AIは道具、正しい使い方ができる未来のために
このような社会実装をもたらしたディープラーニングについて、改めて復習しておこう。
ディープラーニングは2006年にヒントンが提唱したもので、1950年代のパーセプトロン、1980年代のニューラルネットワークの拡張版だと言える。高いパフォーマンスを出せる一方、欠点としては「多くのデータが必要であること」や、「なぜその答えになったのかを説明するのが難しいこと」「高性能のコンピュータが必要であり、経済力の勝負になっていること」が挙げられる。そこで最先端の研究では、データの数が少なく、比較的少ないコンピュータでも学習できるよう、いわゆる「AIの民主化」を目指す動きが盛んになっているそうだ。
そんなディープラーニングが最も得意とするのは画像認識である。そのため入出国時やコンサート会場へ入場する際の本人確認、自動車を運転する人が眠気を催しているときに警告するといった活用がされている。こうした技術は便利である反面、ディープフェイクのように実在しない画像や動画を生成することができたり、性的嗜好や政治的嗜好など本人が知られたくない情報を読み取ることができたり、といった問題点が指摘されている点には注意が必要だ。
昨今話題を集めているchatGPTにもディープラーニングの一種であるRNN(Recurrent Neural Network)が使われている。膨大なデータから統計的に導き出された、もっともらしい解に、思わず息を呑んだ人も多いのではないだろうか。しかし、それは必ずしも正とは限らない。今後ますますAIが進化して流暢になればなるほど、悪意なく吐かれる嘘にだまされないようにしなければならない。
AIはあくまでも道具であり、当然、人間の影響を受ける。AIが独自に価値観を持つことは、原理的にありえないからだ。道具は、良いことにも使えるし、悪いことにも使える。以前とは異なり、実社会に大きな影響を与えるようになっているからこそ、AIが社会に与える影響を真剣に考えなければならないし、AIを使う人間の倫理観が問われていると言えよう。
「鉄腕アトムを夢見た僕からすれば、AIは友だちを兼ねたサポーター役。最終的な意思決定をするのは人間、最終的に利益を得るのも人間だ。社会を抜本的に変える可能性を持つAIだが、AIは人間のためにあることを忘れずに、技術の進歩だけを考えるだけでは許されない自覚を持つことが、我々AIの関係者には求められている」(松原氏)