立川談志師匠に学ぶ、教え方の8つのエッセンス
結局は本人のやる気とセンスだ
三つ目の思いこみとして「伸びる奴は勝手に伸びるし、伸びない奴は何をやっても伸びないよ」という意見もあると思いますが、そんなこともないと私は思います。教え方によって変わるのだから、私たちも頑張ろうよ、というエッセンスを共有したくて、立川談志さんの言葉を紹介します。(談志さんは)非常に怖い人として知られていると思うのですが、私、年末年始に、談志さんの弟子である談春さんが書かれた『赤めだか』というエッセイを読みまして、談志さんのある一節だけ取り出しても、ものすごく教え方のエッセンスが凝縮されていると思い、今日はそれを紹介してみたいと思います。
談春さんは「意外に思うかもしれないが、談志(イエモト)の稽古は教わる方にとってはこの上なく親切だ」とおっしゃってるんです。談春さんは高校をやめて弟子入りをして、17歳ぐらいのときに談志さんに方に弟子入りをしました。本当の初期に、17歳の坊主に基本的な所作を教えるときに談志さんが喋ったセリフが紹介されているんです。
(談志さんの言葉を紹介するまえに)対比して見ると分かりやすいと思うので、私が真逆の例を勝手に用意してみました。みなさんも若手に何かを教えるときを振り返ってもらいたいんですけど、作業だけ教えるとこういうことになると思うんです。
- 舞台に出たら、まずお辞儀
- 扇子を座布団の前におく
- お辞儀の後は、顔を上げて正面を見る
- マクラの間に左右を見渡して客をつかんだら
- 大きな声で抑揚をつけて話せ
これが基本である、と。これでも、教えていることにはなると思うんですけど、これから紹介するのは、談志さんが、このことを教えるにあたって喋ったことです。私はこの一節を読んだ時に「これはすごいな」と思ったんです。この一節の中に、教え方のエッセンスとして8つの項目を見つけました。みなさんも、8つ見つけるつもりで聞いてみてください。
これは談志(オレ)の趣味だがお辞儀は丁寧にしろよ。きちんと頭を下げろ。次に扇子だが、座布団の前に平行に置け。結界と云ってな、扇子より座布団側が芸人、演者の世界、向こう側が観客の世界だ。観客が演者の世界に入ってくることは決して許さないんだ。たとえ前座だってお前はプロだ。観客に勉強させてもらうわけではない。あくまで与える側なんだ。そのくらいのプライドは持て。お辞儀が終わったら、しっかり正面を見据えろ。焦っていきなり話しだすことはない。堂々と見ろ。それができない奴を正面を切れないと云うんだ。正面が切れない芸人にはなるな。客席の最後列の真ん中の上、天井の辺りに目線を置け。キョロキョロする必要はない。マクラの間に左、右と見てゆくにはキャリアが必要なんだ。お前はまだその必要はない。大きな声でしゃべれ。下限がわからないのなら怒鳴れ。怒鳴ってもメロディが崩れないように話せれば立派なもんだ。そうなるまで稽古をしろ。(立川談春『赤めだか』より引用)
ものまねしてしゃべろうと思ってYouTubeを見たんですけど、結局やめました(笑)。これから私が見つけた8つのポイントをお話しします。
1. 「自分の趣味か絶対の掟か」を分けて説明している
2. どういう振る舞いをすべきか具体的に明示している
3. 振る舞いに意味づけし、その価値を説く
何かの作業を話すときに、そこに何の意味があるのかということを説明されると、そこに価値が伝わってくるので、それが重要なことだろうと思い、覚えやすいです。扇子を前に置けと言われただけだと覚えにくいし、価値の重さも伝わらない。
4. どこにプライドをもつか説き、鼓舞する
5. 先手を打ち、新米が陥りがちなことは指摘
6. 難易度を考慮し、段階的に課題を与える
7. 知識習得は、出し惜しみせず教えて効率化
最初にこれだけのことを話してるんですね。要は、出し惜しみをせずに教えちゃって、あとは練習を積めるようにする。全部教えてあげちゃう。若手に対して「自分で発見しないと身につかない」と言って出し惜しみをしているのは、本当にそうなのか。自分がいじわるで教えてないだけなんじゃないかと考えみてほしいと思います。
8. "練習あるのみ"にして、稽古に時間を割く
練習あるのみの状態にして、稽古に時間を割ける状態を作ってあげる。すごく合理的なやり方をしているなあと思いました。
結局は本人のやる気とセンスだ、と言ってしまうのは簡単だけど、教える側の創意工夫によって、その人がすごく優秀な人に育つことに自分も関われる、と捉えるといいんじゃないかなと思います。
もう一つ、談志師匠のキュンとくる言葉を紹介します。
よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。(中略)教える方に論理がないからそういういいかげんなことを云うんだ(立川談春『赤めだか』より引用)
厳しいことを言っていますけど、教える立場になったら、そういうことを頭に置きながらやるといいんじゃないかなと思います。
人に教えなければ自分の市場性は維持できるのか?
まとめに入ります。自分にとって既に当たり前のことを新人に教えなきゃいけない、そういうのは結構めんどくさいと思いますが、(自分が教わった)先輩の中にも一人は、当たり前のことを言葉を尽くして説明してくれた人がいると思うんですね。談志さんにしても、扇子を平行に置く、ということは当たり前なのに、言葉を尽くして17歳の男の子に教えてますよね。そういう風に、脈々と伝えて人は生きているので、自分もバトンをもらって若手に渡すんだと捉えると、気持ちよく若い子に教えられると思います。
二つ目は、過去のやり方に固執しない。必ずしも良いやり方じゃないかもしれないことも考えるといいなと思います。
三つ目は、教えていると「自分の中に論理がなかった」と気づける側面もあると思います。(若手に教える際に)「先輩にそう習ったから」「そういうことになっている」と言ってしまったあとに、内省して、これは本当はどういう意味があるんだろう、今もこれを続けていいものか、と発見する機会にもなると思います。若手育成が、自分も相手も育っていくというプロセスと捉えると、また面白いのかなと思います。
最後に、人の気持ちとして「人に教えると自分の市場性は下がるのではないか?」と何となく感じてしまうことがあると思います。言い換えると、「人に教えなければ自分の市場価値が維持できるのか?」。先ほど言ったように、教える人間ほど論理が精緻化していきます。そうすると、その人の能力が高まっていくし、教えている人の方が人脈も広がれば、人望も厚くなる。そういう人がいる限りは、教えない人というのは市場価値が下がっていきます。そう考えると、教えられるものがあるうちに教えちゃった方がいいんじゃないかなと思います。
これは枕としてお話したことなので、もっと真剣に、若手に教えるとどんなことができるのかなと考えてみたい人は、ぜひ私がSlideShareにアップした『効果が出る「仕事の教え方」』というスライドも見ていただけたらと思います。