「アーキテクトは『カチ』を設計する人間」理想と現実のバランスを実現
小田中:このような状況で、エンジニアとしてどこを目指したらいいか悩む人は多いと思います。とはいえ、ソフトウェアエンジニアがなくなるわけじゃないから、地道な勉強が必要ということですね。
米久保:着実に取り組めば、きっと将来得られるものは多いでしょう。そのために継続的なアンラーン(学び直し)は必要ですね。これまでのアンラーンは長期的に見て「そろそろやばいからリスキリングしなければ」と決意して取り組むイメージでしたが、それが日々やらなければいけないアクティビティになってくるんだろうなと思います。
小田中:もはやそうなりつつありますよね。Stable DiffusionからChatGPT、Copilot、CursorやDevin、Claude Codeと、話題の技術は週単位で変わっていく。今の速さだとすごく焦ってしまいますが、もう絶えず変わっていくものだと思ってフットワーク軽く、ある程度鈍感力も必要だと思います。
米久保:「AI疲れ」と言いますが、人間が疲れ果ててしまってはいいものを作れないので。楽観的なスタンスでいることも大事だと思います。新しいものが出てきても、自分の仕事がなくなるというより、変わるけれども新しい楽しみができたぞ、みたいな感じですね。
小田中:生成AIは仕事の仕方を本当に変えましたが、危機感もあります。最近、「スクラムガイド」の拡張パックが出た際、原文を直接読まないでNotebookLMに読み込ませる、ということを反射的にやりました。サマリーをざっくりとらえるという意味ではよい使い方なのですが、無意識でAIに頼ってしまう自分に危機感を覚えました。まずAIによるサマリーを頭に入れて原文をあたるという使い方はいいけれど、AIの出力だけをノールックで使うのは危ないという感覚はあります。
米久保:それはありますね。AIは記号の世界で生きていて、その記号体系の中でこれは正しいと出力します。いわゆる記号接地問題で、AIは記号とリアルな現実世界とをうまく結びつけられないという課題があります。人間が、知識としては知っているけれども手を動かしたことがない、実体験として知らないという状態だと、人間も記号接地していない状態で危うい。だから経験がすごく重要になると思います。
小田中:経験を積んでいこうという米久保さんの姿勢を再確認できました。激動の時代で今後が見えにくくなっていますが、これからアーキテクトとして作っていきたい世界についてお聞かせください。
米久保:経験を積むにつれて「いったいアーキテクトとは何か?」と日々自問しています。現時点での私なりの考えは、アーキテクトは「カチ」を設計する人間だということです。この「カチ」には2つの意味を込めています。1つは、顧客に提供するバリューとしての「価値」。ソフトウェアによって価値を創造する営み全体を設計し、「正しいものを正しく作る」という責務です。もう1つは、ビジネスにおける「勝ち筋」(Win)を見出すことです。
理想主義者的に価値の最大化を追い求めつつ、一方で現実主義者の目で制約の中でどう実現するか、ビジネスとして成り立たせるか。捨てるものは捨て、取りに行くところを決めて「勝てる」戦略を考える。相反する2つの役割のバランスを取っていくアーキテクトを目指したいです。
それから、プロダクト開発の熱量の高い現場にずっと関わって、そういう場を作り続け、後進が育っていくのを見届けたい。彼らに渡せるものがあれば渡していきながら、残りのエンジニアライフを楽しみたいですね。
小田中:ついに育成という形でコピーロボットが実現しそうですね! 最初は無機質なコピーロボットという存在を欲しがっていた米久保さんが、今は血の通った人間という形で、自分がこれまで培ってきたものを吸収しながら、その人の個性を発揮してほしい――そんな将来を描く姿が素晴らしいなと思いました。ありがとうございました。
