研究から現場課題改善へアジャイル開発に挑戦するチームの誕生
──まずは、お二人のご経歴と現在の役割について教えてください。
森鳰 武史氏(以下、森鳰):森鳰です。いま入社9年目で、最初の4年間はAIや機械学習の研究をしていました。その後、2019年に少人数でアジャイル内製化チームを立ち上げ、それ以来、チームリーダーとして開発や体制作りに携わっています。
大友 楽人氏(以下、大友):入社6年目の大友です。最初の1年間はダイキン情報技術大学で勉強し、2年目からは森鳰さんのチームに配属され、システム開発を主な業務としてきました。2023年からは新しいチームのリーダーとして、社内にシステム開発技術やアジャイルのマインドを広める活動をしています。
森鳰:実務的には、エネルギーマネジメントや空調機の運用データの改善、省エネ化を目指したWebアプリケーションによる自社プロダクトの開発をチーム全体で担っています。
──現在のチームの体制について教えてください。
大友:チーム全体はメンバーが12人+コーチ1名で、メンバーの中で情報系出身者が2割、開発経験のある人は0です。私も大学の専攻は物理系で、プログラミングはすこしかじった程度でした。
森鳰:12人は3つのスクラムチームに分かれています。プロダクトを持つチームが二つと、それらのためのプラットフォームやイネイブリングを行うチームで構成されています。イネイブリングチームは会社全体に対しても内製化知見の展開を行っています。
──アジャイル内製化チームが立ち上がった経緯を教えてください。
森鳰:アジャイル内製化チームができる前の4年間、私はデータサイエンスの研究をしていました。でも、その研究成果の市場展開がうまくいかないことが多かったんです。また、当社はWebアプリの知見が弱く、外注依存でした。プロダクトを持つチームが2つと、それらのためのプラットフォームやイネイブリングを行うチームで構成されています。イネイブリングチームは会社全体に対しても内製化知見の展開を行っています。
当時の私の研究領域がエネルギーマネジメントだったため、実際にその業務を担っている部門を見に行きました。現場ではさまざまな工夫によって最適化が行われていましたが、私たちからすればプログラムを書いてしまえば一気に工数を削減できる部分は手を付けられていませんでした。そのほか、研究していたことと現場のニーズの乖離も実感しました。そこで、自分たちのスキルを使って現場に直接貢献するために、内製化チームを立ち上げて事業部門の業務改革を行うことにしました。
──大企業で新しい取り組みをする、特にアジャイル開発には不安がつきものだと思いますが、社内でどのように承認を得たのでしょうか。
大友:我が社の社風でもありますが、新しいことにチャレンジする機会と裁量は与えてもらえるほうだと思います。何かやってみたいと思ったときに、それを試してみる余地はありました。
森鳰:そうですね。会社としては新しい取り組みに前向きだと思います。ちょうどその頃、マネージャー陣も内製化を求めていましたが、実行する体制が無かったんです。この時点ではアジャイルをしたいと提案したわけではなく、私たちのやり方で部門の課題解決をさせてくださいと、提案したのが、始まりです。マネージャーが挑戦を推奨してくれたのも大きかったと思います。
大友:最初は4人体制で動き始めました。開発経験がなかったため、フラットな状態でどのような開発プロセスが今回の課題解決に適しているだろうと調査した結果、"アジャイル"を採用しました。
森鳰:アジャイルを通して、業務改善の成果を出すにつれ、部門から「これは商材化できるのでは」という声があがり、自社サービス化することになりました。小さな実績を重ねて大きな成果につなげることで、アジャイルという手法に対してマネージャー層の理解を獲得しました。
──アジャイル内製化に対して、みなさんの反応はいかがでしたか?
森鳰:当時、システムを使う部門の人たちは本当に困っていて、部門自体が消滅するかもしれないほど切迫した状況でした。なので、少しでも状況が良くなるなら、何でもやってほしいと言われました。そこで、アジャイルなスタイルで1週間、時には1、2日単位で成果を見せていき、たとえ小さな改善でもすぐに使ってもらったんです。可能な限り早く、業務を楽にしてもらいたくて。もし、1年や半年かけて要件通りのものを作っていたら、きっと間に合わなかったでしょう。
──チームメンバーの反応はいかがでしたか?
大友:アジャイルを採用することに対して、チームメンバーの反発はほとんどなかったですね。若手中心で、未経験者も多かったので、特定の開発手法に固執していなかったんです。ウォーターフォールのやり方を知っているわけでもなかったので、どちらの方向にでも柔軟に舵を切れる状況でした。