、「XP-jp」メーリングリストを立ち上げる。さらに、2002年にプロジェクトファシリテーション「オブジェクト倶楽部」を作り、XPやスクラムとともにアジャイル開発を普及させる活動を広げていく。
ちなみに、セッションの冒頭に及部氏は、1999年から2021年までに出版された日本語のアジャイルの書籍年表を紹介している。この中でも平鍋氏は特に印象に残っている書籍として、XPの考案者でアジャイルマニフェストの起草者の一人であるケント・ベック氏の著書『エクストリーム・プログラミング(XP/extreme Programming explained)』、マーチン・ファウラー氏の『リファクタリング(Refactoring. Improving the Design of Existing Code.)』、そして自身が翻訳を務めた『XPエクストリーム・プログラミング導入編 ― XP実践の手引き』を挙げている。
その後も平鍋氏は、「XPアンギャ」と銘打ったXPセミナーやワークショップを全国各地で開催。Agile2008など海外のアジャイルカンファレンスに積極的に参加し、その後日本でもAgile Japan(アジャイルジャパン)、Innovation Sprint 2011といった大規模イベントを開催するなど、精力的に活動を続けた。当時の様子を平鍋氏は、「ぼくたちは熱狂していた」と表現している。
一方で、日本でアジャイル開発がなかなか広がらないことにフラストレーションも感じていたという平鍋氏。受託開発において顧客と一体となってプロジェクトを進めることの難しさを実感し、「もうだめかもしれない」と燃え尽きかけていた日もあったことを明かす。
そこで、アジャイルという表現を封印してアジャイルプラクティスを活用するプロジェクト改善手法「プロジェクトファシリテーション」の啓蒙活動や、ソフトウェア開発を見える化する手法「かんばん(Kanban)」、時間管理術として注目された「ポモドーロ・テクニック」などを実践。それらの知見を「ソフトウェア開発の『見える化』」と題して、デブサミ2005で発表したところ、ベストスピーカー賞を受ける。
だがある時、こうした人生の中で起きた転機をスプリントのようにふりかえってみたところ、ただ目標や目的に向かって手段にこだわり、「正しさ」を突き詰めることに疑問を持つようになったという。
現在は、「なりゆきにまかせる」ことで人生がどう変化するか、そんなことを考えるようになったと笑いながら、樹木希林さんの著書『一切なりゆき~樹木希林のことば~』」に書かれていた「向こうが悪いんだと言い続けて、何が生まれるのでしょう」という言葉に感銘を受けたことを紹介した。