エンジニア人生、「生きづらさ」の正体は?
国内ユーザー企業やSIerを経て、外資系ソフトウェアベンダーでインフラから開発までさまざまな経験をしてきた古山氏。大学・大学院では情報工学科で計算機工学を専攻し、画像認識をテーマにC言語を用いた基礎研究をしていたこともあり、「漠然とコンピュータを使った研究を続けるか、コンピュータを使う仕事に就きたいと考えていた」と語る。
当初は衛星画像の処理をするような画像処理関連の会社を希望していたが、教授の勧めもあって画像処理の研究所があって女子寮のある凸版印刷に入社する。しかし、組織変更に伴い研究所ではなく、金融事業部にSEとして配属された。その後、5回ほど転職をして今に至る。
古山氏は、「当初希望の仕事でなかったこともあり、しんどい思いをしたが、一緒に仕事をしたSIに転職したり、力試しをしたくて外資系に飛び込んだり、その結果、幸せ度は年々上がっているので、おおむねハッピーなエンジニアライフといえる」と振り返る。何をもってハッピーだと感じているのか。
古山氏はこれまでの人生には4つのフェーズがあったとし、ハッピーの反対である「生きづらさ」も変化してきたと分析する。
社会人になりたての「怖いもの知らずなオラオラ期」、最初の転職での「自信と不安と、不満でモヤモヤしていたモザイク期」については、女性であることを不自由に感じ、負けじと働いていた。その一方で、会社や周りに守られているという実感があったという。
そこで次は、「自分の力で生きていこう」と思い、会社の名前を借りずに1人のエンジニアとして立つべく外資系企業に転職したものの、外資のカルチャーにショックを受けた。しかし「自分1人だけが頑張りすぎるのはなにか違う」と気づいたという。それが「1人よりもみんなで、そしてより自分らしいエンジニアリングの形を模索する」という、今の働き方、生き方につながっている。
古山氏は、「最初のオラオラ期やモザイク期では、古風な職場への不満や女性である不自由さにフォーカスしていた。時代もあり、慣れてくれば能力不足への不安もあり、女性のライフステージ変化への圧力も感じていた。最近は多様性の理解や心理的安全性の確保なども考慮する必要が生じている」と分析し、「生きづらさは一つではなく、変化するものではないか」と語った。