自らの「好き」がキャリアの原点
最初に語られたのは、パネラーそれぞれの「キャリアの転換点」だ。松木雅幸氏は、「イベントへの登壇などを経て、自分の中でエンジニアとして生きていこうと決めた、2008年ごろ」が転換点だと振り返る。
それまでは自転車やボウリング、料理といった「趣味に生きる」ライフスタイルをとっていた松木氏だが、エンジニアリングやソフトウェア開発が好きだという自覚を持ち、「好きなことで生きていく」と決めたことで人生が好転していった。

さらには、自らの「好き」を自覚したタイミングで、コミュニティにも目が向くようになった。当時ははてなダイアリーやTwitter(現X)が台頭した時期であり、エンジニアコミュニティも大きな盛り上がりを見せていた。これらへ飛び込んだ経験も、松木氏のキャリア形成に大いに役立った。
「好きなことを『好き』と宣言するには勇気がいる」と語る松木氏。さまざまな可能性の中から、自分が本当に好きなことは何なのか? を徹底的に考え抜くことで、たとえ苦境に陥ったとしても、他責思考に陥らず「自分が決めたことだから仕方がない」と踏ん張るマインドが得られるという。
採用活動にも携わってきた松木氏だが、「自分自身も2009年にはWeb系企業への就職に失敗し、新卒の就活もうまくいかなかった」苦い経験から、「仮に採用見送りとなったとしても“悪い体験”にしてほしくない」と、求職者側への配慮も述べた。
自らの選択と「計画的偶発性」がエンジニアとしての自分を形成
株式会社メルカリのWork Sales Operation Designに所属する白川みちる氏もまた、エンジニアリングマネージャーやバックエンドエンジニアなど、さまざまな役割を経験してきたエンジニアの1人だ。「マネジメントに取り組んでいると手を動かしたくなる。そこで転職をするのだが、新たな職場でもマネージャーになる、というサイクルを何回か繰り返している」という白川氏の芯にあるのは、「必要とされたい、誰かの役に立ちたい」という思いだ。

営業職を1年で辞め、エンジニアへと転身したという経歴を持つ白川氏。所属企業の倒産なども経験しながら、2011年頃からプロジェクトマネージャーや組織のマネジメントを担ってきた。こうしたキャリアの変遷について「自分の興味が赴くままに、やりたいことを選んできた」と総括する。
マネジメント職と技術職の往復を繰り返してきた白川氏だが、エンジニアリング組織ではないメルカリへの転職には怖さを感じ、思い悩んだこともあったという。しかしその不安は杞憂に終わった。今は「エンジニアリングを楽しんでいる」という白川氏は、現職であるメルカリへの転職がまさに転換点だと語った。
2019年に新卒で入社し、現在は株式会社はてなでエンジニアリングマネージャーを担う五十嵐氏は、松木氏が「僕たちの世代の発想を壊してくれる存在」と期待を寄せる若手エンジニアだ。
一定以上の世代には、「エンジニアはマネジメントをやりたがらないものだ」という先入観が根付いている。しかし近年では、マネジメントに抵抗のない若手エンジニアが増えているという。

五十嵐氏もまた、アプリケーションエンジニアとしてキャリアをスタートさせたものの、マネジメントに関心を寄せるようになった1人だ。
「開発に取り組んでいるうちに、だんだん開発『以外』の部分が面白く見えてきた」という五十嵐氏は、2021年に「エンジニアリングマネージャーを目指す若者の戦略」というブログ記事を発表し、約500件のブックマークを獲得。多くの人に読まれたことで、ピープルマネジメントやテックリードを経験する機会を得るなど「自分のキャリアが大きく拓けた」と語る。
自社サービス「はてなブログ」が起点となったこの体験について、「EMのキャリアモデルを自分なりに整理し、発信することによって、テンポよくEMのキャリアを進められた。発信という手段を取ることで周囲を自分のキャリアに巻き込むこともでき、勢いもついた」と前向きに振り返った。