Javaが終わる──自分ではどうしようもない逆境の恐ろしさ
順調にキャリアを積んだ寺田氏だが、ここでSun MicrosystemsはOracleへ吸収合併されてしまう。憧れて入った会社がなくなる事実は、寂しい感情とともに、「自分の将来設計への悩みももたらした」。買収から半年後に寺田氏が登壇したイベントにおいても、「Javaの将来が危ない」と危惧する参加者からのFBが相次いだという。
そのなかで、同じくJavaの将来に危機感を持つ同社からエヴァンジェリストとしての活動依頼を受ける。寺田氏は当時を振り返り、「Javaが終わっちゃうんじゃないかと、業界が心配する状況でオファーを受けることは怖かった。Javaに逆風が吹く中で表立って発信するなんて、いろいろなことを言われるんじゃないかと」と、逆境の恐ろしさを回顧する。
しかし、海外の知人やコミュニティに相談を持ちかけると、総じて好意的な反応が返ってきた。加えて会社側もJavaエバンジェリストの依頼を受けることを決意。逆風の恐怖と闘いながら、Developers Summitをはじめとするイベント登壇も続けた。
「2011年のDevelopers Summitはとにかく緊張した。緊張しすぎて和気あいあいとした雰囲気を壊してしまい、のちに”謝罪会見”とまで言われた。しかし、ここで絶対にもう一度Javaを盛り上げるという覚悟ができた」。奮起した寺田氏は翌年開催された国内イベント「JavaOne」においても、北海道から沖縄まで全国を行脚。「もう1度Javaを盛り上げたいので、是非参加してください」と広報活動を行い、想定以上の大成功を収めた。
寺田氏はJavaOneについて、「この成功は会社の中でも非常に注目を浴び、その後のJavaの活動においても追い風になった」と振り返る。参加者からも「すごく楽しいイベントだった。来年もやってほしい」という声が多く寄せられ、「コミュニティの盛り上がりが私とJavaを本当に助けてくれた」と感謝の念を述べた。
挫折だらけでも、覚悟があればいつでも変われる
数千人の前でプレゼンを行うなど、エヴァンジェリストとして確かな実績を積んだ寺田氏。42歳でMicrosoftに転職した際には、「新しいMicrosoftを作る」という志を掲げた。しかし、転職後初めてのプレゼンは「80名の部屋をアサインされて参加者はわずか5名。これには驚いた」と洗礼を受ける。
それでも、「最初から多くの人に来てもらえるわけではないことは、過去の経験からもある程度想定していた」と覚悟を語る。結果が出なかった時期は焦りも感じたというが、当時の上司であるドリュー氏から「焦らず、今の状況を楽しんでほしい」と伝えられたことでどっしり構える心構えができたそうだ。
寺田氏は「私の人生は本当に挫折だらけだが、頑張って乗り越えてきたからこそ今がある。"神様は乗り越えられない試練は与えない"という言葉があるが、自分が頑張れるところまで頑張ってみるのがいい」と歩みを振り返る。「頑張る姿は誰かが見ていて、いつか自然とチャンスが訪れる。覚悟を持てばいつでも変われる。いつからでも遅くない」。
「いい友人や指導者と出会い、自分ができないところに飛び込んで乗り越えていくことでどんどん成長できる」と力説する寺田氏。「自分に無限の可能性があると信じぬいて、何か1つでも自分の得意分野を見つけてオンリーワンを目指せば、輝かしい未来が待っている。今日から新たなスタートが始まっているので、良い未来を築いてほしい」と結んだ。
講演終了後、参加者からは「Java ChampionはMicrosoftよりOracle寄りな気がするが、このあたりの経緯が知りたい」という質問が寄せられた。寺田氏はこの質問に対し、「Java ChampionはSunMicroSystemsで作られたプログラムなので、同社に所属していた時はなれなかった」と説明した。
「仕事の幅を広げるために技術分野を増やしたいが、どの領域に手を伸ばすか迷っている。どのように考えればいいか」という質問には「1つ自分の強みを持ち、その周りからできることを増やしていくといい」とアドバイス。あくまでも自身の強みを伸ばすべし、というメッセージを繰り返す形で、セッションは終了した。