現場と上流を行き来して見えた「構造」の重要性
小田中:アーキテクトに至るまでのキャリアはどのように築かれてきたのでしょうか。
尾髙:SESで現場に入っていた頃はずっと実装を担当していました。その後、コンビニチェーンに転職してからは、ベンダーとやり取りする立場になり、社内の要望をまとめてベンダーに伝え、上がってきた成果物を受け入れるという、いわゆる超上流工程に関わるようになりました。その経験を通じて、ビジネスアナリスト的な役割がどう形作られていくのかを肌で感じました。
上流の仕事に関わるようになると、業務全体が見えてくるため、ベンダーの提案に違和感を覚えることがあり、自然と設計にも踏み込むようになりました。そうして上から下までの流れが見えたことで、「ソフトウェアってこうやってできるのか」と初めて実感できました。
その後、電力系の企業ではスクラッチ開発に関わり、設計から実装まで自分で手を動かしましたが、当時はオブジェクト指向や保守性の理解も浅く、テーブル構造からそのままクラスを決めてしまうような設計で、なかなかうまくいかず悩みました。そこではエンジニアから始まり、マネジメントや部長職まで経験しましたが、現場を離れるほどに品質への意識は強くなっていきました。
その頃からようやく世の中の技術動向に目が向くようになり「テストファースト」「契約による設計」といった概念に出会って、「仕様はそうやって書くのか」と腑に落ちるようになってきました。さらに、ふとしたきっかけで目にしたオブジェクト指向が、自分の知っていたものと全然違うと気づいたんです。「あれ、これって構造の話だったのか」と。その一方で、マネジメントをしていく中で組織構造や事業戦略、OKRといった考えにも触れ、「結局すべては構造なんじゃないか」と思うようになりました。

小田中:面白いですね。まさに上流の鳥の目、現場の虫の目を行ったり来たりされたからこそ、構造化するというところにたどり着いたんですね。
尾髙:綺麗な言葉で言うと「分割して統治せよ」ですね。人が管理できる範囲で区切っていって、その中をうまくやって、必要なところを連携しようよ、という考えです。
小田中:確かにその通りで、最初からいた人たちが暗黙的に理解しているような、境界が曖昧なシステムって、人数が少ないうちはなんとかなっても、スケールしないですからね。
尾髙:少数のスーパーマンに頼った体制でうまく回っているケースもありますが、やはりそれには限界があります。限界が見えた時には、誰でも支えられるように構造を変えていく必要があると思っていて、そうした変化の機を逃さずに、どう体制を整えていくかが大事ですよね。難しいことではありますが。
小田中:スーパーマンたちが優れているのは確かですが、人にはそれぞれ得意分野があるので、設計を整えておくことでいろいろなスペシャリストが能力を発揮できる環境を作ることが大事ですよね。
ところで、ある日構造に目覚めたということでしたが、前職のときからアーキテクトだったのですか。
尾髙:アーキテクトと名乗るようになったのはモノタロウに来てからです。モノタロウで在庫管理アプリケーションをゼロから設計し、基幹システム全体へ展開していくこととなりました。あるときCTOがそのことを社外発信する際、私も関わっていたので「一緒に出てもらおう」となり、「肩書きが必要だね」ということで「シニアアーキテクト」と名乗ることになりました。